草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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指導者と指導家

2009年07月31日 09時35分27秒 | 
 今日は夏第2週の最終日です。昨日は教室の中も暑さがじわりじわりと感ぜられ夏の真っただ中にありました。子どもたちが冷水を大はしゃぎで飲むのもいつものことになりました。第2週も終わらんとする頃になると子どもたちの勉強もそろそろ形が見えてきます。私の指導の手順にうまく乗れた子となかなか乗れない子, これはいつも経験することです。100%指導プログラムがうまく機能するなどということはなくて当然です。それで次なる対策というか新手順の構築のことも考えなければならない。
 私の指導手順にのるというのは, どういうことか。
 私はできるだけ多くの子どもたちが私の指導手順で次第に理解を深め, ひとつひとつ思考のステップをあげてゆき, 思考スキルを手にしてゆくことを立案実行しています。しかし, そうはいってもすべての子が私の指導プログラムに順調についてくるわけではありません。よく新聞などの新刊広告を見ていると「小学生から新聞を読む子は伸びる」とかの親たちの心をくすぐる書名が氾濫していますが, すべての子が同じように伸びる方法などありえないと思います。指導の現場では必ず「こんなこともわからない」子がいるという現実に突き当たるのです。能力のある子からほとんどない子まで子どもたちは様々な段階にあり, 指導する側がそういう事実に無頓着で一般論を平気でかざす無神経さが私にはわかりません。
 私の制作したレジュメは私の長い指導経験から「いかにしたら真の思考がつけられるか」「理解できるか」という究極の問題意識を常に考え, 突き詰め, 作られ続けている珠玉の作品です。このレジュメを自らの思考でこなしてゆくステップに乗れれば子どもたちは確実に成績をあげてゆくと確信しています。それは長い実践と経験から生まれた指導家としての自負に裏打ちされた指導法です。私は私の指導手法がもっとも確実に子どもたちの力をつけてゆくものだということを知っているつもりです。それは私の指導で実際に多くの子たちが成績を伸ばし成功しているからです。2週間くらい前でしたか。塾が終わると普段はほとんど何も言わない中3の女子が「先生, 先生のおかげで初めて数学が90点を越しました。ありがとうございました。」とぺこりと頭を下げて帰りました。私は正直に喜びを伝えてくれたことにお礼を言いました。「よかったですね。報告してくれてありがとう。」。
 指導家にはうれしいことです。私の指導の成果が確実に成績となって表われてくることが, 私の指導に対する答えです。私はこの指導の答えつまりは証しにいつも自分の指導の方法を検証してきました。竹の会に通うみなさんの多くが, 成績をあげ, 力をつけつつあることは竹の会に通う子供たち本人とその親御さんたちが実感することでしょう。
 私の制作するレジュメを解いた子どもたちの答案に合格ハンコが押され, 次のレジュメにまた合格とそういう流れにのることがベストな状態です。そういう流れにのった子はまず100%驚異的に力をつけていっています。問題はなかなかその流れにのれない子たちの存在です。白紙答案が続くとまず力はついていってないといっていいでしょう。白紙で出して解説を聞き解説レジュメを読み「理解した」という形はあまりよくない流れです。思考力は育っていません。白紙で出す子が次のステップで解けるということは常識的に考えてもありえないことです。こうなると白紙白紙と続くことになります。私の解説が理解できる段階であるなら, 私は最初からレジュメをやり直しことを指示します。
 「読んでも分からない子は, 実は教えてもわからない」。基本的に「読み取り, 状況の意味を理解しない子」は通常の指導はできないのです。問題を与えても, 問題の意味取りができないというレベル段階があります。これは指導する側もさらには本人にもどうしょうもない現実です。彼らは問題の意味するところ言いかえれば操作の意味がまるでわからないのです。問題文の中から意味ある情報・関係を見つけ, その糸口から答えに至るという手順がまるで思い浮かばないのです。問題文は何の意味もないまるで風景画を眺めるように時間だけが過ぎてしまうようです。問題を見ても何も全く考えつかないのです。
 さてこの風景画症候群については, これからまた私なりの対策を講じるべく検討中なのでこれくらいにしておきたいと思います。ただ, こういう症候にある子が3時間指導の場合, 対応は不可能とまでは言わないにしてもそれに近いものがあります。
 私の問題レジュメについてこれるごく普通の子であれば, 能力は指導時間に比例して例外なく開花してゆきます。伸びるためには絶対に長時間が必要です。ある程度指導時間をかけてじっくりとレジュメに取り組ませる。これでじっくり丁寧に指導を重ねてゆく。これでほとんどの子は伸びてゆきます。こういうことを書くとまるで信じない方もいると思います。疑い深い方も世の中にはたくさんいますからね。竹の会にもよくそういう方が見えられて「プリントやるだけですか」「自習するだけですか」「わからないときは質問できのですか」「公文みたいなものですね」ととにかく竹の会に魅かれてはきたもののそれは自分のそういう魅かれる心を断ち切り否定する決意のために竹の会にきたように見えます。これは実はふつうにあることで, 昔はパンフレットを送ってくれというのが多かったのです。そして送られたパンフを見て竹の会を否定することで思いを断ち切るということに使われるのです。裏から見ればそれだけ無意識の下で竹の会に魅かれているということなのでしょうが。そういう方は実は権威主義的な方が多く, 結局大手に行くようです。そういう方たちがその後どうなったかは知りません。竹の会に入会する際にかなり迷われて「先生はおひとりなんですか」と不安を露わにした方もいましたが, 実際に入会してみて子どもの成績がみるみる上がり, それ以降, 竹の会の崇拝者になられた方もいるやに思われます。入会された方の多くが実際に子どもの成績が上がり, なによりも大手に通っていたのと違うのは次第に精神的に安定してゆき自信をつけてゆくことだと言います。確かに竹の会の子どもたちは自信に満ちた精神的に安定した子が多いようです。竹の会の指導を信じてひたすら努力する姿に敬意と感謝の気持ちを捧げて本日はブログを納めたいと思います。
 指導者と指導家。どう違うのか。私は後者と自負しています。悪しからず。
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