草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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子供を伸ばす技術

2013年03月02日 21時48分09秒 | 
 竹の会では、入会してすぐに子供に変化があるのは正直いつものことです。竹の会で訓練されて一月もしないうちにその変化は表れる。親たちはこれまでの子供と比較してそのあまりにも変わりように驚異と感動の言葉を隠さずに表現してきました。かくいう竹の会も昔から小学生の指導が得意であったわけではありません。昭和60年10月竹の会がスタートした頃は、わたしは家庭教師歴は長かったものの、正直未熟であったと思います。幸いにも初めての高校入試では、~それは昭和62年のことですが~青山学院高等部に合格者を出すことができました。わたしがただ熱心に夢中で教えていた時代です。高校受験、中学受験、さらには大学受験にまで手を広げました。わたしは多くのことを学び、経験してきました。高校受験では、昭和62年以降、毎年のように合格者を出してきました。そしてときには中学受験、大学受験ととにかく結果だけは出してきました。
 27年間の経験では、「できない子」の指導法がいつも難題でした。世の中には、「教えてどうなる」という限界を遙かに超えた子たちがいるというのが現実です。
 小学生でも、中学生でも、教えてどうなるものでもないという限界をかかえた子たちというものがいます。
 そういう子がまじめであれば、悩むことでしょう。親だって気の毒です。しかし、わたしにはどうにもならないことです。
 人にはもって生まれた、自分の努力ではどうにもならない、天賦の才というものがあります。
 さて、そういう限界児というわけではなくても、子供の能力というものは人それぞれに千差万別なわけです。
 だからこそわたしは長い年月をかけて「子供を伸ばす技術」について研究を重ねてきたのです。
 ひとつのヒントでたちまちすべてを理解してしまう子もいれば、なにをどう語ればわかってもらえるのかという子もいます。
 だからわたしはどこまでの子なら指導できるのかという限界事例と常に対峙してきたと思います。ひとつの理解が次の理解へとつながらない子というのは、早晩その指導は壁に突き当たるのは自明です。悲しいかなわたしにはもはや施す術なしということは幾例もありました。織田信長が本能寺で「陣立てなし」と言ったのと同じ心境です。
 子供の指導について悩んできたわたしですから、わたしはいかに子供を伸ばすか、理解させるか、について試行錯誤を重ねて、さまざまな技術を積み重ねることになりました。
 その中で、かつて指導法に悩んだ頃、読んだ愛知教育大学教授の著した「転移にかんする論文」が大きなヒントになったと思います。
 転移とは、子供がある問題を解く方法を学んだとき、その問題とは別の場面で同じ方法を使えないかと考えて使うことです。転移の能力の高い子ほど新たな局面で過去に学んだ方法からなにか使えないかと考えをめぐらし、なんとか解決の方法を見つけたりできるわけです。
 わたしはわたしのレジュメでもこの転移の思想を常に意識して取り入れるようにしています。あるいは子供を指導するときの説明の方法にもこの転移というものを意識した説明をします。あなたが知っている理解をこのように転移すればいいんですよ、という手助けをしているのです。説明するときは、その子供が今ある状況というものを子供の立場になって見つめます。未熟で幼い子供の頭の中は、いろいろな概念が区別、識別できないで、混乱をきたしているのがわかります。だから、これ以上は今日は説明しないという選択だってあります。
 今日はうまく転移させてやろうという気持ちで新たな説明を試みる日もあります。
 子供に転移をいかにして促すか、これです。「%」から、「歩合」への転移とか、「元にする量」というものを理解させるために、いろんな事例を経験させるというのも、子供の固定化した中での理解を破壊するためです。多視点、多視角です。これが転移を容易にするという思いからです。

 わたしの長い間の苦労が稔って、子どもたちが目を輝かせて「わかる」喜びをかみしめていくというのが今のわたしの理想であり、願いです。
 わたしの指導の精神は、小学生ばかりではなく、中学生にも当然流れています。端的に、「わかる」という結果を積み重ねること、これが指導の本質です。
 竹の会で学ぶ子たちが、伸びるとわたし自身が実感するようになったということは、わたしにも昔の未熟な時代とは違って、今の「わたし」は、もはや「伸ばす技術」を手にしたのか、と思うこともあります。一方で、まだまだという思いもあり、やはり毎日が研究です。
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