草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
※2015年10月より竹の会公式HP内にブログ移転

 竹の会と長時間指導と過去問指導法

2009年07月05日 09時38分09秒 | 
 天気は相変わらずはっきりしない日が続いています。例年梅雨明けは7月の10日くらいだったでしょうか。たまに20日くらいまで雨が降り続いたという年もあったように思います。九州のほうでは集中豪雨ということらしいですが, 関東ではまとまった雨がそれほど降りません。夏の渇水が懸念されます。
 昨日は一日レジュメの準備やら構想やらに追われていました。今週から2週間は通常の月水金に加えて木が入ります。3連続指導日が続くので, レジュメのほうもそれを見越して準備しておかねばなりません。
 2週が終わるとすぐに夏期日程に入ります。月から金までほぼ毎日の指導です。
 夏の指導では, すでに過去に作ってきた膨大なレジュメが指導の中心となります。しかし, どうしても新作を準備しておかなければならないものもあります。
 たとえば, 割合初心者向けの「食塩水」シリーズは, 夏の間も作り続けたいと思っていますし, 割合上級者向けの「1%」も新作を作りたい。あるいは「視覚の素」も新作を準備したいと思っています。算数については慶応の過去問をほぼ網羅的に解説したレジュメがあり, これを使えればと思っていますが, ややレベルが高すぎるかもしれません。
 力を入れたいのは国語の読解分野です。御三家の長文をレジュメ化したものを使う予定ですが, 入試過去問をやることも考えています。とくに適性問題は過去問を通年単位のフル問題で訓練することは必須の課題です。もともと竹の会は過去問の指導を超得意としてきました。徹底して過去問による訓練を重ねて合格を勝ち得てきたことは否定できない事実です。今年はすでに割合をマスターした子たちにはこの竹の会の過去問指導法の洗礼を受けさせなければならないでしょう。
 高校受験ではすでに膨大な数学レジュメが完成しており, 指導に何の不安もありません。また英語については竹の会には名著の誉れ高い「新英語指導案」と「入試英語指導案」があります。また英文解釈については, 現在使っているプログレス副読本を終えたら, 日栄社の「高校用初級英文解釈」を使う予定です。このテキストは竹の会ではもう二十数年に渡って使ってきたものです。今年の夏はV模擬問題集も使うことになっています。秋には難関校の英文を編集し長文読解を鍛え抜きたいと思っています。
 中2は現在1次関数の導入の段階ですが, かなり悪戦苦闘しています。新作を準備するのは夏休み前までで, 夏休みには去年までに作ったものを使います。竹の会は過去問指導法の「匠」ですが, その過去問をここ何年かレジュメ化して「レジュメ指導法」とでもいうべき方法を完成させました。今の竹の会は指導の全分野にレジュメ化が進み, 会員の能力を飛躍的に高めることとなりました。竹の会の指導により能力を驚異的に高めている子どもたちが増殖中です。学力ではなくて能力です。竹の会は「考える力」を作り上げることを指導の根幹としております。能力が高まったので「できる」ようになり, 学力もそれにともなってついてきたというだけのことです。
 中2が文型で苦しんでいます。はっきりいって「でたらめ」の理解状態です。この夏は徹底して指導しなければと決意しています。それで英語の文型を説明するのにワードの作画機能を駆使した新作レジュメの開発に取り組んでいます。なんとか文型の心を伝え切りたいとの一念からです。明日はその試作品第1号を使っての指導になると思います。文型が見抜けるようになれば, 英語はもう簡単に理解できます。だからどうしても理解してもらいたいのです。

 割合を真に理解したのか。

 割合を導入し始めてそのあまりにも幼い理解に「はっ」とすることがよくあります。こうしてまわりの何たるかを何も理解しない未熟な子どもたちをどのようにして理解のレンガを積み重ねてゆけばいいのかと長年試行錯誤を重ねその指導の方法について悩んできたわけです。数々の失敗とそしてほんの少しの成功。多くの普通の小学生は簡単な割合の原理をたいていは理解しません。ある意味「知の盲目」の状態なのです。ひとつひとつ意味のレンガを積み重ね少しずつ周りが見えるようになってきた小学生。いつしか自分でレンガを積んでゆく子も出てきます。割合を縦横無尽にこなせるというのは,
割合以外の問題についても縦横に思考をめぐらすことができることを予感させます。しかし, 現実はそう簡単ではない。未知の思考問題に思考停止する子も多い。その中にはヒントで閃く子から,
絶体絶命状態の子までいるわけです。割合で思考能力をどこまで切り開けるのかと考えてしまう。そしていつも私の脳裏にちらつくのが先天的な能力の問題である。理解能力というのはたぶんにDNA的な比重が大きい。これはしかたのない現実です。これを認めたうえで私は挑戦してきたのですから。いつもそういうジレンマの中で苦しみながらも理解のレンガを思うように積み重ねてゆくことのできない子どもたちのためにレンガを積み重ねることをしてきたのです。そういう子どもたちのために積み重ねたはずのレンガが何度も崩れては積み重ね,
積み重ねては崩れてきたのです。できない子ほど夏などのレンガを積み重ねる時間がたっぷりある期間でも短時間コースにしかきてくれませんでした。逆にできる子ほど指導時間たっぷりのコースにきたのです。それでできない子はますますできないことになり,
寂しく竹の会を去っていくという事例もかつては見られたものです。

 今では竹の会はそういう経験もふまえてできるだけ長時間の指導を受けるようにと呼びかけています。たっぷりと時間をかけて, じっくりと理解のレンガを意味のレンガを積み重ねてゆければと心より願っているからです。

 長時間指導といっても, まだ小4には無理です。しかし, 少なくとも小5には是非とも必要です。長時間竹の会に預けて思考のレンガ, 意味のレンガを積み重ねる時間がたっぷりととれればきっと生まれ変わった姿が秋には見られることでしょう。よく竹の会でやるレジュメだけをもらって家でやればと考えられる向きもあるようですが,
これは完全な誤解です。竹の会で使うレジュメは飽くまで指導の手段にすぎません。レジュメの問題を通じての長時間の「やりとり」にこそ指導の本質があります。

 まず考えさせる。30分ほど経ってデスクに呼ぶ。そして「できない」ことを確認する。どこができないのか「探る」。「なぜできないのか」「何を理解していないのか」ここでの「やりとり」はあげてその子の不理解状況の把握にかけられる。その上で定義を簡潔に説明する。説明は簡潔でなければならない。長々しい説明は受容不可能といっていい。パニックをすぐに起こすことは目に見えている。何かの本で読んだが,
人間の脳というのは意識を保持し続けられる限界は5秒だけということだ。5秒たったら記憶が消え, 同じ意識が再認識されるそれが延々と続けられる。それで当の人間は意識を継続していると「思いこんでいる」。集中というのは,
意識の再認識を継続できる時間ということか。 レジュメを使った指導というのはこの連続と考えてもらっていい。だから指導に際してどのようなレジュメが必要になるかが日々つきつけられてくる。だから指導のたびに新規に指導のレジュメを創作する必要に迫られる。指導を通じて理解のレンガ積みがうまくゆかなければあらたに積む方法を考える。レジュメ指導というのはそういうものだ。竹の会が発明し竹の会だけが使える指導法だ。このような指導法が他の塾で真似できることはありえない。それだけ独自性の強い指導法ということだ。

 竹の会は「勉強する意志」のある子が入会資格です。おしゃべりをする, 大声でふざける, なかなか勉強に手をつけない, 携帯などいじり勉強に目を向けないなど総じて勉強にスタンスの向いていない子は入会できませんし,
入会後そういう事態があれば即退塾処置をとっています。

 私の指導の限界を考えて入会数も制限しています。

 また私立の補習はやりません。竹の会の指導が不可能だからです。私立は宿題をみてもらう目的でくる子が大半で竹の会の指導コンセプトとは相いれません。きっぱりとお断りしています。



アロエベラ
 
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