昨日は見学者が見えまして20分ほどでしたか、竹の会の子どもたちの勉強するようすを見ていただきました。
家庭で学習されているとのことでしたが、竹の会の子どもたちが無心に割合の問題を解いているのを見て衝撃を受けられたようです。
なによりも子どもたちが静謐の中で夢中で勉強に取り組んでいる光景に衝撃を受けられたのではないでしょうか。
わたしはこの光景は「普段のままです」と説明しておきました。実際そうなのですからしかたありません。
竹の会の子どもたちは入会するとまず徹底的に計算を鍛えられます。計算を縦横無尽にこなせるようになっても、計算は指導の始めに必ず4題解くことが義務づけられています。
計算をマスターした子たちが、みっちり1年間鍛えられるのは「割合」です。竹の会はさながら「割合道場」の様相を呈しております。
子どもたちはわたしの執筆した算数レジュメで徹底して思考を鍛えられるのです。
この思考鍛錬も「ある域」に達したと認められる段階になると、いよいよ適性問題による思考訓練が始まります。
そうです。適性問題というのはかなりの思考レベルに達していないととても太刀打ちできるものではありません。いきなり適性問題を解けば白紙答案になるのは目に見えています。
そうです。竹の会は思考養成塾です。徹底して割合という観念を極めさせます。
子どもたちはわたしの指導で逞しく変わります。そうです。「思考する人」へと変身していくのです。わたしは子どもたちのその進化の過程をいつも「これほど明瞭に変わるということがあるのか、竹の会の子どもたちはまるで絵に描いたように、いや映像的に能力を伸ばしていくのが見えるではないか」と感動して見ています。「こんな塾がほかにあるのだろうか」と思いつつ、わたしの竹の会はすごい、とひとりで感動しています。
夏の指導は7時間です。小4がこの7時間を確かに集中しているのです。これは奇跡ではないですか。小5もすごい。
2012年5月6日に竹の会が移転した最初の指導が始まってから、最初はわたしも竹の会の進むべき方向というものが定められずにいたと思います。
その後、わたしは2012年の9月にレジュメのありかたについて神のささやきを聞いたのかもしれません。あのときは、血圧と闘いながら子どもたちをなんとしてでも合格させたいと私は悲壮な思いの中にいました。毎日のように過去問を読み、ありうべきレジュメを追求していました。わたしはこの子たちのために倒れることがあってもいい、と思いました。竹の会を信頼し「竹の会を一番落ち着いて勉強できる空間」といってくれた子らでした。遠いところからあの爆弾低気圧のときでさえやってきた子たちでした。わたしはその心情がどんなにうれしかったことか。きっと合格させてあげる、と私はそのとき胸に誓ったのでした。素直で能力の高い女子2人を得て、わたしは思う存分に彼女たちにわたしの最高のレジュメを執筆してきたのです。
わたしは竹の会の進むべき道というものが次第に見えてきたように思いました。子どもたちに静寂の中で集中することがどんなにすばらしいことなのかを教育しなければならないと決意したのです。いやわたしは無名の小塾竹の会が「こんなにもすばらしい塾ですよ」ということを東京の心ある人たちに知ってほしかったのです。「渋谷にはこんなにいい塾があるんだよ」ということをたくさんの人たちに知ってほしいと思いました。それがわたしの竹の会のささやかな夢になりました。
そうです。わたしは決めたのです。「渋谷にこんなにいい塾があるんだよ」といわれるようになるようにがんばりたいと。子どもたちには静寂の中で勉強に集中することを、我慢することを教えなければと。
わたしは「わからない」と言ってやってくる子どもたちにわたしのこれまで培った最高の説明技術をもって教え導くでしょう。いやレジュメ指導とは子どもたちにわたしの説明がわかるようにするための基礎工事から始まる一連の思考の組み立て工事みたいなものなんです。 あっ。そうです。レジュメをさらによくしたいという思いで、イラストレーターというソフトを買ってしまいました。わたしには竹の会のレジュメをさらにさらによくする夢があるんです。
子どもたちがわたしのレジュメで目を輝かして、力をつけていく、なんというすばらしいことではないですか。
ランチュウ 元気です
愛用の水瓶
家庭で学習されているとのことでしたが、竹の会の子どもたちが無心に割合の問題を解いているのを見て衝撃を受けられたようです。
なによりも子どもたちが静謐の中で夢中で勉強に取り組んでいる光景に衝撃を受けられたのではないでしょうか。
わたしはこの光景は「普段のままです」と説明しておきました。実際そうなのですからしかたありません。
竹の会の子どもたちは入会するとまず徹底的に計算を鍛えられます。計算を縦横無尽にこなせるようになっても、計算は指導の始めに必ず4題解くことが義務づけられています。
計算をマスターした子たちが、みっちり1年間鍛えられるのは「割合」です。竹の会はさながら「割合道場」の様相を呈しております。
子どもたちはわたしの執筆した算数レジュメで徹底して思考を鍛えられるのです。
この思考鍛錬も「ある域」に達したと認められる段階になると、いよいよ適性問題による思考訓練が始まります。
そうです。適性問題というのはかなりの思考レベルに達していないととても太刀打ちできるものではありません。いきなり適性問題を解けば白紙答案になるのは目に見えています。
そうです。竹の会は思考養成塾です。徹底して割合という観念を極めさせます。
子どもたちはわたしの指導で逞しく変わります。そうです。「思考する人」へと変身していくのです。わたしは子どもたちのその進化の過程をいつも「これほど明瞭に変わるということがあるのか、竹の会の子どもたちはまるで絵に描いたように、いや映像的に能力を伸ばしていくのが見えるではないか」と感動して見ています。「こんな塾がほかにあるのだろうか」と思いつつ、わたしの竹の会はすごい、とひとりで感動しています。
夏の指導は7時間です。小4がこの7時間を確かに集中しているのです。これは奇跡ではないですか。小5もすごい。
2012年5月6日に竹の会が移転した最初の指導が始まってから、最初はわたしも竹の会の進むべき方向というものが定められずにいたと思います。
その後、わたしは2012年の9月にレジュメのありかたについて神のささやきを聞いたのかもしれません。あのときは、血圧と闘いながら子どもたちをなんとしてでも合格させたいと私は悲壮な思いの中にいました。毎日のように過去問を読み、ありうべきレジュメを追求していました。わたしはこの子たちのために倒れることがあってもいい、と思いました。竹の会を信頼し「竹の会を一番落ち着いて勉強できる空間」といってくれた子らでした。遠いところからあの爆弾低気圧のときでさえやってきた子たちでした。わたしはその心情がどんなにうれしかったことか。きっと合格させてあげる、と私はそのとき胸に誓ったのでした。素直で能力の高い女子2人を得て、わたしは思う存分に彼女たちにわたしの最高のレジュメを執筆してきたのです。
わたしは竹の会の進むべき道というものが次第に見えてきたように思いました。子どもたちに静寂の中で集中することがどんなにすばらしいことなのかを教育しなければならないと決意したのです。いやわたしは無名の小塾竹の会が「こんなにもすばらしい塾ですよ」ということを東京の心ある人たちに知ってほしかったのです。「渋谷にはこんなにいい塾があるんだよ」ということをたくさんの人たちに知ってほしいと思いました。それがわたしの竹の会のささやかな夢になりました。
そうです。わたしは決めたのです。「渋谷にこんなにいい塾があるんだよ」といわれるようになるようにがんばりたいと。子どもたちには静寂の中で勉強に集中することを、我慢することを教えなければと。
わたしは「わからない」と言ってやってくる子どもたちにわたしのこれまで培った最高の説明技術をもって教え導くでしょう。いやレジュメ指導とは子どもたちにわたしの説明がわかるようにするための基礎工事から始まる一連の思考の組み立て工事みたいなものなんです。 あっ。そうです。レジュメをさらによくしたいという思いで、イラストレーターというソフトを買ってしまいました。わたしには竹の会のレジュメをさらにさらによくする夢があるんです。
子どもたちがわたしのレジュメで目を輝かして、力をつけていく、なんというすばらしいことではないですか。
ランチュウ 元気です
愛用の水瓶