草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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今日から新学年・新中1

2008年04月07日 11時54分24秒 | 
 今日から新学期。竹の会でも今日が4月指導の初日だ。日々の実践指導は私には逆に「学ぶ」ことが多い。子どもたちの「わからない」につきあっているとその指導の過程で何かを得ることのなんと多いことか。ここのところ「常識力」ということに光明を見いだしている。思考力をつけるということに力を入れてきたが, それだけでは子どもたちを「偏った」見方の呪縛から解き放つことができないということがわかってきた。そこで今年は適正検査が終わってからその辺のところの思索を重ねてきた。
 常識とは何か。たとえば, 都道府県名を知っていること, 県庁所在地を知っていること, 北海道の風土を知っていること, 日本の歴史を知っていること, 基本的な政治のしくみを知っていること, 目に見える世界のたとえば植物について知っていること, 動物について知っていること, 環境について知っていることと尽きない。こうした自分をとりまく諸事象について基本的に理解した知識をもっていることが常識力ということではないか。してみれば小学生に理科・社会をしっかりと学ばせることは, 必須のことではないか。適正問題では, 光合成のはたらきやてこの原理といった常識問題がふんだんに出てくる。こうした問題に過去問をてこに対策をとることも当然必要なことである。しかし, それ以上に「常識力」というコンセプトで子どもたちに理科・社会の基本テーマを教えていく必要性を痛感している。
 そこで竹の会では, 新小学問題集を取り入れて指導することとしたが, より本質的な問題について掘り下げた「常識力レジュメ」を執筆指導していくこととした。たとえば理科分野では「昆虫とは何か」「昆虫はなぜあんなに種類が多いのか」「昆虫は地球の環境になぜあんなに適応できるのか」といった「どうして」を基調とした常識力レジュメを書いていくことにした。私の指導を受ける小学生に真に役に立つ知識を提供したかった。
 よく基本というが, 中1で現在指導している内容も実は常識の範囲内のことがらである。基本とはつまるところ常識ということである。基本ができないというのはあるいは基本がないというのは常識がないということである。最低限の基本知識だけはといつも思ってきた。が, 子どもたちに必要なのは「常識力」ということなのではないか。英語の単語を知っているというのも常識の範囲内である。文法の基本を理解するのも常識の範囲内である。中学になるとともすれば知識が勝ちそうした視点を忘れてしまいそうになるが, どんなに難解に見える問題も所詮は基本の組み合わせに過ぎない。つまりは常識の範囲内で解決できる。私が過去問の分析を通じて得た真理である。もし基本の組み合わせで解けない問題があるとすれば, そういう問題は「捨てる」ことである。常識で解けるということは, 常識力をつけた人間が「推理」を重ねてつまりは思考力を駆使して解決するということにほかならない。思考とはある意味「思考経済」ということである。つまりは無駄な思考を節約するのが推理ともいえる。長年, 算数の問題を解いていると思考の節約がうまくなる。無駄な思考はしないようになる。ものを単に覚えるのではなく, 思考による意味付けをするようになる。丸暗記はあまり必要でなくなる。常識力は小学生から徹底して学ばせる必要がある。そして思考経済を会得させるために算数で脳を作る必要がある。このところ思索の結果そういうことを思うようになった。
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