草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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都立中高一貫校と共に歩む

2012年04月30日 22時25分33秒 | 
 平成18年の3月のことであった。小5のお父さんからの電話があったのは。「区立九段中等教育学校を受検したいので、みてもらいた」。竹の会の「草枕」を一晩で過去に遡ってすべて読まれたというお父さんは竹の会しかないと思って電話してきたのだというのです。
 公立一貫校の受検が始まったのは平成17年のことでした。正直私には指導経験は「なし」でした。もっとも東大附属にはすでに何人かを合格させていましたが。
 その子は小6の4月に竹の会に入会しました。分数の計算、割合などの指導から始めました。4月には東大附属志望の双子の女子が入会しています。竹の会の小学生はこの3人だけでした。私が使ったのは僅かな都立の過去問とまだ薄かった過去問全国版が中心でした。このころ私はこれまでの高校受験用の竹の会テキストをレジュメに転換する作業に没頭していました。2005年(平成17年)には、竹の会の英語定番テキストの全面的な書き直し作業にも入っています。まだ小学生には手が回っていなかったのです。それで指導は竹の会定番の過去問指導法ということになりました。明けても暮れても過去問を解かせていましたね。
 平成19年の1月、夜8時くらいになるともう小学生は九段受検の子1人しかいない。私は過去問の復習を熱心にやっているその子を相手によく話しをしました。倍率は11倍でした。「丁寧に考えてひとひとつを確実に解いてきなさい。なに、それで時間が足りなければ白紙でかまわない」と私は言ったと思います。彼はほんとうに何問かを白紙で出してきたのです。お父さんはあきれたそうですが、彼は「先生がそうしろと言ったから」と言ったそうです。
 2月9日、突然の「合格」の電話。そして東大附属を受けたふたりも合格。全員合格でした。
 ちなみに、この年の都立は、都立狛江に合格しています。
 
 平成19年の6月は小6の入会ラッシュでした。ネットで区立九段合格を知った子たちが集まったのです。8人ほどいたでしょうか。しかし、残念ながらほんとうにできない子たちばかりが集まったのです。割合を理解できない子たちでした。いやこのときの指導をきっかけに私の小学生指導の研究が本格的に始まったというべきかもしれません。
 過去問には白紙答案の子たちばかりでした。平成20年2月3日の受検は惨敗に終わりました。ただひとり桜修館に合格したのみです。
 この年の子たちの何人かが竹の会に残りました。平成23年の高校入試はその子たちのリベンジの年でした。
 都立小山台、都立文京、専修大附属、日大櫻などに合格してゆきました。
 
 平成20年は高校入試でレジュメ世代が巣立ちました。都立西合格(豊島岡女子合格)、桐蔭理数合格(立教合格)。このふたりは今年それぞれお茶の水女子大、東大文2に合格しています。
 平成21年は20年の惨敗が祟って受検者ゼロでした。
 19年、小3の2月に入会した後に両国に合格することになる男子が20年には小5になり、同じ年、小4の8月、後に小石川に合格することになる男子が入会すると、本格的に小学生のためのレジュメ作りに取り組むようになりました。私は次から次に新作を発表し、子どもたちに使ってきました。私のレジュメ制作はもう留まることはしらないくらいに快調に進んだのです。算数の研究も進みました。算数のレジュメもこれまでと比較にならないほどの躍進ぶりでした。
 22年、都立両国中合格、都立桜修館合格。4名受検して2名合格でした。この年、東大附属にも1名合格。都立高校は富士に合格。
 23年、都立小石川中合格、都立桜修館合格。
 24年、都立富士中合格。

 24年5月竹の会渋谷教室創設へ。
 竹の会はちょうど平成20年あたりから転換点にあったのだと思います。トップ都立に合格させた平成20年を境に、竹の会は本格的に都立中高一貫校への途を歩み始めました。
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