来週は、23日(月)、24日(火)、25日(水)、27日(金)と指導日が続きます。竹の会では最後の旧指導システムということになります。
来年1月までは、過渡的な指導日程で流動的な試験日程を実施することになります。来年1月に現在の小6を送り出して元代々木教室は廃止します。
元代々木教室には、不便をものともせず遠く町田市や品川区、江戸川区と千葉県の県境、板橋区、狛江市、そしてあるときは横浜や埼玉から通った人もいました。かつて町田から通ってきた女子は、2年間通い続けて、都立大附属高校に進学しました。今では、中野区や世田谷区、目黒区などから通ってくる子というのが普通のことになってしまいました。他方渋谷でも元代々木近辺に住んでいる方は逆に近いからという理由で通った、ないし通っているという人もいます。同じ渋谷区とはいえ、渋谷駅近くに竹の会が移転すれば通うのを断念する人も出てくるかと推測しています。私ももう若くはなく両方を満足するかたちで維持するのは体力的に無理と判断しました。
少数の選ばれた子どもたちを私が長年培ってきた指導技術で理想のレベルに導いていきたいと密かに思い続けてきました。竹の会が渋谷駅の近くにあれば、これまで遠いからと断念してきた有意の志ある子どもたちを指導することが可能となります。副都心線を利用すれば埼玉県から渋谷まで、あるいは神奈川県から渋谷まですぐです。世田谷区からでも目黒区からでも品川区からでも至近距離になります。
これまで地元密着型の塾、個人塾として渋谷の元代々木町に27年間近く小塾を営んできました。かつては近くにある代々木中学の子たちでうまりました。そしてあるときはやはり近くにある上原中学の子たちでうまりました。そうでした。私は地元の中学生ばかりを相手にしてきたのでした。あるときは不良グループばかりが集まったこともありました。まだ若かった私はよくそういう子たちに切れました。ですが不思議にそういう子たちに慕われもしました。かつて私が中学の頃幼なじみの番長グループに一目おかれていたように私はそういう子たちの扱いに慣れていました。代々木中学ではまだ1学年が200人を超えていた時代の話しです。その代々木中のビリから2番とか3番の子たちをたまたま見たことで、そしてその子たちが受験に成功したことでたちまち竹の会にはできない子たちばかりでうまりました。かかってくる電話は噂を聞いたできない子の親ばかりでした。教室はいつもお祭り騒ぎでした。
私はあるとき決意したのです。もっと頭のいい子たちを教えたいと。それである時期からあまりにひどい子は入れないようにしたのです。が、それでも私にはそういう子たちの気持ちというのが手に取るようにわかるのでつい同情して入れるということもありましたが。とにかく私は真にできない子たちと悪戦苦闘してきました。
そしてあるときは特別の秀才たちと出会うこともありました。かつて開成、ラサールも合格したという筑駒の中1を教えたことがありました。数学は天才的で高校の確率を理解しました。ただ英語が稚拙でこの生徒と同期のY君が都立青山から東大に現役合格したのに、この生徒はとうとう東大へは合格できなかったのではないかと思います。
早稲田実業高校に合格した鈴木君は私が中1から育ててきた秘蔵の生徒でした。彼は慶應高校では一次には合格しましたが二次で涙をのみました。しかし、立教高校にも受かり、早実は商業と普通の2つを制しました。高校進学後も彼は竹の会へ3年間通ってきました。彼は早稲田大学へ進学し、卒業後はIT関連の企業に就職しました。彼は結婚式に私を招待してくれましたが、そこには中学の先生も高校の先生もいませんでした。彼は小学校から高校まで私が真の意味の人生の恩師だと言ってくれました。ありがたいことです。鈴木君は今でも時折メールがあります。
鈴木君と同期のNさんも竹の会の卒業生です。彼女は日大二高に合格し、津田塾大へ進学しました。その彼女も去年結婚したとの報告がありました。
竹の会の卒業生はもう何百人もいて私も正直忘れてしまっている人たちもいます。1期生の3人娘はあのとき中2でしたね。私はこの3人の女子しかいない昭和60年の10月の頃を思い出します。家庭教師の経験しかない私のところにその3人の親御さんは、これから塾を始めようという西も東もわからない私の所にその子たちを預けたのです。私はそれはそれは必死に教えました。そのおかげか「熱心な先生のいる塾」として、11月にはもう20人以上の子たちが集まりました。当時は週2回で1回2時間の授業をしました。2時間ごとに生徒を入れかえたので50人いても平気でした。まだ私は若くて元気でした。
その3人娘は当時中2ですから13~14歳でしょうか。あれから27年彼女たちも今では中学生や高校生の親になっているのですね。
いつか1期生のみなさんに会えることがあるかもしれません。そういう思いはいつも抱いてきました。私の原点の心が甦る子たちです。
私には忘れられない元代々木教室です。
来年1月までは、過渡的な指導日程で流動的な試験日程を実施することになります。来年1月に現在の小6を送り出して元代々木教室は廃止します。
元代々木教室には、不便をものともせず遠く町田市や品川区、江戸川区と千葉県の県境、板橋区、狛江市、そしてあるときは横浜や埼玉から通った人もいました。かつて町田から通ってきた女子は、2年間通い続けて、都立大附属高校に進学しました。今では、中野区や世田谷区、目黒区などから通ってくる子というのが普通のことになってしまいました。他方渋谷でも元代々木近辺に住んでいる方は逆に近いからという理由で通った、ないし通っているという人もいます。同じ渋谷区とはいえ、渋谷駅近くに竹の会が移転すれば通うのを断念する人も出てくるかと推測しています。私ももう若くはなく両方を満足するかたちで維持するのは体力的に無理と判断しました。
少数の選ばれた子どもたちを私が長年培ってきた指導技術で理想のレベルに導いていきたいと密かに思い続けてきました。竹の会が渋谷駅の近くにあれば、これまで遠いからと断念してきた有意の志ある子どもたちを指導することが可能となります。副都心線を利用すれば埼玉県から渋谷まで、あるいは神奈川県から渋谷まですぐです。世田谷区からでも目黒区からでも品川区からでも至近距離になります。
これまで地元密着型の塾、個人塾として渋谷の元代々木町に27年間近く小塾を営んできました。かつては近くにある代々木中学の子たちでうまりました。そしてあるときはやはり近くにある上原中学の子たちでうまりました。そうでした。私は地元の中学生ばかりを相手にしてきたのでした。あるときは不良グループばかりが集まったこともありました。まだ若かった私はよくそういう子たちに切れました。ですが不思議にそういう子たちに慕われもしました。かつて私が中学の頃幼なじみの番長グループに一目おかれていたように私はそういう子たちの扱いに慣れていました。代々木中学ではまだ1学年が200人を超えていた時代の話しです。その代々木中のビリから2番とか3番の子たちをたまたま見たことで、そしてその子たちが受験に成功したことでたちまち竹の会にはできない子たちばかりでうまりました。かかってくる電話は噂を聞いたできない子の親ばかりでした。教室はいつもお祭り騒ぎでした。
私はあるとき決意したのです。もっと頭のいい子たちを教えたいと。それである時期からあまりにひどい子は入れないようにしたのです。が、それでも私にはそういう子たちの気持ちというのが手に取るようにわかるのでつい同情して入れるということもありましたが。とにかく私は真にできない子たちと悪戦苦闘してきました。
そしてあるときは特別の秀才たちと出会うこともありました。かつて開成、ラサールも合格したという筑駒の中1を教えたことがありました。数学は天才的で高校の確率を理解しました。ただ英語が稚拙でこの生徒と同期のY君が都立青山から東大に現役合格したのに、この生徒はとうとう東大へは合格できなかったのではないかと思います。
早稲田実業高校に合格した鈴木君は私が中1から育ててきた秘蔵の生徒でした。彼は慶應高校では一次には合格しましたが二次で涙をのみました。しかし、立教高校にも受かり、早実は商業と普通の2つを制しました。高校進学後も彼は竹の会へ3年間通ってきました。彼は早稲田大学へ進学し、卒業後はIT関連の企業に就職しました。彼は結婚式に私を招待してくれましたが、そこには中学の先生も高校の先生もいませんでした。彼は小学校から高校まで私が真の意味の人生の恩師だと言ってくれました。ありがたいことです。鈴木君は今でも時折メールがあります。
鈴木君と同期のNさんも竹の会の卒業生です。彼女は日大二高に合格し、津田塾大へ進学しました。その彼女も去年結婚したとの報告がありました。
竹の会の卒業生はもう何百人もいて私も正直忘れてしまっている人たちもいます。1期生の3人娘はあのとき中2でしたね。私はこの3人の女子しかいない昭和60年の10月の頃を思い出します。家庭教師の経験しかない私のところにその3人の親御さんは、これから塾を始めようという西も東もわからない私の所にその子たちを預けたのです。私はそれはそれは必死に教えました。そのおかげか「熱心な先生のいる塾」として、11月にはもう20人以上の子たちが集まりました。当時は週2回で1回2時間の授業をしました。2時間ごとに生徒を入れかえたので50人いても平気でした。まだ私は若くて元気でした。
その3人娘は当時中2ですから13~14歳でしょうか。あれから27年彼女たちも今では中学生や高校生の親になっているのですね。
いつか1期生のみなさんに会えることがあるかもしれません。そういう思いはいつも抱いてきました。私の原点の心が甦る子たちです。
私には忘れられない元代々木教室です。