草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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「心の指導」&算数の芽

2010年01月25日 11時42分05秒 | 
◎「心の指導」第1編加筆訂正

 ○指導観の形成
  指導とは何か。
 竹の会の十余年は指導に悩んだ私の軌跡です。幾度となく壁に突き当たり, 悩みそして絶望し, そしてあるときは困惑し憤り, そしてそれからほんの一瞬の感動もありました。私は理想の指導とは何かをいつも追い求めてきました。最高水準の指導を提供するためにと, 英語の研究に没頭し, 首都圏のほとんどの数学過去問を十年以上も遡って解き尽くし, 様々な本を読んできました。そういう中で, 様々な個性に特徴づけられた小学生や中学生と接し, 中学入試や高校入試そしてあるときは大学入試と幾度となく難局を切り抜けてこれたのは幸運でした。
 長い指導の中から私の心におぼろげに形成されつつある指導観らしきもの, そういうものについてこれからお話ししていこうと思います。
 ○教えない指導のこと
 古代工法で大伽藍を造営できる最後の日本人といわれた西岡常一さんの話しをしてみたいと思います。
 私は何年か前に偶然NHKの特集で西岡さんの精神に触れとても感銘を受けました。ところが, 江崎玲於奈博士が同じ番組を見ていたらしく, その著書で西岡さんに共鳴していることを知りました。
 名工の西岡さんの弟子教育法はとても興味深く私は自分の指導論に意を強くしたのです。西岡さんは, 「弟子には, 鉋(かんな)の使い方など細かく教えない。教えると, 自分より上手にならない」と言います。実際, お弟子さんには, 手を取って鉋の削り方を教えることなどはしないで, 「私の削った鉋クズを見て削り方を盗め」と言ったそうです。そして, 弟子の小川さん(後に名工となります)が一生懸命修業を積んで一人前になったとき, 西岡さんは「小川は木の心をよくわかっている。小川はもう私以上の腕前だ」と言ったそうです。
 師匠が弟子に何も教えない。これはどういうことなのでしょうか。
 この点に関して, 江崎博士は西岡さんの考え方を次のように分析しています。
 「一人前の宮大工としての器量は, 単なる技術や知識にとどまらず, 木の本質を捉える力を備えることだ, といっているのだ。この西岡さんのエビソードこそ, 教えること, そして習うことの大切なポイントを暗示している。つまり, 安易なお手本を示して, それを倣いなさいとやるだけではお手本以上のものが出てこないのだ。」(要約しています)

 西岡さんの弟子教育法はあまりにも私の指導法と近似しているので, まずびっくりさせられました。かつて教科書の隅から隅まで分かりやすく教えたことがありました。その結果は悲惨なものでとても予期した成果は得られませんでした。実は教科書の問題などは自分で解かせたほうがずっと能力を伸ばせるのです。つまりは鉋の使い方は自分でつかむしかないのです。

 江崎博士は続けます。
 「西岡さんが師としてお弟子さんに伝えたかったことは, 人間としての一番基本になるところは, 自分自身で探求しなさいということだったのでしょう。一般的に, 日本の若者は, 「こうやれ」と言われるとよくできるが, 自分から何かを発見することは苦手です。それに挑戦する精神も乏しい。日本の学問は, ものを習う習得型で, 何か新しいことに挑戦する探究心の教育を受けていない。」

 と, まあ最後ののところは, 日本の教育をチクリと批判しています。しかし, まあ, 師匠が教えないことが才能を伸ばすとは何ということか。しかし, 実質的に見てみると, 師匠はすばらしい指導をしているのではないか。それにしても, 私の指導の核心を実に見事に言い当てた西岡語録には驚かされることばかりです。

◎算数の芽
 初めての小学生が竹の会にやってくるとき, その小学生の未来が実は私には見えてしまいます。言われたことを熱心に黙々とやる子に出会うと, まず一安心です。たいていは30分もすると, 飽きてしまいます。ここが第一関門です。言われたことを黙々とやれるということは, まず伸びるかどうかの分岐点です。さてその上で, 今度は子どもので算数の芽のあるかないかが実はわかってしまう。私の説明を理解できる程度によってその子の知能段階は明確に把握できます。子どもの知能段階は, 言われたことに示される行動様式や反応でも如実に読み取ることができます。一般に, 説明を受けて, 嬉々として取り組む子どもはかなり知的好奇心が旺盛で, 知能は高いと推測されます。説明の何%くらいが, 理解されているのかが, まず指導の最初のポイントになります。公立小の普通の子で, その理解程度は, 限りなく0%に近いのではないでしょうか。理解できないという場合, たいていは, 最近の私の研究では,おそらく「同じものを区別できない」程度に未分化な思考レベルの子が大半かと思います。「同じものと違うものを区別することができる」能力レベルよりも一段と低いレベルです。ですから,同じものと違うものの区別はもちろんできません。ある2対象が同じものかどうかが判断できないくらいに未分化の脳状態ですから。
 このような脳の未分化な状態にある子には, 実は西岡さんのような指導法は不可能です。いや私ならそういう子に指導が可能といっているのではありません。それこそが私を悩ませるものなのですから。
 私が算数の芽を見た子はまちがいなく伸びていきます。算数の芽とは思考の芽と同じです。しかし, はっきりとした芽をもっている子というのは, 稀有です。たいていはほとんど見えない芽をなんとか掘り起こして, なんとか育てていくようなことです。不幸にも芽そのものがないという子も当然いるわけです。

◎今週から, 通常の指導日程となります。1日置きの指導というのが, 実は指導効果の点から, 理にかなっているのだと思っています。昨日読んだ「忘却の整理学」という本は, そのことを理論的に説明してくれています。よく何かを読んでいるときに, 途中で, 気になっていた難しい理論の本などを読みだすと, すいすいと理解していくことがあります。人間の生理的本性として, あることを勉強しているとき, その知識を継続してinputし続けると, 効率が落ちてくる。それで生理的に受けつけなくなる。そういうときは「忘れる」という脳の働きがとても大切とされる。そういうときに, 別の本を読んだりすることは, 生理的には, 目下の勉強対象を「忘れる」ことになり, かえって別の勉強がよく理解できるということらしい。自分の経験に照らしても納得できる説明です。としてみれば竹の会の1日置きというのも, 「忘れる」ためには必要だということになります。誤解のないように言っておかなければならないのは, ここでいう「忘れる」は, 単なる「忘れる」ではなく, それまでに吸収した知識を再構成するために必要な脳の必要時間ということです。ですから, そういう時間を脳に与えてやるために継続して知識を入れ続けてはならないということです。
 
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