草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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今日から第2週に突入

2009年07月27日 08時22分35秒 | 
 四苦八苦, 「散々苦労すること」とある(広辞苑)。もともとは仏教用語で, 四苦は, 生老病死(しょうろうびょうし)の四つのこと。これに, 愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとくく)・五陰盛苦(ごおんじょうく)の四つを合わせて八苦とする。要するに, 人生の苦の総称という意味合いである。
 怨憎会苦 怨み憎む者に会う苦しみ。
 五陰盛苦 五陰から生ずる心身の苦しみ。五陰とは, 存在の五種の原理。
 求不得苦 求めるものの得られない苦しみ。
 愛別離苦 愛する者と生別・死別する苦しみ。

 四苦八苦について, 辞書を紐解いてみた。難解な四字熟語が出てきた。それでそれぞれ辞書で調べてみた。苦しみを見事に分類しきっていることに, まず感心した。人生というものは, 八苦の織りなす模様にすぎないのか。長い苦の合間にほんの一瞬の楽がある。楽は一瞬のことにすぎない。八苦は人生のほとんどを塗り尽くすかの如くである。テレビの水戸黄門の主題歌に「人生楽ありゃ苦もあるさ」とあるが, 苦と楽の比率は1対1ではない。苦>楽 が成り立つ。美輪明宏の書いた本にはやたら「正負の法則」というのが出てくる。「いいことがあれば必ず悪いことがある。それでプラスマイナスゼロになるように人生はできている」というわけだ。かなり主観的な言い分ではあるが, なるほどと思わせるのが美輪の主張にはある。それにしても, プラスマイナスゼロというのはなんとも主観的な差し引き算で, 私などは主観計算なら, 実はマイナスなのではないかと思ったりする。
 苦といっても平穏な日常の中での苦というものは, 苦そのものが超主観的苦のことが多い。現状に満足できないところから作りだされた苦である。八苦の苦はもちろんそうした苦も織り込み済みである。

 前置きがなにやら説法のようなことになってしまったが, 子どもたちが「わからない」といってかかえこむ苦というものを考えていたら難しい話しに迷い込んでしまった。
 いつも思うのは, 子どもたちの「わからない」という苦からの解放のことばかりである。「ある量の30%を捨てた残りが840gあった。ある量とは何gのことか。」。このとき, 「それなら840gは全体の70%にあたる」と考えられない子がたくさんいる。深刻な顔をして30分たっても1時間たっても白紙のままという子がいるのである。かつて「480円の2割増しは」と聞かれて分からなかった子は, 「先生の言うことが全く理解できない」と言って竹の会を寂しく去っていった子であった。「わからない」にまつわる悲しい実話に事欠かない。「原価の2割増しの定価480円の品物の原価はいくらか。」という問いに「わからない」で思考停止する子たちの指導をもう十何年もやってきた。
 絶望という壁をそれでも何かのとっかかりを探しながら, よじ登る。途中で何度も崖底に落下して失望しながら, また始めからよじ登る。たまに少しだけ安堵する。
 子どもと真剣に接する中から, 子どもたちのその都度見せる思考のかけらもないことに衝撃を受け, 深刻に受け止めながら, 次はどう指導するかに思いをめぐらす。思考のかけらもない。だから思考のかけらくらいは見せてほしい。

 今日から夏の第2週が始まります。体調に十分気をつけて勉強に専念してください。もう来週は8月です。夏はあっという間に終わります。そのときに何かをやったという実感がもてればと思います。辞書を引きながら英文解釈に没頭した夏の記憶は苦しかったが「がまんして」がんばった記憶とともに, そののちもたらされた「わかる」というなにものにも代えがたい宝物を得た気持ちでした。
 
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