草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
※2015年10月より竹の会公式HP内にブログ移転

「竹の会にきて成績が上がりました」

2012年12月07日 10時07分24秒 | 
 お早うございます。今日も青空が広がっています。本日は塾はありません。ノロウィルスなどによる感染性胃腸炎の患者数が99年以降で最多になったそうです。「手洗い」が最高の対策ということです。竹の会では昔から子どもたちに石けんで手を洗うことを強制してきましたし、手消毒用のアルコールは何年も常備してきました。去年はノロウィルスとマイコプラズマ(細菌)が流行り、竹の会でも感染した子が出ました。みなさまご用心ください。
 きのうは突然模試を受けたいという中学生に教室まで受験票を取りにきてもらったのですが、わたしが仕事で手が離せないので、かみさんに教室で待機してもらいました。そのときに中学生と少し話したらしく冒頭の「竹の会にきて成績が上がりました」ということを言ったらしいのです。彼女は学年1番であり、確かオール5でしたから、「成績が上がった」というのは、「実力がついた」ということなのだろうと思います。女の子がわたしに直接そういうことを言うのはほとんどないので、そういうことを間接的にも聞くことができてとてもうれしく思いました。
 塾というのは、やはりそういうところでなければならないものと思っています。
 平成22年に都立富士に推薦合格した女子は、中2の4月に竹の会に来たとき見せてくれた通知表は5が4個ないし5個はあったと記憶していますが、その彼女が中3の定期テストのときに「先生、数学が初めて90点を超しました」とうれしそうに報告してきたことがありました。彼女は中3の最終内申は5が7個でしたから、彼女と彼女のお母さんが言うように「竹の会のおかげて成績が上がりました」というのは、彼女の高い知能とまじめな努力の結果なのでしょうが、そう言われたことはうれしくもありました。
 直接女子から言われたのはその子が初めてであったような気がします。男子というのは、昔から「先生、竹の会にきて数学が5になりました」というような子がたくさんいまして女子とかなりちがいます。平成10年までは中学生の半数が数学5というのは竹の会ではふつうのことでした。竹の会というのは知能が高くてまじめな中学生には最高の塾なのだと思っています。
 裏から言えば、勉強しない中学生は全く合わないでしょうし、知能的に問題のある、学習不振児、落ちこぼれなども成績が上がっていくのを実感しながら伸びていくというかたちにはならないと思いますのでやはり無理かなと思います。
 竹の会というのは、退塾というのが少ないですけど必ず年に何人かは出ます。竹の会から告知する前にその意向を察知して退塾を申し出るというかたちがいちばん多いと思います。わたしがブログでそういう意向を語るのが親御さんに伝わるようです。塾の方から「止めてくれ」と言うのはエネルギーが要りますが、逆のほうが収まりがいいのです。
 退塾に追い込まれる子というのは「入会テスト」を受けていない子が大半です。優秀な子でも途中「失速」して勉強から逃げるということもよくあります。
 強い勉強の意思をもった子というのは、少ないのがふつうです。竹の会ではそういう子との出会いを願っています。
 勉強することそのことに迷いのある子は竹の会には来てほしくはありません。ましてや「勉強しないから竹の会へ」などというのは言語道断です。
 竹の会と「出会う」機会に恵まれた子たちは幸運と思います。
 よく「もっと早くに竹の会に来ていればよかった」という親子がいますけど、実はこの言葉は竹の会に入会するのが遅かった人たちが例外なく言う言葉なのです。出会いというのは偶然のなせる業ですからね。今気になっているのは9月にきた小6のことですけど、かなり焦っているような感じを受けます。そのために問題の解き方が性急で雑になっているとすればそれははっきりとマイナスです。じっくりと確実にこなしながら進めていきギリギリ間に合えばよろしいのではないでしょうか。気ばかりあせって空滑りするのは力がつかないままに行きそうで恐いですね。
 小5の途中で来た子というのはやはり竹の会では損だと思います。それで勉強以外の野球などを熱心にやっているとなるともうだめなのかなと思います。受検するのなら勉強以外のことをやってはだめとおもうのです。甘いというほかないのです。ただそうは言っても、つまり小5にきた子たちでも竹の会で学べば合格する可能性が高くなることはまちがいないと思います。早くからきていればそれだけ合格を確実にすることができるという話しですから、遅くスタートしたからといって合格できないわけではない。いや竹の会の指導を受けていればそういう状況ならそういう状況にある子をいかにして合格にもっていくのかというのが竹の会だということですから、合格する蓋然性は高いと思っています。
 竹の会の凄さというか、指導のすばらしさというのは、実際に竹の会の指導を受けてみて初めて「悟る」ことなのですね。
 たとえ竹の会に来て、見学して「見て聞いても」竹の会の指導の真のすばらしさはわからないということです。わたしは折角竹の会までやってきて見学しても素通りしていく人たちというのは、とんでもない損をしているのだと思っています。だって竹の会に入会した人たちはまず例外なく竹の会の指導のすばらしさにたちまち心酔してしまうことになるのですから。
 竹の会の凄さというのは、実は別の所にあるのかもしれません。
 成績にしても、実力にしても、わたしの思い描いたととおりに、実際に「なる」ことです。きちんとこなしている子なら模試でもきちんと「成績をとる」ということがわかるはずです。もし思うように成績がとれないのなら、それはわたしの言うとおりにやっていないからです。わたしの指示を100%守っていないからです。特に、母親の指示を優先させていると所期の結果は絶対に出ません。わたしが「作文を書け」と言えば書くことです。「何日までにやって出せ」と言えばやって出すことです。
 かつて入会したのに成績が悪いという中学生がよくいましたが、そういう中学生というのは市販の参考書を竹の会でやったりとか、わたしが「やれ」と言ったことではなくて自分の裁量で科目を決めてやっていた子たちでした。見所のある子にはわたしが諭してわたしの指示通りにやるように言います。かつてそれで成績が突然急伸したという中学生が数人はいました。いずれも共通点は知能の高い子たちでしたけど。中には英語が中1の学年末で30点ほどだったのが、中2の末には90点台をふつうに取るまでになった子もいました。この子は都立入試で英語100点を取った子です。
 竹の会では指導を仰ぐことが必要です。指示を100%遵守することが必要です。

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