草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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気の正体

2009年07月25日 08時30分18秒 | 
 夏も1週を回ると, 指導の流れというか, 全体像みたいなものが見えてくる。
 適性過去問の見通し。
 案の定, 割合初心者は最初の配った過去問を未だに出しきれないでいる。思えば, 2年前の指導でも, 過去問はほとんど白紙答案だった。ほとんど小6の4月から7月にかけての入会で割合どころか通分を知らない子も何人かいた。小5からいた子も 3時間指導等の事情で少しだけましという程度であった。
 今年はそのときの反省から早期からの長時間指導を訴えてきた。小5や小4から指導スタート組が伸びている。適性過去問については, ばらつきがあるが, とにかく前には進んでいる。
 適性過去問というのは, 様々な能力が試される坩堝の様相がある。割合などの理解が幼い子はやはり算数的分野の問題は全く手も足も出ない。さらにはそういう理解段階では, 全体に読解能力が低調で, あの当時ほとんど白紙答案だったことを彷彿とさせるものがある。過去問は時期尚早で割合などで思考力を鍛えるのが先かと考え込む。2年前は過去問を先送りしたため冬休みから1月にかけてドタバタしてしまった。満足に復習もできないままに本番に突入した苦い経験が蘇る。しかし, 思考力が未熟なままに過去問を強行するわけにもいくまい。
 去年の秋くらいから, 割合思考を鍛え抜いてきた現小6にしても過去問は慣れないせいかなかなか進みが鈍い。ひとり現小5の子が抜きんでて快進撃をしている。第1週は「慣れない」ということにして, 第2週にはもっと進むことを期待したい。
 過去問はすべて原稿用紙を答案用紙にしている。できたら, 提出する。その場で私が問題を1問1問解きながら採点してゆく。この作業がなかなか大変だ。作文も含めた適性問題フルコースを逐一検証し, できなかった問題や不合格の作文はすべてやり直しないし書き直しとなる。再度の提出でOKが出れば晴れて合格ハンコをもらい, 次の過去問に入る。作文は3回も4回も書き直しということもある。何がいけないのか細かい注意をしつこいくらい繰り返す。やはりなかなか合格が出ないということも先へ進めない原因のひとつか。割合の理解が幼い子は第1週が終わって答案の提出はなしであった。

 夏の1日は短いようで長い。長いようで短い。7時間集中を持続させるのは特に小学生にはハードルが高い。ちょっと目を離すと細かいトラブルがあちこちで発生するのも小学生だ。以前には中学生にもそういう輩がいたが, すべて一掃してしまった。中学になって集中できないというのでは「切る」ほかない。
 「わからない」状態が続くと, 隣にちょっかいを出して「気」を紛らせる。消しカスを飛ばす。 エンピツなどを隠す。小学生は男の子は当然としても女の子でもまだまだ幼い。集中の継続が難しい。それで「気」を散らす子も出てくる。
 「気」をコントロールするのも指導の内包である。空「気」を読むの気である。「気」がある, 「気」押される, 「気」力がない, やる「気」がない, 「気」の毒, じらす「気」ですか, 「気」まま, 覇「気」, 元「気」, 「気」分, 「嫌」気・・・と「気」のつく言葉すなわた心にまつわる言葉はいろいろある。「気」というのは, 人の心のベクトルのようなものだろうか。数学でベクトルというときは, 力の大きさと方向を意味している。それにかけていえば, 心の動機づけの大きさと方向(対象に向けた)を表わすのが「気」で, 心の方向とその方向に向けた力の大きさのようなものかもしれない。
 小学生は, 元気もいい。覇気もある。陽気な子もいる。内気な子もいる。小学生を指導するのに「気」は抜けない。「気」を使うこともある。総じて「気」のコントロールに帰着する。

 気を持続させて, 気を集中させて, ひとつのことに「気」を与え続けること。これを集中の持続という。人間がどれだけの時間集中を持続させることができるかについては諸説がある。3時間という説もある。韓国の天才小学生は24時間集中を持続できると紹介されていた。気をひとつのことに集中させる。これが勉強ができるようになる極意である。だが多くの凡人にはそれができない。だから勉強ができない。音楽を聴きながら勉強するという人がいるが, 素で気を勉強にもっていけないということの裏返しであろう。大人でも子供でも「好きなこと」には集中できる。一心不乱になれる。没頭できる。気をもっていくのに苦労しないのは, 気を妨げる抵抗勢力を一蹴できる勢いがあるのであろう。「気」の持っていきかたというのであれば, 強い動機づけという潮流に気を乗せることもいい。ひつとのことに気を集中させるところから気がついたら気の持続に成功していたということもある。気は流れやすい。変化しやすい。「気」が変わるのも朝飯前だ。気が入らないから眠くなる。なにしろ気というのは, 目に見えない人の心をつかむための一瞬一瞬の残像なのだから。
 ある脳の本によると人の認識している像というのは, 5秒ごとに一新されているそうだ。たとえばモナリザの絵を見ているとして, そのモナリザが脳に認識されるとして, 5秒たつとそれまでのモナリザの記憶は消えて新しいモナリザが認識される。それで人間はずっと同じモナリザを見ていると錯覚しているというのだ。そうなると, 人の「気」というのも, 5秒ごとに更新されているのかもしれない。これは脳科学には全くの素人の暴論ですが。
 「気」を取り直して, 「気」にいる「気」にいらないなどという我儘を言わないで, ブログを更新します。
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