「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

京都、二日目、六波羅蜜寺と六道珍皇寺

2007-10-05 23:55:59 | 見仏(京都)
 六波羅蜜寺を探して、バス通りから、
緩やかな坂道を下っていた。
すると、右手にお寺がある。
六波羅蜜寺ではなさそうだが、入ってみようか
どうしようかとたたずんでいたら、
前からおばさんが話しかけてきた。
話好きのおばさんで、ここのお寺は、いいよ・・・。
ただ、だし。
ついでにおばさんに六波羅蜜寺はどこかたずねてみた。
下った左手のほうにあるとのこと、
私(おばさん)もこれから行くから、また後でと、
おばさんが言い別れた。

 いいと言われたし、見ないわけにもいかないので、
六道のほうを見ていくことにした。
のぞき穴のようなところから、部屋の中を見ることができた。
仏像というよりは、やや新しめの平安時代調の人物や、
えんま様がいただろうか。
特にこれといった見所はないような感じだった。

 六道という言葉からは、地獄とか畜生道とか、
あまりいいイメージが浮かんでこない。
死を恐れてしまう言葉。

 さて、六波羅蜜寺へ。
本堂にも多少ぶつがあったりしたが、
やはり、空也上人。やや小ぶりな空也上人の口から、
小さな阿弥陀如来が6体でているという、
非常に変わっているぶつ。写真ではよくみたことあるが、
生で見ると細かいところに気がつく。
口から出ている阿弥陀如来をつないでいるのは
針金かなとわかったり、空也上人の眼は玉眼だったり。
とにかく、遊び心のあるユニークなぶつである。
見ていると、先ほどのおばさんが声をかけてきた。
もう先へ行ったのかと思っていたが・・・。
平清盛像について、これいいよねー。
・・・死にたくなかったんだろうね。
とかなんとかいっていた。
さらに、「あそびあし」という言葉を出したので、
何の意味か尋ねたら、ぶつの足がそろっていなくて、
片側が少し前にでているさまを言うらしい。
そういうのは珍しいですね。と返した。
そのおばさんは、話好きで、かつ、ぶつが好きそうで、
受付のおじさんに何かと話しかけていたようだった。
コメント
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