「見仏」と「聞き伝え法話」と「仏教少々」

仏像鑑賞と受け売りの仏教を少し

「東寺の謎」という本、東寺、仏像等について

2008-04-03 22:54:45 | エピソード
東寺の謎という本を今読んでいて、
箇条書きに気になったことを書き留めてみることにした。

・平安京に都が移った頃、お寺があったのは、東寺と西寺
 だけであった
・平安時代、西寺は、雨乞い競争で東寺に負けたことも
 要因で、東寺のほうが繁栄
・空海が中国から持ち帰った仏舎利(釈迦の遺骨)は
 80粒ほどだったが、その後、仏舎利の粒が数千以上に
 増えていた(ありえないことだが)
・東寺の伝統として、仏像の中には、仏舎利が納入
 される傾向があった
・5Mほどの千手観音があったが、昭和初期の火事で、
 損失した
・わが国最初の不動明王は、空海の指示により東寺で 
・大日如来はなぜ装飾具をつけているか
 (如来は普通装飾具をつけないが)
 →人間に近い世界から、法を説くことを示している
・真言密教には、極楽浄土、輪廻転生ということばはない。
 特徴として即身成仏ということばがある
・東寺と言ったり教王護国寺と言ったり
 最初からは東寺という名前で、空海の遺言状に、
 教王護国寺と命名。現在は2つの名前で言われている
・足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉らは、
 東寺を本陣として利用した
・とばつ毘沙門天のとばつは、中央アジアのコータンと
 いう地域の名前だったとか
・弘法大師像(国宝)を作った康勝という仏師が
 空也上人の像も作った
・西寺は990年の原因不明の火事をきっかけに、
 滅んで行った
 都がその後、東側に移って、かろうじて西の端に
 残った東寺は存続。
・一揆が原因で1240年頃、東寺は大火に見舞われた
 農民が東寺に立てこもり、幕府側に対し、
 東寺内に立ち入ったら東寺を燃やすぞと、
 農民がおどしをかけているさなか、火事となり、
 金堂、講堂などかなりが火事で焼失。
 仏像も多数焼失。今ある大日如来、薬師如来等は、
 その後作り直したもの。
・東寺が大火に見舞われた後、東寺は滅亡していても
 おかしくなかったが弘法大師信仰が根強く、
 復興することができた
・江戸時代までは、神仏習合で、神社ですることも
 お寺ですることも僧侶が行っていた
・明治になり、神仏分離令がでて、神社、
 寺は切り離された。神道を天皇と結びつけ、
 国家宗教となり、仏教は古い伝統扱いされた。
 また、仏像もたくさん破壊された。

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