「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、法話2017.6.2

2017-06-02 21:52:18 | 仏教
櫻井という東京のお寺の住職。42才くらい。
髪は中学生の丸刈りくらいに短かった。

以前何回か聞いたことのある方だったようだが、
かぶった話はなかった。

今は法話をしているほうだが、
法話を聞く側になることもある。
ある法話を聞いたときの話。

親鸞上人から8代目となるれんにょ上人の「ご文書」は、
法話師のほうが朗読するが、そのときは、
聞いているみなさんもいっしょに唱えましょうということで、
レジメが何枚かすられて配られた。

ところが枚数が足らず、自分のところには回ってこなかった。
でも、自分は、「ご文書」は暗記しているしいらないと
思っていたが、後ろから、レジメを差し出す方がいた。
いっしょに読みましょうね。

暗記しているから、かまいませんとは言えなかった。
同じ浄土に生まれされてもらう仲間といっしょに読んだ。


自分には2歳の娘。生まれたとき、それはそれは喜んだ。
母も自分以上に喜んだ。
今は二世帯住宅だが、そうでないときでも週に3回くらいは
何かにつけて娘に会いに来た。
20年30年たったらうれしいという気持ちも薄らいでくる。

「人生とは苦なり」とブッダ。
避けて通れないこと、「死」。
「死」を苦しみと感じない仏という存在になること、
それが「仏教」。
親鸞上人は自分で仏になるすべは持っていなかった。
仏に生まれさせてもらえる「なもあみだぶつ」
という念仏。阿弥陀如来のことば。
(親鸞上人はそれに気づいた)



ゆったりした話ではっきりしたしゃべり方で話す内容が
わかりやすかった。
少しだけ、ユーモアがあればもっとよかった。

コメント
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