「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、法話2015.1.30

2015-01-30 23:28:47 | 仏教
大阪のほうの僧侶。

仏の表し方に、
おみょうごうというものがある。

仏様の名乗りが阿弥陀様の両脇に書いてある。
(かけじくに書いてある文字)

・・・
あんじょうのごえい
・・・


難しい言葉を使っての説明。
学校の講義を聞いている状態に近い。

ときおりだじゃれが入り、
笑いが出ることもあるにはあった。

興味が持てず、
「聴聞」というスイッチを今日は
切ることにした。

次第に、目をつぶりがちになる。

そういうときに限って
寝ないで聞いてよといわんばかりに
大きな声のトーンになる。

まあ、それでも、
ときどき、言葉に耳を傾けた。

・・・
自分で、自分の幸せに気づかないで
生きてしまっている。
・・・
葬式は、卒業式。
死は新しい命の始まり、
浄土へ生まれる。
・・・


僧侶から見て
聴聞している人の反応が
いまいちと感じたのだろうか・・・
(うなずきがない)

・・・でしょ?
・・・ですね?
・・・ですよ。
・・・と思いなさい。

という口調になってきた。
こういう言い方をされると、
神様仏様のいうことを信じなさい。
と、宗教的だなという思いが
強くなってしまう。



少なくとも、今日の法話は
自分には合わなかったなと思う。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする