「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

もうひとつの薬師寺展

2008-05-11 20:57:45 | 見仏(特別展)
 東京国立博物館でやっている薬師寺展に並行して、
東京の薬師寺別院で、もうひとつの薬師寺展というのを
やっているというので、行ってみた。場所は五反田。
閑静な住宅街の中にある。
ちょうど、美智子妃殿下の生家があったところに近い。
建物は、いわゆるお寺らしい外見はなく、
お寺だと気が付かず最初、通りすごしてしまった。
 薬師寺は、他のお寺と比べて大きく違うところ。
それは、檀家を持たなければ葬式もしないし、
お墓もない。それでは何をするところか?
簡単には、文化センターという言葉で表現される。
つどいの場であったりする。
が、お寺本来の役割である仏教を通じて、
人々の心をいやすということ。ちょうどキリスト教の
日曜日の礼拝などのように。

 お墓がないということなので、近隣の住宅は、
いっさい気にしなくてすむ。
 
 さて、見仏だけの期待で行ってみると、
ラッキーなことに、法話もあった。
そういえば東京の薬師寺別院は、定期的に法話を
しているようだ。ただし、お寺ではなくカルチャー
センターのようなところで、有料で行っている。
有料で法話をしているのもあってか、
お話の仕方にすごくなれているなという印象があった。

 年配の僧侶と、23才の僧侶の短い2つの法話を
聞かせてもらったが、ユーモアも十分にあって、
感心した。
 
 さて、法話の内容。
仏教の大きな一面で、慈悲という言葉がある。
相手のことを思いやる心。
人々が慈悲の心を持てば、穏やかな世の中に
なるのに・・・。

 同様に、自利よりも利他。自分の利益よりも、
人のために何か役に立てることをする。
年下であっても、おのおのそれなりに、
得意な分野があれば世の中に対してできることが
あるのでは?

 ちょうど23才の若い僧侶であるが、そのお話には、
考えさせられる。ふと、世の中のために、自分が
何かできることがあるのではないかと思う。
 
 写経というのは、裏に移った般若心経等のお経を
かき写していくものである。まねて書く。
まねる。というもともとの意味は、まなぶという
意味からきているという。

 薬師寺の薬師如来、両脇の菩薩について、
おもしろい表現をされた。
薬師如来はお医者さん。両脇は、日勤の
看護婦さん(日光菩薩)と夜勤の看護婦さん
(月光菩薩)。決して間違っていない。

 さて、今回のぶつは、木目が表面にでてきている
3体の味わいのある十一面観音。
宝冠をしている弥勒菩薩坐像(おもちゃのような
木でできた宝塔を両手で持っている)。
小さい30cmほどの毘沙門天、刀がなくなっている
文殊菩薩。玉眼の地蔵菩薩などが
展示されていた。


コメント
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