「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

法話、築地本願寺2008.4/4

2008-04-04 13:19:44 | 仏教
 長野のほうの住職の法話。

 最初に、無明(闇)という言葉を書かれた。
無明は、明らかになっていないこと、
無知だということ。さらに無明の説明として、
疑と根本という言葉をあげた。
 疑は、(これは浄土真宗と特徴だと思うが)、
阿弥陀様のお力に疑いを持つということ。
必ず死んだ後は、阿弥陀様が、極楽浄土に導いてくれる。
 根本は、欲(貪欲)、ねたみ、愚痴といった煩悩をさす。

 闇を説明するのに、長野の善光寺のかいだんめぐりの
話をされた。
かいだんめぐりは、本堂地下のまっくらなところを、
お参りするというもの。
たいて人々は、真っ暗なのに
必死で目をあけて見ようとする。
目をあけてもあけなくても同じ状況なのに、
自分の力にたよっている。
(自力にたよればたよるほど、煩悩が大きくなるということ?
また、阿弥陀様におまかせしておけば、
極楽浄土に導いてくれるということ?)

 煩悩の話しで、面白いお話し。
宝くじ2億あたった人へのインタビューで
あたった本人が失敗した。と言った。
なぜか、連番で買っておけば、
前後賞でさらに1億あたったのにと残念がったこと。
煩悩(欲)を示すおもしろいお話であった。
でも後でよく考えると、ばらで買ったからこそ、
2億あたったのではないかと思ったが。

 その他に、あきらめるという言葉や、
忌という言葉について。あきらめるは、仏教用語で、
物事をあきらかにしてみていく。ということで、
今の一般的な使われ方とは違う。
忌は、己の心はいまわしいと書く。
亡くなった人のことを思い、自分のことも
見つめなおすということではないかということ。
コメント
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