長野のほうの住職の法話。
最初に、無明(闇)という言葉を書かれた。
無明は、明らかになっていないこと、
無知だということ。さらに無明の説明として、
疑と根本という言葉をあげた。
疑は、(これは浄土真宗と特徴だと思うが)、
阿弥陀様のお力に疑いを持つということ。
必ず死んだ後は、阿弥陀様が、極楽浄土に導いてくれる。
根本は、欲(貪欲)、ねたみ、愚痴といった煩悩をさす。
闇を説明するのに、長野の善光寺のかいだんめぐりの
話をされた。
かいだんめぐりは、本堂地下のまっくらなところを、
お参りするというもの。
たいて人々は、真っ暗なのに
必死で目をあけて見ようとする。
目をあけてもあけなくても同じ状況なのに、
自分の力にたよっている。
(自力にたよればたよるほど、煩悩が大きくなるということ?
また、阿弥陀様におまかせしておけば、
極楽浄土に導いてくれるということ?)
煩悩の話しで、面白いお話し。
宝くじ2億あたった人へのインタビューで
あたった本人が失敗した。と言った。
なぜか、連番で買っておけば、
前後賞でさらに1億あたったのにと残念がったこと。
煩悩(欲)を示すおもしろいお話であった。
でも後でよく考えると、ばらで買ったからこそ、
2億あたったのではないかと思ったが。
その他に、あきらめるという言葉や、
忌という言葉について。あきらめるは、仏教用語で、
物事をあきらかにしてみていく。ということで、
今の一般的な使われ方とは違う。
忌は、己の心はいまわしいと書く。
亡くなった人のことを思い、自分のことも
見つめなおすということではないかということ。
最初に、無明(闇)という言葉を書かれた。
無明は、明らかになっていないこと、
無知だということ。さらに無明の説明として、
疑と根本という言葉をあげた。
疑は、(これは浄土真宗と特徴だと思うが)、
阿弥陀様のお力に疑いを持つということ。
必ず死んだ後は、阿弥陀様が、極楽浄土に導いてくれる。
根本は、欲(貪欲)、ねたみ、愚痴といった煩悩をさす。
闇を説明するのに、長野の善光寺のかいだんめぐりの
話をされた。
かいだんめぐりは、本堂地下のまっくらなところを、
お参りするというもの。
たいて人々は、真っ暗なのに
必死で目をあけて見ようとする。
目をあけてもあけなくても同じ状況なのに、
自分の力にたよっている。
(自力にたよればたよるほど、煩悩が大きくなるということ?
また、阿弥陀様におまかせしておけば、
極楽浄土に導いてくれるということ?)
煩悩の話しで、面白いお話し。
宝くじ2億あたった人へのインタビューで
あたった本人が失敗した。と言った。
なぜか、連番で買っておけば、
前後賞でさらに1億あたったのにと残念がったこと。
煩悩(欲)を示すおもしろいお話であった。
でも後でよく考えると、ばらで買ったからこそ、
2億あたったのではないかと思ったが。
その他に、あきらめるという言葉や、
忌という言葉について。あきらめるは、仏教用語で、
物事をあきらかにしてみていく。ということで、
今の一般的な使われ方とは違う。
忌は、己の心はいまわしいと書く。
亡くなった人のことを思い、自分のことも
見つめなおすということではないかということ。