ボクシングレヴュー

「TM」はタイトルマッチ、階級名につく「S」はスーパー、「L」はライトの略です。

WBA世界ライト級TM 畑山隆則vsジュリアン・ロルシー

2001年07月01日 | 国内試合(世界タイトル)
初めは、文句なく畑山の勝ちだと思った。常に前に出続けていたから。
しかし僕はその時、ボクシングの採点において大事なことを忘れていた。
「前に出る」イコール「攻勢」ではないのだ。例え下がりながらでも、
的確にパンチを当てた数ではロルシーの方が上だったのだ。

そしてもう一つ忘れていたことがある。ロルシーははっきりと、
「ボクシングはスポーツである」と考える選手であったことだ。
戦前から、僕を含めた日本のファンのほとんど、そして恐らく
畑山自身も、激しい打ち合いになることを信じて疑わなかった。

これは考えて見れば不思議なことだ。原因はある。まずはロルシーの
いかにも「殴り屋」然とした、短躯でガッチリとした風貌。そして
初めにタイトルを獲った、JB・メンディ戦での豪快なKOシーン。

しかし実際のロルシーは、アマチュア歴も長く、バルセロナ五輪の
フランス代表にも選ばれたほど技術レベルの高い選手である。
今回の試合でも、その「巧さ」をいかんなく発揮していた。

何しろ試合運びが上手い。強打をちらつかせておいて細かいパンチを
当てたり、コーナーに誘い込んでカウンター、あるいは打ち終わりを
狙ったり、とにかくパンチを当てる術を心得ている。終盤のクリンチも、
自分のスタミナとそれまでのポイント差を計算した上で、今あえて
打ち合う危険を冒すことはない、と判断したためのものだろう。
サッカーなどでも、リードしていたら終了間際にはとにかくボールを
相手に渡さないように「流す」ことがある。これは立派な「戦術」だ。

対する畑山。確かに終始前に出続けたが、逆に言えば「前に出ることしか
できなかった」ということだろう。打ち合いを挑むしかなかったのである。
それでもかつてのチェ・ヨンスー戦のように、ハイテンポの乱打戦に巻き込む
ことができれば畑山にも勝機はあった。しかしいかんせん手数が少なかった。
もちろん、それをさせなかったロルシーの巧さもあったのだろうが。

前回のリック吉村戦も同じような展開だったのに、リックは引き分け、
ロルシーは勝ち、という採点はおかしいじゃないか、と言う人もいた。
しかし明らかに違うのは、リックは畑山に距離を詰められた時には
クリンチするしか術がなかったのに対し、ロルシーはガードを固めながらも
機を見て打ち返していた。アウトボクシングしかできないリックが勝つには、
常に離れて戦うことが必須条件だが、リックは畑山の接近を許してしまった。

また、軽打の数で上回ったリックに対し、畑山は力強いパンチで挽回した。
しかしロルシーのパンチは、畑山と比べても決して見劣りがしなかった。
「質」において同等なら、あとは「量」で競うしかないのは当然だろう。
そしてその「量」においても、ロルシーは畑山を上回った。

ひたすら前に出て打ち合いを挑む畑山。ボクシングは「スポーツ」であり
「ゲーム」だと考えるロルシー。それは日本とヨーロッパとの、ボクシング
に対する考え方の違いと言ってもいいのかもしれない。
どちらがいいとか悪いとか言うのではない。畑山は打ち合いに巻き込めず、
ロルシーはゲームに徹することに成功した。それがこの試合の全てだ。

試合後の畑山のコメント。「完敗。レベルが違いすぎて、無力感さえ感じた」
「後半、挽回する気力がなかった」。実は畑山、これが初の判定負けである。
当然ショックも大きいであろう。要は全く通用しなかった、と言っているのだ。
ただ技術の差を見せつけられた。燃え尽きることができなかった。
なぜなら、本人の意に反して、畑山は「ゲーム」の枠内で戦わされたからだ。

畑山は、「どつき合い」の末にぶっ倒されての負け、あるいはぶっ倒しての
勝ちを「幕引き」として想像していたことだろう。「負けたら引退」を公言
していた畑山だが、今回の試合で本当に終わりにするのかどうか、本人も今、
少なからず悩んでいるところだと思う。もしかしたら既に、あの坂本戦で
燃え尽きてしまっていたのかもしれないが・・・。



1 コメント

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Unknown (畑山ファン)
2017-06-13 00:45:33
なるほど、そーいうことか。。
この記事読んでなかったら、納得できなかった。
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