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1349話)私のこどものころ キノコ

 キノコ

私は父親っ子でしたので、馬車を引いて山にいく父親の尻によくくっついていました。で、この草は食べられる、こっちは毒だと教えられたのです。幼少時のその体験がいまに生きていると感じています。ザンネンに思うのは、キノコはこどもにはムリだといって、教えてくれなかったこと。

秋になると両親は、誰かのくるまに便乗したりして、大山の近くまでキノコ取りにでかけました。標高が800m前後の山のようで、ミヤマタケと呼んでいました。そのなかで私がいちばん好きだったのはナメコ。菌床栽培のものはもちろん、原木栽培のものも(私もやりましたけど)、天然ものにはとても及ばないと思うのは、単なる思い込みでしょうか。

近くの山にもいろんなキノコが生えました。私がすきだったのはシバタケ。アミタケですね。そのころは涼風が吹くころになると、たくさん出ましたので、よく食べました。そのなかまのチチアワタケは、イモタケと呼んで、ちょっとバカにしていましたね。

もう20年以上前ですけど、うちの近くで、アミタケがマツの根元にたくさん生えているのを見つけました。夢中になって採り、夢中になって食べ、ドンブリいっぱいを平らげたんですよ。そしたらそのあとものすごい下痢。そんなことをしてはいけません、芭蕉はそれで亡くなったという説もあります、と小川眞先生に教えられました。

小川先生の指導で、大同でのマツの育苗に菌根菌の活用をはじめました。地元で採種したアミタケ、チチアワタケ、ヌメリイグチの3種混合の胞子液を使いました。その苗を植えたら、早くからキノコが生え始めました。たいていはチチアワタケ。うれしさ半分、悲しさ半分。
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