491話)さようなら、センター

 環境林センターは1994年8月の最初の専門家調査団によって場所が選定され、翌1995年4月に着工しました。阪神大震災の直後の、緑の地球ネットワークにとっても苦しい時期に、スタートしたのです。

 中国側の人材に恵まれました。常勤職員はもとより、臨時工も誇りをもって働いてくれました。日本から訪れた人たちも、「ひと目みれば、モチベーションの高さがわかりますよ」と語ってくれました。文字通り、私たちの協力事業の拠点だったのです。

 そのセンターが、大同市がすすめる都市建設の重要な一環として、生態公園に吸収されることになりました。耿彦波市長は、私たちとの会見で、「みなさんの協力の発展形と理解してほしい」と語り、記念モニュメントなどを約束し、代替地を提供してくれました。

 結論としては、理想的といってもいいでしょう。でも、私の気持ちのなかでは、悲しみの方が強かったのです。4月19日、引き渡しのため、あそこにいきました。「中日合作緑色環境林中心」とあった真鍮製の文字はすでにはずされています。長くいっしょに活動してきた仲間たちと、別れの握手をしながら、私は涙をこらえることができませんでした。
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土八路 (Unknown)
2010-04-24 18:23:24
私は環境林センターから帰ってきたばかりです。午後の2時から、自転車でそこへ行き、やっと北門に辿り着きました。南北に走っている中央道には黒い車が一両止まっています。若い男が二人あり、留守番としてセンターを守っているようです。“誰でも中に入ってはいけない!”と言われて、私の見物要請が断られました。
仕方がないから、そこの東の道を沿って、南へ行き回って、刺つきの鉄線を潜って、ようやく先生の撮られた写真のところに着きました。
環境林センターへ行くのは、初めてですけど、最後の行きとも言えますね。先生の遣られた20年ぐらいの辛苦はそのまま残してくたさると,もったいないですね。
 
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