008)小学校付属果樹園

 私たちは緑化をめざすNGOですけど、教育支援ができないものかと悩んだんです。
 果樹園をつくって収益を学校に回せば、長期に継続できると考えました。中国側も「とてもいい考えだ」といって、青年たちはすぐに賛同してくれました。ところが、村に行くと長老の反対にであったようです。日中戦争の被害がとくに大きな地域のため、「どうして日本の施しを受けないといけないんだ」と反発されたんです。
 青年たちは村に泊り込んで、説得にあたったそうです。最終的に「平和と友好の時代のシンボルとして受け入れよう」ということになりました。
 94年春の協力ツアーが訪れると、村中総出で起工式がもたれました。小学生は洗面器で水を運び、ヨチヨチ歩きの子がコップで水をかけます。日本側の参加者も大はしゃぎでした。ヒゲの老人たちが周囲に座り込み、笑いながらそれを見ています。「昔の日本人とちがうらしい」といって遠くの村からも見物人が集まりました。
 そのあともよかったんですよ。村の人は日本側が渡した労賃をプールし、秋までに小学校校舎を建て替えました。一つのお金でも村のなかを回ることで、いくつものことに役立つわけです。
 小学校付属果樹園に取り組むことで、私たちは地元の農村にずっと深入りすることになりました。しかし、それがたいへんな苦労の道であることに、最初は気づかなかったんです。
  【写真】日本からのツアーを迎え,村人こぞって参加する果樹園づくり。
 (2003年4月5日号)
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