中国の内陸部での緑化協力にかかわる報告です。
続々・黄土高原レポート
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認定NPO法人・緑の地球ネットワークの副代表です。1992年1月から中国山西省大同市の農村で緑化協力をつづけ、2016年からは東隣りの河北省張家口市蔚県で新たにはじめました。 |
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493話)代替地

環境林センターの代替地として、大同市が提供してくれたのはポプラの林です。中華人民共和国の建国(1949年)直後から、大同市の周辺では大々的な緑化運動が取り組まれました。首都北京の水源を守り、風砂を軽減するためです。
植えられたのは小葉楊という在来のポプラです。最初はよく育ったものの、途中からいじけてしまいました。苗が小さなあいだは必要な水は多くありませんが、大きくなるにしたがって、水不足が深刻化します。旱魃の年には生命を守るために、先端を枯らしてしまいます。だんだん小さくなって、「小老樹」と呼ばれるようになりました。
でも、ここのポプラはそれなりに育っています。土と水の条件が比較的にいいのでしょう。条件のいいところを一部は苗畑にし、それ以外のところは森づくりに活用します。
植えられたのは小葉楊という在来のポプラです。最初はよく育ったものの、途中からいじけてしまいました。苗が小さなあいだは必要な水は多くありませんが、大きくなるにしたがって、水不足が深刻化します。旱魃の年には生命を守るために、先端を枯らしてしまいます。だんだん小さくなって、「小老樹」と呼ばれるようになりました。
でも、ここのポプラはそれなりに育っています。土と水の条件が比較的にいいのでしょう。条件のいいところを一部は苗畑にし、それ以外のところは森づくりに活用します。
コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
« 492話)さよう... | 494話)代替地... » |
2010-04-24 18:23:24
私は環境林センターから帰ってきたばかりです。午後の2時から、自転車でそこへ行き、やっと北門に辿り着きました。南北に走っている中央道には黒い車が一両止まっています。若い男が二人あり、留守番としてセンターを守っているようです。“誰でも中に入ってはいけない!”と言われて、私の見物要請が断られました。
仕方がないから、そこの東の道を沿って、南へ行き回って、刺つきの鉄線を潜って、ようやく先生の撮られた写真のところに着きました。
環境林センターへ行くのは、初めてですけど、最後の行きとも言えますね。先生の遣られた20年ぐらいの辛苦はそのまま残してくたさると,もったいないですね。