597話)鼓楼

 「地下の文物をみたければ西安へ行け、地上の文物をみたければ大同へ行け」というのだそう。しばらくまえにも書いたように、大同には古い時代の木造建築物がたくさん残されています。

 これは大同市内のほぼ中央部にある鼓楼です。時代はちょっとくだって、明代の創建、清代になんどか修復されたのだそう。最近も大修理が施されています。背景が広いので、そんなに大きくはみえませんが、これでも高さは20mあります。

 なまえのとおり、ここで太鼓をたたいて、時を知らせたのだそうです。市内にもうひとつ、鐘楼があったそう。華厳寺の近くです。こちらは鐘をたたいて時を知らせたのだそうですが、とっくに取り壊されてしまいました。

 鼓楼のほうも、取り壊しの危機にさらされたと、きいたことがあります。ひとりの幹部がからだを張って守ったのだとか。通りの中央に建っていますから、交通に不便だ、取り払ってしまえ、という意見があってもふしぎではありません。いま、クルマや人は、鼓楼を避けて、両側をまわって通っています。
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Unknown ( 大同鼓楼(大同の鼓楼))
2010-11-09 20:24:30
大同鼓楼(大同の鼓楼)
土八路

鼓楼位于大同市的永泰街,是古代的高层楼阁建筑,创建年代不详,根据旧城的建设规制来看,一般认为是明代的遗物,清代进行了几次维修。

鼓楼は大同市の永泰街(南街)にあり、古代の高層楼閣建築です。創建年代は明らかではないが旧城の建設規格からみて明代の物と思われます。清代に何度か修築が行われています。

鼓楼也叫更鼓楼,随着朝日的升起,钟声在晨雾里留下余韵,夕阳西下的时候,鼓声在回荡。这就是所谓的“晨钟暮鼓”。在古代这就是报时的手段。在中国的封建社会,城市一般必定设有钟楼和鼓楼,而且大多数设置在城市的中心处。这些设置除了报时和报警以外,还承担了美化街景的任务。

鼓楼は更鼓楼とも呼ばれます。朝日の昇ると共に鐘の音が朝靄に余韻を残し、夕日の沈むところには太鼓の音が木霊します。これはすなわち“朝の鐘、暮れの鼓”です。古代にはこれは時刻を告げる手段でした。中国の封建社会においては、都市は普通必ず鐘楼、鼓楼を設けており、しかもその多くが街の中心部に設置されています。これは時刻や警鐘を知らせる外に、街の美観にも一役を買っていたのです。

大同鼓楼为十字歇山式三层楼阁建筑,是市内唯一现存的古代高层楼阁。其平面近似正方形,面阔和进深都是三间,东西长17米,南北宽14米,高约20米。三层楼阁的四面都设有窗户,环绕回廊,外侧安装着栏杆。在一层西北墙壁旁,设有仅容一个人上下的楼梯,二层西南的拐角处,设有通向三层的通道。三层楼内,曾经放置了一个大鼓,现在已经不存在了。各层的脊檐下,设有斗拱。一层檐下的回廊,留下9通清代顺治,康熙,咸丰年间的修缮碑记,成为研究鼓楼成立的直接资料。

大同の鼓楼は十字歇山式屋根の三層楼閣建築で、市内に現存する唯一の古代高層楼閣です。平面は正方形に近く、間口と奥行とも三間、東西の長さは17メートル、南北の幅は14メートル、高さは約20メートルです。楼閣の三層はいずれも四面に戸口を設けて、回廊を廻らせ、外側に欄干が付けてあります。一階の西北の壁には僅かに一人が上がり下がりできる木製の階段が付けられ、二階の西南の角には三回に通じる通路が設けられています。三階の楼内にはかつて大きな鼓が置かれていたが、今はもう残っいません。各層の屋根の軒には枡形が設けられています。一階の軒下の廊下には清代の順治、康熙、咸豊時代の修繕記録碑9本残っており、鼓楼の成り立ちを研究する為の直接資料となっています。



鼓楼,王龙和汤退驴(鼓楼と王竜と湯退驢)

大同鼓楼,古时可不像现在这样默默无闻,作为名胜古迹供人观赏。而是昼夜与钟楼遥想相呼应,鼓嗡钟鸣为方圆十几里的百姓,巡逻的士兵,路的商人报着时晨。大同鼓楼的鼓声和别的地方不一样,总是发出“王龙---,王龙---”的声音,这里面有一段故事。

大同の鼓楼は、今は賑わいもなくひっそりとしているが、昔はこうではありませんでした。名勝地として多くの人々が見物に訪れたものでした。昼も夜も鐘楼と遥かに呼応して、鼓と鐘の音で、周囲数十里の住民や巡邏の兵士や旅の途次にある商人たちに時を告げました。大同鼓楼の鼓の音は他の地方とは違って、いつもワン---ロン---という音をたてたのです。これには次のような謂れがあります。

明正年间(1506---1521年),大同城大西街九酒楼巷口有个地头蛇,叫王龙,因他曾居八府巡按之职,独霸一方,仗势欺人,侮辱妇女,无恶不作。

明の正徳年間(1506-1521年)、大同城内の大西街九楼巷の横町入り口に、王竜(ワンロン)という地回りがいました。かつては八府巡按の職に就いていた為、勢力を傘に着て威張りくさり、女性を侮辱し,悪行の限りを尽くしていました。

平时只要他在街上一站,百姓家家关门闭户,不敢出大气一口。据说,他还有一个特殊爱好,专吃“汤退驴”。就是把刚生下不到半年的小毛驴被柴堆围着,柴堆里放好装有调料的盐水,然后将柴堆点燃。

普段、この男が通りに姿を現すと、どの家もぴったり戸口を閉ざしたまま息を潜めると言った有様でした。そして、この男には“湯退驢”(スープを飲ませて焼いた驢馬の料理)を好んで食べるという風変わりな嗜好があったと言います。つまり、生まれて半年にならない小驢馬を薪の山で取り囲み、その中に香料入り塩水の桶を置いておき、それから薪の山に火を付けるのです。

这样一来,小毛驴被火一烤,口燥难忍,拼命喝水,越喝越渴,直到被活活烧死。这时的驴肉内外熟透,五香咸嫩,味道鲜美。但情景十分残忍。由于王龙到处派人找驴,闹的百姓怨声载道。

そうすると、小驢馬は火に炙られて喉が渇いてたまらず、必死になって水を飲みます。飲んでも飲んでも渇きは酷く、最後には小驢馬は生きたまま炙り殺されてしまいます。この時、驢馬の肉は中も外もじっくり火が通り、香料が香ばしく、実に美味になるのです。とは言え、これは随分残酷なやり
 
 
 
Unknown (土八路)
2010-11-09 20:26:45
方です。王竜が手下どもにあちこちで驢馬を探させるものだから、人々の不満はますます募っていきました。

再说正皇帝选美到了大同,看中了名妓“佛也爱”。谁知“佛也爱”是王隆的情人,只要王龙一到,其他人谁也不敢碰“佛也爱”一下,正当正皇帝和“佛也爱”打得火热的时候,王隆也看望“佛也爱”来了,王龙看到有一个生人在情人的身旁,见了他也不动声色,大怒,上去就是拳打脚踢,正皇帝那是王龙的对手,连跳九座楼逃走。

さて、正徳皇帝が大同に遊興に来ていたが、名妓の“仏也愛”を見初めてしまいました。この女はなんと王竜の愛人でした。普段王竜が来たとなれば、誰も“仏也愛”に近づくことさえできません。それなのに、丁度正徳皇帝と“仏也愛”が熱熱になっているところに、王竜が彼女を訪ねて来ました。見たこともない奴が女の傍にいて、彼の姿を見ても少しも驚かないのです。カッとなった王竜は正徳皇帝に殴り掛かりました。皇帝は王竜に敵う者でもなく、九つの建物を走り抜けて遁走しました。

正回到旅店,想起刚在挨打之事,不由地心中冒火。就派大臣江彬私访王龙是是何许人也,江彬将把王龙的底细打听得清清楚楚上奏给正,正发誓要铲除此人,以解心头之恨,可又一想:如果皇帝为了一个妓女和王龙争风吃醋,我这个当皇帝的脸往哪里搁,天下人怎能信服。

正徳皇帝は宿所に戻ってからも、先ほど殴られたことを思い出すと、腹の虫が納まりませんでした。そこで大臣の江彬に王竜が何者なのか探らせました。江彬は王竜の経歴を詳しく訪ねて回り、皇帝に上奏しました。正徳皇帝がこの男を何が何でも取り除いて、鬱憤を晴らしてやろうと決心したが、一方では迷いもありました。もし一人の妓女の為に焼餅を焼いて王竜と争ったとなれば、皇帝として体面の保ちようがありません。世間の人々も信服しないでしょう。

皇帝后来听江彬说王龙爱吃“汤退驴”,于是大喜,速草了一道旨意:“逆贼王龙涂炭生灵,食汤退驴,天理难容。因此,将其抽筋剥皮,镇压鼓楼。遗臭万年,以警后人,”

江彬の口から王竜が“湯退驢”を好むと聞くと、皇帝は喜んで早速聖旨を草しました。“逆賊王竜は精霊を苦しめ、殺生の罪を犯しています。‘湯退驢’を食するとは天理に背いています。よって、この者の肉を削ぎ皮を剥いて鼓楼に曝し、悪名を後世に伝えて、後々までの戒めとするものです”。

江彬奉旨活捉王龙,立斩市曹。把王龙的人皮剥下,补了鼓楼的更鼓,所以,鼓声就变成了“王--龙--”的声音,意为王龙永世挨打。还把王龙的骨架用四根铁链吊在鼓楼的洞窟之下,意为千人踩,万人踏,意为永世不得翻身。派人把王龙的府第掘地一长,修筑茅房一间,意为遗臭万年。

江彬は聖旨を奉じて王竜を生け捕りにし、直ちに打ち首にしました。そして王竜の皮を剥ぎ、鼓楼の太鼓に張りました。ですから、“ワンロン” という音を立てるようになりました。これで王竜は永遠に打たれ続けるということなんです。また、王竜の死骸は四本の鎖で、鼓楼の洞穴の下に吊り下げられました。千人、万人の足の下に踏みつけられ、永遠に立ち上がれないというわけです。また、王竜の自宅の敷地に一丈の穴を掘り、厠を立て,悪臭がふんぷんとして万年に及ぶようにしました。

正皇帝杀王龙,表面上因为是“汤退驴”,实则杀王龙为了“佛也爱”,大同的百姓心里明白。可杀了王龙为民除了一大害,既然如此,老百信那管他什么“汤退驴”还是“佛也爱”。

正徳皇帝は表立っては、“湯退驢”を理由に王竜を殺したが、“湯退驢”の為のことは大同の人々の目には明らかでした。しかし、王竜を殺して民衆の為に厄介者を除いてくれたのだから、それ以上、“湯退驢”の為か、“湯退驢”の為かなんかは、誰も詮索をしないんです。
 
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