はあどぼいるど・えっぐ

世の事どもをはあどぼいるどに綴る日記

ファイアボール・ブルース

2006-12-16 17:53:29 | 小説
なぜ痛くもない関節技で痛がるのか、なぜロープに振られれば帰ってこなければならないのか。プロレスはショーであるのか、そうでないのか。それらは永遠の命題のようでもあり、また野暮な質問のようでもある。
プロレスラーという名称に、ひとつの答えがある。アマチュアではなくプロフェッショナルだということ。そのことの意味は大きい。
プロレスを見て育った。ブルーザー・ブロディやスタン・ハンセンに憧れ、三沢や川田の凌ぎ合いに胸を焦がした。彼らはまぎれもないプロであった。多くの少年たちに、永遠に解けぬ魔法をかけた。
女の子にとっての女子プロも、そうであるのに違いない。鍛え上げられた肉体。研ぎ澄まされた手練の技。飛び散る汗。血。戦う姿と立ち上がる心の強さというものへの憧れは、男女共通であるはずだから。

「ファイアボール・ブルース」桐野夏生

身長170センチ、体重70キロ。筋肉質で均整の取れた体型。短く刈り込んだ髪。左の上腕に入れられた燃え盛る火の玉のタトゥーは、バトルスタイルを表すのにふさわしい。
ファイアボール。
火渡抄子はそう呼ばれていた。アマレス仕込みのグラップリングを武器に、セメント最強女子レスラーとして名声を上げていた。
ある日組まれた男女混合の変則タッグマッチで、火渡はプロレスラーのようには見えない外国人女性ジェーンと戦う。彼女の肉体は鍛えられてはいるが、彼女自身に闘争意欲がなく、試合の最中に逃げ出し、行方不明になるという前代未聞の事件を引き起こす。なぜだかそのことが気になって、ジェーンの行方を探す火渡だが、探し当てた時には彼女は死体になっていて……。
どうでもいい事件のはずだった。得体の知れぬ外国人がひとり死んだだけ。そのはずだった。
最初に火渡の変化に気づいたのは、付き人だった。近田。試合に一度も勝ったことのない最弱プロレスラー。ハルウララみたいな女だが、この女、火渡のこととなると俄然闘志を燃やすのだ。何せ彼女の世界は火渡を中心に回っている。戦い方、生き様、すべての面で惚れ抜いている。火渡の敵は自分の敵。火渡の望みは自分の望みと、事件の真っ只中に突っ込んでいく。
そんな彼女の視点で語られるストーリーは、ミステリの形をとりつつも汗臭く爽やかだ。移動のバスの中、女子寮の生活、地方興行のリング設営など、弱小プロレス団体の悲哀を語りながら、しかし決して火渡賛歌を忘れないところなどは、可愛く微笑ましい。
でも、それだけじゃだめなんだ。それって、紙一重なんだ。仕えるべき主君を見つけた下僕の喜び。犬の幸せ。誰かにすがって生きることの気持ちよさ。女子レスラーは、強くなければならない。リングの上では、己一人しか頼れる者などいないのだから。
そのことを、火渡は近田に身体を張って教える。シングルマッチのリング上で、技の一つ一つに殺意をこめて、容赦なく徹底的に叩きのめす。それは観客が引くほど凄惨なもので、あっという間もなくスリーパーホールドで近田を絞め落とした。
「わかってるだろう。てめえ一人だってことだよ。何があってもてめえ一人。それがプロレスなんだ。」
近田のために、火渡は言う。
それはプロレスラーとしてのひとつの愛情表現でもある。燃え盛る火の玉のタトゥーは、彼女のプロ魂の象徴であると同時に、愛の強さでもあるのだろうか。
師弟関係とミステリ。プロレスラーであること。あろうとすること。透明感のある、まぶしいような本だった。

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