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はあどぼいるど・えっぐ

世の事どもをはあどぼいるどに綴る日記

ガンコ親父のナックルパート

2006-09-02 09:07:48 | 出来事
アンダースローの投手が投げたスライダーが、鋭角にバッターの足元に突き刺さる。
ブラウン管にぼんやり反射して見えるのは小学生の僕。そして背後に一匹の犬。
痩せこけた雑種だった。ベージュ色の毛皮には汚れが目立つ。子供の浅知恵で足の裏だけは雑巾で拭いたものの、その他の部分が家具に擦れ、こっぴどく叱られることになる。そのことに、当時の俺は気づいていない。
「燃えプロ」をやりながら、首輪のない犬と二人、父の帰りを待っていた。

犬猫が好きだ。
どちらかといえば犬派だが、猫を見ても目尻が下がる。
子供の時分。何度か犬を飼ってもらえるように父と交渉した。猫は祖母が嫌っていたから、犬以外の選択肢はなかった。
だがほとんどの場合、僕の願いは聞き入れられなかった。
「責任とれるのか」という問いに、根拠のない自信をバックに勢いよくうなずくも、まったく信じてもらえなかった。
家の中に連れ込んだ野良犬を出会ったところまで連れて行く時、自分の無力さをひしひしと感じた。どうして信じてくれないのかと、ガンコな父を恨みもした。
だけど父はわかっていたのだ。「責任とれるのか」という言葉の意味を、小さな僕が軽く見ていることを。

先日、8月18日の日経新聞に、衝撃的なエッセイが掲載された。
直木賞受賞作家、坂東眞砂子が日常的に子猫を殺しているというのだ。
その文章を要約すると。

「坂東眞砂子は、三匹飼っている雌猫に子猫が生まれるたびに、家の隣の崖の下の空き地に放り投げている。避妊手術するのは猫の生の充実を阻むからしない。子猫をすべて養う能力はないから社会的責任の為に殺している。動物愛護団体やその他愛猫家連中に糾弾される覚悟はできている」

一瞬、何かの罠かと思った。煽りみたいなものかと。
でも違った。その文章には美しさがなかった。仮にも文壇の頂点に立ったほどの作家が、小僧小娘のような屁理屈を並べ立てて自分の行為を正当化している。ただそれだけ。あまりのことに、怒る気力も気化して失せた。
その時頭をよぎっていたのは父のことだ。父ならばどうするだろう。仮に僕が子猫殺しをしていたとして、しかもまったく悪びれていなかったとしたら。
多分、殴るはずだ。有無をいわさず拳が飛ぶ。
理由なんかどうでもいいのだ。
理屈なんかどうでもいいのだ。
世の中にはしていいことよくないことの二種類のみがあって、猫殺しは後者。シンプルな判決。
そして僕は思い出す。
流星号のこと。
あの日、居間に連れ込んだ一匹の野良犬のこと。
勝手に名前をつけて、勝手に連れて帰って、そして勝手に捨てた犬のこと。
別れる時、どんな目をしていたっけ。殴られた頬をおさえて涙目になりながら、そんなことに思いを馳せる。

早稲田実業対駒大苫小牧

2006-08-24 20:18:09 | 出来事
夏の甲子園決勝。前日15回フルに戦っての引き分け再試合。
回は九回裏3-4。しかも同じ回に1-4から追い上げての最後の打席。バッターボックスには田中将大。投手はもちろん斎藤佑樹。
これ以上はないというほどにドラマッチクな場面。ブックを描けない高校野球の、筋書きのない最終局面。ライバル対決。
テレビの前で、球場で、多くの人間が固唾を飲んだ。試合を観戦している誰もがその勝負に酔いしれた。
最後は直球。144キロがズバリとキャッチャーミットにおさまった。
サイレンとともに、4112分の1を決める戦いは終わりを告げた。

観客もまばらになった甲子園で、田中は三度、宙を舞った。
幼さを残す表情には、連日きな臭い話題が多かったスポーツ界に涼風をとか、実力をアピールしてプロにとか、そんな打算や駆け引きは微塵も感じられない。
なぜか。
仲間と共に磨き上げてきた実力。
チームの牽引役としての責任。
そういったものを彼が信奉しているから。
だからこそ、その目に涙はない。
悔しさも、無力感も、超越した誇りが胸にある。
それのみを抱えながら、観客もまばらになった甲子園で、田中は三度、宙を舞う。

メメント・モリ

2006-07-26 02:31:02 | 出来事
僕が彼女のことを知った時、彼女はすでに死んでいた。
1957年。実に今から50年近くも前のお話。
悲しいとか。
切ないとか。
哀れだとか。
そんな感情を抱いてはならない。
ただ宇宙を見上げ、死を思え。

地球の軌道上を回った最初の生き物は、犬だった。
名前はクドリャフカ(巻き毛)。サモエド系の雑種で、モスクワの通りをさ迷っているところを拾われた。
高高度からパラシュートで落下したり、気密室の中で数週間生存したり、そういった訓練の成績が、他の何十頭もの雌犬たちの中で抜群によかった。
だから、生物初の栄誉は彼女に送られた。回収可能の設計がなされていないロケットに乗せられることによって。
彼女の死に様には、諸説ある。
加熱とGによるストレスで死んだとか。
チューブによって送られる食事に毒物が含まれていたとか。
政府筋の公式発表では前者だが、実際のところはわからない。
苦しんで死んだのか。
苦しまずに死んだのか。
それすらも。
ただひとつの事実として、スプートニク2号は打ち上げ翌年の1958年4月に大気圏突入した際、破壊、消失した。

人が生きるために奪ってきた命の数は、どれほどだろう。
今だって、地球上の様々な場所で、数多の命が奪われている。
命の重さは等しく同価値で……だから、特別なことじゃない。
他のあらゆる死と何も変わらないはずなのに、不思議と彼女の名が胸に残る。
クドリャフカ。
今から約50年前。そんな名前の犬が、一匹死んだ。

さよならは別れの言葉じゃなくて

2006-07-05 01:50:02 | 出来事
1995年。ベルマーレ平塚に加入した若々しい青年に、あるインタビュアーが目標を聞いた。青年は迷うことなく答えたという。
「僕は、この10年間で1生分稼ぎます」

そして、約10年後の2006年。
中田英寿が引退を発表したニュースは、予想以上の反響を伴って、日本中を駆け巡った。
選手としての中田の人気、人望がうかがえることで、ファンとしては嬉しい限りだが、もちろんやめてほしいわけではない。
29歳という年齢はサッカー選手としてまさに円熟期を迎える年齢で、4年後の南アフリカワールドカップのことを想定してみても、今やめるのは実に惜しい。自身のHP「nakata.net」でも語っている通り、ファンに自分の思いを伝えることはできても、選手達に伝えることはできなかった。今後も日本サッカー界が同じような道を歩む可能性はある。
……それって、無念なんじゃないだろうか。
最後の試合のあとにこみ上げてきたサッカーへの思い。味わった芝生の感触。
旅に出るという決断はどうなのか?
だが一方で、とても中田らしい決断だという気もする。
なにせ自分を高め、律することに長けた人間だから、11年前のインタビューが本気だった可能性もないとはいえない。
韮崎高校卒業後、大学へ進学してほしいという親に語った言葉。
「大学はいつでもいけるけど、サッカーは若いうちしか出来ない」
まさにその通りのことを実践しているのだ。首尾一貫している彼の行動は、とても清々しい。
世界各地を旅行し、ハーバード大学でMBAを取得し、経営者として辣腕を振るう。若き日に描いた壮大な青写真が、今現実のものとなろうとしている。

~人生とは旅であり、旅とは人生である~
                             中田英寿

おでかけカトリス

2006-07-04 13:40:36 | 出来事
曲線を主としたフォルム。白を基調としたマイルドな色合い。優しい形をしているくせに、恐ろしいほどの殺傷力を秘めている。
使用方法はスイッチひとつ。オフをオンに切り替えるだけで、ファンが高速回転し、溜め込んだ薬品を大気中に蒸散させる。
そしてそれが、ある特定の集団に壊滅的なダメージを与える。
僕の天敵といえる存在。夜に飛び交う小さき者どもに。

金鳥の夏、日本の夏。
蚊に刺されやすい人間にとって、そのフレーズはとても身近だ。
小学生の夏の夜に右のまぶたを食われて以来、夏の心配事の大半は虫対策に割かれているといっていい。
虫除けスプレー、かゆみどめパッチ、ポイズンリムーバー。あらゆる対策を講じてみたが、「蚊取り線香を持ち歩く」という最後の手段に勝るものはなかった。
「おでかけカトリス」は、そんな一部の恵まれない者たちの夢を、ぶっちゃけてかなえてくれる製品だ。千円にも満たない金額で、120時間の安息を保証してくれる。被験体は自分自身。使用から一ヶ月経つが、いまだ虫刺されはない。

先達

2006-06-23 09:28:59 | 出来事
歳をとると、涙もろくなるという。
それは多分、共感によるものだ。いろんな事を経験し成長していく中で、人は多くの成功と挫折を学ぶ。目の前の事象を、自分の中の経験の引き出しと照らし合わせてイニシャライズし、感じることができる。
でも、時には例外もあって。

日本VSブラジルを見ながら、サポーターの多くは共感していた。日本代表が現在進行形で味わっている敗北。積み上げてきたものが崩壊していく姿。
試合終了のホイッスルが鳴ると、中田はピッチに倒れた。力無く空を見上げ、放心していた。フランス大会から8年。依然として、世界の壁は高く厚い。
彼が感じていたのは何だろう。人種の違い。環境の違い。どうしてここまで差がつくのか。自分にできたことは何なのか。できなかったことは何なのか。
ただひとつだけいえるのは、その日その時その立場でドイツの空を見上げていたのは彼だけだということだ。
カイザースラウテルンの空は青かったか。
ドルトムントの夜は暑かったか。
風は。
食事は。
どんな人達が暮らしていたか。
どんなことを話したか。
背中に触れた芝生の感触。
もう二度と味わえぬもの。
少年時代から憧れ、願いやまなかったもの。
失うということ。
それだけは、誰にもイニシャライズできない、彼だけの時間だった。

61年目の夏

2006-06-22 13:54:32 | 出来事
15日正午より重大な発表がある。そんなニュースが日本全土に流れた。
当時、まだラジオが希少な高級品だった時代。人々は神社や街頭など、争って音源のある所へ集まった。
当日、聴衆は起立を求められた。君が代の演奏が流れ、その直後に玉音盤に録音された昭和天皇の肉声が流れた。
堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒで有名な、いわゆる玉音放送。大東亜戦争終結ノ詔書の音読である。

筋を痛めた。肩の付け根あたりが裂けるように痛い。
生まれて初めての接骨院は、老人ホームのような状態だった。5脚ある革張りのソファーは朝からかしましい老人たちで埋め尽くされていた。
隅っこに座って頭文字Dを6冊ほど読んだところで、ようやく診察が回ってきた。
「筋トレのせいです」というと、メガネのお兄さんは笑っていた。
肩に電流を流されながら横になっていると、パーテーションの向こうから、同じように治療を受けている老人の声が聞こえてくる。
聞くとはなしに聞いていると、それは戦争の話だった。当時老人は若者で、兵隊にぎりぎりとられるかとられないかの境目の世代だった。老人よりひとつ上の先輩は出征し、帰ってこなかった。
決して沈んだ調子ではない。むしろ当時を懐かしむような、豪快に笑い飛ばすような、そんな雰囲気があった。
「玉音放送ってのがあったべー? 俺聞いてたんだけども、ちんとかちんとかいっててよー。わけわかんねーんだ。小難しすぎて誰もわかんねがったー。んでもなんとなく悲しいようなのはあったけどよー」
老人の話に看護婦が相槌を打つ。そして笑い声。
僕は、夏になると毎度流される祝詞のような昭和天皇の声を思い出しながら、心地よい眠りの中に落ちていった。
生と死の境界線。
玉音放送を聞いて座り込む人々。
だけどもちろんこうして生きている人もいて……。
そして、61年目の夏が来る。

誤審

2006-06-16 00:47:45 | 出来事
ワールドカップ初戦 日本VSオーストラリア
最終局面。オーストラリアが日本に追いついた直後の39分。オーストラリアゴール前で微妙なプレーがあった。
駒野がケイヒルに倒され、それが「日本にPKが与えられるべきプレー」だとFIFAが認めた。誤審であると。
審判の決定とは絶対的なものだ。間違いであれなんであれ、試合においてもっとも尊重されるべきものだ。それは誰もが知っている。どんな理不尽な裁定が下ろうと、神の御業であれば受け入れざるをえない。そう思って試合観戦にのぞんでいる。
実際、覆るわけではないのだ。ただ、酔っ払いにくだを巻く材料を与えただけ。どんなに吠えてみても、望んでみても、その結果は変わらない。変えられない。過ぎ去ってしまった昔の話。
世間的にも反響は少ないらしい。同じように、何を今さらという見方が多いようだ。たしかに、選手のメンタルに影響を与える恐れがある分、いわないでいてくれたほうがよかった。
こういう状況って、なんとなくあれに似ている。

「浮気したらどうする?」
「最後まで隠してくれればそれでいいよ」
そんなたわいもない会話。

日本VSオーストラリア

2006-06-13 00:26:17 | 出来事
引きずり込まれた-。
その展開にぞっとした。
後半突入後、1点とはいえリードしているはずの日本がなぜか中盤をキャンセルしての攻め合いに応じていた。戦場は日本のゴール前とオーストラリアのゴール前の二箇所のみ。繋ぐのは中盤選手ではなくロングパス。つまりは三十度を越す酷暑の中、いきの良い敵フォワードたちとのガチンコの殴り合い。日本人選手の頬を流れる汗は、失われていく体力そのものだった。
ハーフタイム。ジーコはいっていた。この気候の中、相手を動かして体力を消耗させよう。リードしているチームのサッカーをしよう。
だがヒディングの狡猾な采配の前に、すべては泥沼の中……。
たしかにこの日、柳沢の調子はよくなかった。ボールを受けたり、スペースを作ったりというテクニックでは日本代表の中でもトップクラスにうまい選手だが、最後の最後に周りの選手と呼吸があわず、得点チャンスを逃していた。だから、柳沢を下げるのはうなずける。
だが遅すぎた。
代わりに小野をディフェンシブに使い、DFとMFの連結とする、というのもわかる。攻めることよりも何よりもラインコントロールが重要だった。戦線を収縮させねば命に関わる。
だが遅すぎた。
結果的には小野の投入後、伸びきった戦線のままで日本は戦闘を行い、同点に追いつかれ、逆転を許し、追加点を決められた頃には観客の間からヒステリックな悲鳴が上がっていた。
そして大黒投入。
すべては遅く、タイミングを逸していた。

サッカーワールドカップ日本初戦
日本はオーストラリアに1-3で敗北を喫した。
再三スーパーセーブを連発した川口の奮闘むなしく、黄金の中盤も鉄壁のディフェンスラインもずたずたに切り裂かれた。ファンの声援、絶叫、涙。何もかも、ドイツの空に消えた。今はただ怨霊のように、蜃気楼のように漂っている。

スパークリングカフェ

2006-05-27 15:25:59 | 出来事
朝、会社にいく前にコンビニに寄るのが習慣としてある。缶コーヒーを二本買っていくだけだが、これをやらないと一日中落ち着かない。
銘柄はこれといって決めていない。気分に応じて激甘から無糖まで拘泥せずに買うことにしている。
その日はまずファイアのひきたて工房を手にとった。もう一本をどうしようかと物色していると、スチールのボトルタイプのコーヒーが目に入った。
ネスカフェの新作か…。手にとってみると、スパークリングカフェという、コーヒーには似つかわしくない名前が書いてある。注意して見ると、ボトルの下部に、こっそり炭酸と記されていた…。
世の中には、存在してはいけないものがある。
甘いラーメンとか、温かいポカリスウェットとか、原液しか出さないカップのカルピスの自動販売機とかだ。共通していえるのは世間一般の人の口に合わないということだ。
スパークリングカフェが前例と異なるのは、破壊力のなさ。炭酸の刺激は小さく、甘味も飛び抜けて甘いわけではない。キワモノ、というのもはばかられるほど中途半端にまずい。
六人のうち一人に好かれればそれでいい、というコンセプトらしいが、好かれる前に担当者のクビが飛ぶのではあるまいか?缶の蓋を開けて炭酸を抜くスケープゴート的実験をしながら、僕はそんなことを思うのだ。