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はあどぼいるど・えっぐ

世の事どもをはあどぼいるどに綴る日記

フライトプラン

2008-04-12 21:14:47 | 映画
フライトプラン

ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント

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「フライトプラン」監督:ロベルト・シュヴェンケ
 
 不慮の事故で夫を亡くした航空機設計技師カイル( ジョディ・フォスター)は、夫の棺と娘のジュリア (マーリーン・ローストン)と共にドイツのベルリンからニューヨーク行きの航空機へ搭乗した。
 離陸直後、連日の心労のせいで熟睡したカイルが目覚めると、隣の席にいたはずのジュリアがいない。父親を失い心身ともに不安定な状態にいるはずの娘を案じ、機内を探索するカイル。しかしジュリアの姿はどこにもなく、見かけた乗客も誰一人いない。機長の協力を得て機内中に捜索の手を伸ばすが、影も形もない。まるで蜃気楼のように娘は消えてしまった。とどめに機長から告げられた驚愕の事実。それはジュリアの搭乗記録がないということ。つまりカイルは最初から1人だったのだ……?

 高度1万メートルの上空で娘を探す、というやたらスケールの小さいお話なのに、ジョディ・フォスターの「切羽詰った」演技が緊迫感を生み出している。「たかだか迷子ごときに必死になりおって……」という乗客の白い目が、「こいつイカれてるのか」と蔑みの眼差しになる瞬間のインパクトも、おかげで強烈だ。「パニックルーム」でも感じたことだが、こういう演技をさせたらジョディ・フォスターに比肩する人はいない。
 オチに無理がありすぎて途中から話が一気につまらなくなるものの、前半部分は文句なく面白い。画面狭しと暴れまわるジョディに注目されたい。母は強し、なのだ。

魔法にかけられて

2008-03-30 16:21:33 | 映画
「魔法にかけられて」監督:ケヴィン・リマ
 
 お菓子の城。それがディズニーに対するイメージだ。つまり、甘ったるくて胃にもたれる。A君のたっての要望で本作を見に出かけた時も、正直、席に座り上映開始になるまで乗り気ではなかった。毛ほどの事前情報もないが、期待は薄かった。
 開始と同時に繰り広げられたのは、ファンタジー世界アンダレーシアの木の家に住まうディズニープリンセス・ジゼルが、気の良い森の動物達と暮らしながら白馬の王子との出会いを妄想するある一日。さすが熟練のアニメのクオリティは高いものの、これが2時間も続くのかと閉口した。王子エドワードとの運命の出会いそして結婚へと至る流れなどもう見ていられない。
 ところが、王子の継母の悪い魔女ナリッサが登場し、ジゼルに呪いをかけたあたりから様相は一変する。なんと呪いの内容は、ジゼルを現実世界へと飛ばすことにあったのだ。
 いきなり実写になるジゼル(エイミー・アダムス)。NYのど真ん中のマンホールからひょっこり顔を出した彼女は、自分の置かれた状況もわからぬまま王子(ジェームズ・マースデン)の待つアンダレーシアへの帰り道を求めてさ迷い歩く。
 森の仲間達が作ってくれたふわふわのドレス以外には何一つ持たないジゼル。ファンタジーの姫丸出しの世間知らずのお馬鹿ぶりを遺憾なく発揮して通行人に手当たり次第に助けを求めるが、返ってくるのは冷たい視線のみ。お爺ちゃんなら優しいだろうと声をかけたホームレスにティアラを奪われ、雨に打たれて濡れそぼり、中世の城を模した看板の扉を叩くが当然返事はなく……。
 途方に暮れるジゼルの前に現れたのは、王子ではなく弁護士ロバート(パトリック・デンプシー)とその娘モーガン(レイチェル・コーヴェイ)。お姫様の世話を焼こうと盛り上がる娘の願いでしぶしぶジゼルを父子家庭に招き入れたロバートは、しかし大人らしくジゼルにドン引き。なんとか追い出そうと奔走するのだが、とる行動がことごとく裏目に出て、結局共同生活を送るはめになる。
 ジゼルを探し現実世界へ向かう王子と、ナリッサ(スーザン・サランドン)の命令で2人の邪魔をしようと画策する従者のナサニエル(ティモシー・スポール)。ロバートの恋人で結婚間近のナンシー(イディナ・メンゼル)。個性豊かな登場人物の絡み合いは、やがてディズニーにあるまじき生々しい結末へと疾走するのだった。 

 面白い。
 マンションの窓からいつもそうするように動物を呼び寄せたら鳩と鼠と蝿とゴキブリが来たり、王子王子と騒いでいたジゼルがロバートに惚れてしまったり、ディズニーがディズニーを皮肉り、否定するところから始まるストーリーには、まさしく一見の価値がある。
 もちろんディズニーらしさも忘れてはいない。アニメや特殊効果は珠玉の出来だし、歌い踊るパフォーマンスも実際のディズニーランドのアトラクションを思わせる巧みさ。いい歳になってディズニーなんて、という人にこそ見て欲しい、大人のディズニー作品なのだ。

UDON

2008-03-18 17:04:38 | 映画
UDON スタンダード・エディション

ポニーキャニオン

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「UDON」監督・本広克行

「踊る大捜査線」の本広監督が、やはり「踊る~」以来の付き合いのユースケ・サンタマリアを主人公に描くテーマはなんとうどん。コシが強くてシコシコしてて、全国にブームを巻き起こした讃岐うどんがまさにブレイクするきっかけとなった出来事とその舞台裏を描いた話題作。
「ここに夢はない。ここにあるのはうどんだけだ」
 そう吐き捨てて日本を脱出、憧れの地ニューヨークでスタンダップ・コメディアンを目指していたコースケ(ユースケ・サンタマリア)は、夢破れて田舎に帰郷した。製麺所を営む頑固な親父からはメタクソにどなられ、姉夫婦からは変に温かく接しられ、懐かしき友人知人からは生暖かく迎えられ……当然居心地はよくない。 
 そんな折、ひょんなことから出会ったタウン誌の編集者キョウコ(小西真奈美)と、広告代理店に勤める幼馴染みショースケ(トータス松本)とコースケの3人は、弱小タウン誌を媒体にした町おこしの一環として、讃岐うどんを盛り上げていこうと画策する。
 有名な店を写真入りで丁寧に紹介するのではなく、「苦労して発見する楽しさ」を味わってもらうために写真は載せず、文章と最低限の地図のみで構成されたそのコラムは、四国八十八箇所廻りに見立てた「巡礼記」としてタウン誌の1コーナーを占め、人気を博した。「たかだかうどんを食うためだけに旅行する奴がいるか」という大半の意見などなにするものぞ、その人気は町や県にとどまらず、四国、そして日本全国へと波及する一大センセーションを創りあげたのだった。
 騒動の渦中にありながら、3人にはわかっていた。ブームには終わりが来る。コメディアンになりなかったコースケ。いずれは農家を継がねばならぬショースケ。物書きになりたかったキョウコ。3人の青春の終わりは、タウン誌の廃刊とともに訪れた。旅行客の減少とライバル誌のフリーペーパーの台頭が原因だった。
 キョウコは東京の出版社から誘われ、ショースケは農家を継いだ。最後に残ったコースケは製麺所の門を叩く。学校や病院に麺を卸す傍らうどん屋を営む大嫌いな頑固親父と正面から向き合うことにしたのだ。
 だが折悪しく、親父は心筋梗塞で帰らぬ人となった。一時閉鎖された製麺所には、復活と親父の安否を伺う人々が連日訪れ、しまいには入り口にコメントを記すノートまで置かれるようになった。
 人々に愛されていた親父の人柄を偲び、コースケは泣く。生きている時に気づきたかった。30数年ぶりの思いを伝えたかった。親父、ごめん。親父。親父……。
 涙を拭い、コースケは割烹着に袖を通した。そこには、うどんしかなかった。奇しくもかつてコースケが言ったように、親父との語らいはうどんを作ることの中にしかなかった……。

 ぬるい外見の根底に流れるしっかりとしたストーリーに、ユースケ・サンタマリアの軽佻浮薄なキャラがジャストフィット。小西真奈美の地味な美貌も、トータス松本の親しみやすい人柄も、すべて計算しつくされたパズルのピースのようにぴったりおさまる。笑って泣ける本広監督の名人芸。佳作。

ガールファイト

2008-01-21 21:44:44 | 映画
ガールファイト

松竹

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「ガールファイト」監督:カリン・クサマ

 アメリカで話題になっている少女たちによる暴行ビデオ……ではない。学校でも家でも不満だらけで、世間のどこにも居場所のない女子高生・ダイアナ・グスマン(ミシェル・ロドリゲス)がふとしたことからボクシングと出会い、成長していく様を描いた青春ムービーだ。
 父の暴力、母の自殺、気弱な弟に八方美人の親友。ストレスがたまり爆発してケンカすれば学校から厳重注意を受け、それが父にバレて叱られてとまったくいいところがないダイアナの日常は、その日唐突に変わった。弟の月謝を払いにいったボクシングジムの練習風景に魅せられ、ダイアナは即座に入門を志願する。
 三白眼と闘争心という持って生まれた凄みはあれど、ダイアナも最初はただの気の強い女の子。ジャブやストレートどころかパンチングボールすらまともに打てない。だが日々の練習(五ヶ月)や男子との試合の甲斐あって、後半ではきちんと「やっている人」のボクシングができるようになる。
 学校、親、弟、友達、恋人……ボクシングだけでない様々のものと戦いながら、ダイアナは、いつしか生き方という大事なものを手に入れていたのだった。

 ……とはいうものの、実際のところはミシェル・ロドリゲスを見る映画、という以外の何物でもない。三白眼とマウスピース剥き出しのミシェルが画面狭しと暴れまわる姿には、美しさ以上に恐ろしさがうかがえる。彼女が男を殴り倒すシーンには、男だけにしかわからないある種の戦慄を覚える。

スーパーサイズ・ミー

2007-12-17 21:48:48 | 映画
スーパーサイズ・ミー 通常版

クロックワークス

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「お客様を大切に。そうすれば商売は自然とうまくいく」
                   マクドナルド創立者 レイ・クロック

「スーパーサイズ・ミー」監督:モーガン・スパーロック

 2002年11月。米国在住の二人の少女が訴訟を起こした。相手はマクドナルド。「人体に有害であるとわかっているものを販売している」という彼女らの訴えは「因果関係が認められない」として却下されたものの、この裁判では同時に興味深い見解が得られた。
 つまり危険性が立証されればいいのだ。
 身長187cm、体重84kg、体脂肪率11%。モーガン・スパーロックは三人の医師と一人の栄養士の助力の下、一つの実験を行った。それは、「30日間マクドナルドの食事のみで生活する」こと。なるべく運動せず、3食きちんと摂り、勧められたら必ずスーパーサイズを選ぶなど縛りを加え、自分の体を実験体にマクドナルドで販売される加工食品の危険性を立証しようという。
 こうして開始された「マックアタック」に、最初は誰もが楽観的な予測を立てていた。体重、血圧は上がるだろうが、人体には強い適応性がある。劇的な変化はないのではないか。
 しかし実験は意外な方向へ傾く。10日もしないうちにスパーロックは体の変調を訴え始め、20日をまわる頃には医師のストップがかかった。これ以上は命に関わるという。周囲の助言や心配にも耳を貸さず、30日を無理矢理完走したスパーロックのマックアタックは、体重11kg増、体脂肪率7%増、躁鬱、性欲減退、脂肪肝と様々な症状を引き起こした。彼が元の健康体に戻るまで9ヶ月を要したという。

 どこぞのテレビ局のバラエティー番組ででも行われそうな実験映画だが、舞台が米国とくるとそうもいかない。なにせ名うての「大盛りベタ甘」帝国。リッターサイズの(!)コーラや巨大バーガー(吐くほど大きい)の連打で、スパーロックの体調がみるみる悪くなっていくのが恐ろしく、皆で笑いながら見るというわけにはいかない。少なくともこの映画を視聴したいくつかの家庭では確実に食事メニューが変わったはず。
 米国の給食産業や食品営利団体の舞台裏へのインタビューなど多角的なアプローチもあり、膨張する加工食品産業への問題提起として見ても十分面白い。だが一番興味深いのは、公開から程なくして米国のマクドナルドからスーパーサイズのオプションが消えたこと。この映画との因果関係はないといっているが果たしてどうか。
 メガマックやらメガ牛丼やらの大盛りブームに待ったをかける問題作。食生活改善のためにも見る価値は大いにある一作なのだ。

SAW3

2007-11-21 16:27:04 | 映画
ソウ3 DTSエディション

角川エンタテインメント

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 ホラー映画にはハードロックがよく似合う。暗くおどろおどろしい雰囲気と耳をつんざくギターの音が相性よく混ざり合って、物語に入りやすいよう気分を盛り上げてくれる。しかし中には入り込みすぎてしまうとやばい作品もあるわけで……。

「SAW3」監督:ダーレン・リン・バウズマン

 小学校を舞台にした猟奇殺人の現場に臨場した女刑事ケリー(ディナ・メイヤー)は、もう動けないはずの連続猟奇殺人犯・ジグソウ(トビン・ベル)の仕業ではないと直感する。だがそれでは誰の仕業かというと皆目検討もつかない。困惑しながらも帰宅し、その夜遺留品のビデオテープを見ていると、不思議なことに今現在の自分の部屋の状況が映っていて……。
 前作からの登場人物をあっさり退場させるツカミから入った大ヒットシリーズ「SAW」の3作目は、ジグソウとその弟子アマンダ(ショウニー・スミス)の本拠地が舞台。
 脳腫瘍によって余命幾ばくもないジグソウの手術をするため女医のリン・デンロン(バハー・スーメク)を捕らえ、「ジグソウが死ぬか逃げようとすると死ぬ」首輪をつける。彼女のゲームの内容は「ある男のゲームが終わるまでにジグソウの心拍数が0にならないようにする」こと。
 当のある男・ジェフ(アンガス・マクファーデン)には「脱出ゲーム」。彼の息子が轢き殺された事件の現場を目撃しながら逃亡した女、その事件を担当した判事、轢き殺した犯人、の3人が残酷な拷問器具に捕らわれ死亡寸前のところを赦し、救ってやりながら脱出できるか、という恐ろしいもの。
 冷凍庫で凍死、巨大なドラム缶の底で豚の体液に浸され溺死、体中の関節を逆に捻られる装置で首を捻られ即死。あまりにも凄まじい拷問を見るに耐えかね、束の間復讐心すら忘れて赦しを与えるジェフ。だがそこはジグソウお手製の拷問器具。当然うまくいくはずもなく……。
 
 シリーズも3作目までくるとさすがに新鮮味に欠ける。「最初から犯人が出ずっぱり」という弱点も相まってか、1、2作目で感じたような恐怖はなかった。
 しかし痛みの表現にはさらに磨きがかかり、シリーズ最高の痛さに顔を背けたくなるシーンが盛り沢山で、心臓の弱い人には絶対おすすめしない。正直、考えた人の正気を疑う。
 ストーリー的にはシリーズ通しての謎がジグソウとアマンダの視点から見る事でようやく明らかに。1作目の被害者のエリック・マシューズ(ドニー・ウォールバーグ)のその後とか、知りたいような知りたくなかったようなことまで教えてくれて、初見のお客を置き去りにして、ここに関してはほめていいんだかけなしていいんだかわからない。
 だが一方で良心的な作りである事はたしか。どの謎ひとつとったってきちっと伏線が張られているし、なるほどと唸らされる場面も多い。ラスト10分切ってからの一気呵成のどんでん返しもキレがよく、シリーズ通して見ている人なら是非に、というところ。え、3から? それはちょっと……。

ヘアスプレー

2007-11-09 21:50:06 | 映画
ヘアスプレー DTSスペシャル★エディション (初回限定生産2枚組)

角川エンタテインメント

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 人生に疲れた?
 どうするか迷っている?
 そんなあなたにこの映画。暗い歴史をノリと笑顔で吹き飛ばす、ポジティブミュージカル。

「ヘアスプレー」監督:アダム・シャンクマン
 
 1988年公開の同名映画のリメイク。ブロードウェイでミュージカル化され、好評を博したもの。
 60年代のボルチモア。トレイシー・ターンブラッド(ニッキー・ブロンスキー)はヘアスプレーでガチガチに固めた髪の毛と、コロコロよく太った体がトレードマークの元気少女。親友・ペニー・ピングルトン(アマンダ・バインズ)と一緒にダンスの練習をして、いつかローカルダンス番組「コーニー・コリンズショー」に出演し、リンク・ラーキン(ザック・エフロン)と踊るという夢を持っていた。
 巨漢の母・エドナ(ジョン・トラボルタ)が無理だと止めるのも構わず番組のオーディションに出場したトレイシーだが、プロデューサーのベルマ・フォン・タッスル(ミシェル・ファイファー)に体型を理由に一方的にハネられる。しかし後日行われた黒人白人混合のダンスパーティーの会場で司会のコーニー・コリンズ(ジェームズ・マースデン)の目に止まり、番組レギュラーの座を獲得する。
 初めは否定的だったエドナも、ブラウン管の中を所狭しと跳ね回る娘の愛らしさに胸を射抜かれ、いたずらおもちゃ店を経営する夫・ウィルバー(クリストファー・ウォーケン)と共に全力で応援を開始する。
 持ち前の屈託のなさと自由なステップでたちまちお茶の間の人気者になったトレイシー。もし番組の女王の座を奪うことになったら何がしたいか、とのコーニーの問いに「ブラックデー(黒人のみが出演する日)を増やしたい」と答えて差別主義者のベルマを敵に回してしまう。折しも黒人解放運動真っ盛りのボルチモアに、暗雲が迫っていた……。

 白人? 黒人? デブ? SKN!
 SKNとは「そんなの関係ねえっ」の略だそうで……。
 外見差も能力差もSKN、と豪快に笑い飛ばすのが信条のこの映画、ニッキー・ブロンスキーを主役に据えた時点でその成功が約束されたといっても過言ではない。トラボルタの変貌ぶりもクリストファー・ウォーケンの怪演もSKN。メタボリックガールのサクセスストーリーと見せかけてのカラーピープル(有色人種)と白人種の交流と共闘、という裏テーマもSKN。 
 ダンス大好き。人生楽しい。だから前へ。もっと前へ。さあ一緒に踊ろう! 
 シンプルな理念に裏打ちされた彼女の行動は純粋で凛として美しく、曲がった背中やひねくれた根性を強引にまっすぐにしてくれる。世界は善意で成り立っているという嘘っぱちを束の間信じさせてくれる、素晴らしい映画だ。

エディット・ピアフ~愛の讃歌~

2007-10-24 00:27:51 | 映画
 Q:死を恐れますか?
 A:孤独よりマシね
 Q:歌えなくなったら?
 A:生きてないわ
 Q:正直に生きられますか?
 A:そう生きてきたわ
 Q:女性へのアドバイスをいただけますか?
 A:愛しなさい
 Q:若い娘には?
 A:愛しなさい
 Q:子供には?
 A:愛しなさい

「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」監督:オリヴィエ・ダアン

 重く低くたれこめた雲の下、濡汚れた街並みに、これまた薄汚れた少女が空腹を抱えてうずくまっていた。その視線の先にはやつれた母・アネッタ(クロチルド・クロー)が、日銭を稼ぐため路上で歌を歌っていた。
 1915年。第一次世界大戦のさ中、エディット・ジョアンナ・ガション(マノン・シュヴァリエ)はパリのベルヴィル区に誕生した。やがて母は少女を置いて去り、軍人だった父・ルイ(ジャン・ポール・ルーブ)に連れられ祖母・ルイーズ(カトリーヌ・アレグレ)の経営する娼館に預けられた。
 娼館の女たちはエディットを歓迎した。満足に我が子を産んで育てることもできない彼女たちにとって、エディットは我が子のような存在であった。中でもティティーヌ(エマニュエル・セニエ)はとくにエディットに目をかけ、可愛がった。エディットが角膜炎により失明しかけたとき、聖テレーズにお祈りを捧げに行くとき、日常の面倒、嫌な顔一つせずに世話を焼いた。娼婦であることをやめ、母になりたいと思い込むほどに……。
 だが蜜月のときは長くは続かない。猥雑で薄暗く悲哀と絶望に満ち、でもたしかにエディットに愛を与えてくれた娼館をあとにすると、彼女は大道芸人となった父とともに放浪の日々を送ることになる。
 サーカスの一座にいた時はまだよかった。見たこともない動物や火吹き男との出会い、何よりも飢えに悩まされずに済んだ。だが父が座長と喧嘩別れしてサーカスを飛び出してからは状況が変わった。なんの後ろ盾もない日々に父は苛立ち、不安だけが募っていった。
 かつての母のように路上で芸を披露し、日銭を稼ぐ父。その傍らにたたずんでいるだけの彼女(ポリーヌ・ビュルレ)に、観衆から声がかかった。父はなんでもいいからやってみせろと芸を要求し、切羽詰った彼女はしょうがなく歌を歌う。「ラ・マルセイエーズ」。天使の歌うフランス国歌に、人垣が出来た。
 20歳になったエディット(マリオン・コティヤール)は、親友モモーヌ(シルヴィ・テステュー)と共に街を走り回っていた。酒瓶を片手に歌を歌い、日銭を稼いだ。母との違いはその圧倒的な歌唱力で、細い体から迸る声の迫力で、母の何倍も稼いだ。
 やがてその才能を見抜いたルイ・ルプレ(ジェラール・ドバルデュー)の庇護下に、キャバレー・ジェルニーズでデビューすることとなったエディットは、ピアフ(雀)という名前を与えられる。肩をいからせて軽く握った拳を腰に当て、上目遣いの大きな目をキョロキョロと周囲に走らせる彼女の歌い様は、なるほど小雀を連想させた。
 たちまち人気者になったエディット。多くの人間が彼女の周囲に集まり、祝福と賛辞の言葉を投げかけた。しかしルイ・ルプレが凶弾に倒れて殺人の嫌疑をかけられ、あげく親友モモーヌが更生施設に連れて行かれると、エディットの周りには誰もいなくなった。
 安酒場を転々とし、それでも歌をやめない彼女。ステージに立つ彼女に、容赦ない「人殺し」の罵声が浴びせられた。
 不遇の彼女を救ったのは、作詞・作曲家のレイモン・アッソ(マルク・バルベ)。それまで完全に我流で歌っていたエディットの歌に初めて文句をつけ、そして徹底的に鍛え上げた。「はっきりと発音しろ」、「心をこめて」、「全身で歌え」。情け容赦のないスパルタ教育が彼女の才能を引き出す。復帰コンサートは大成功に終わり、そして彼女は一躍スターダムにのし上がった。
 取り巻きに囲まれ姉御肌に振る舞い、自分勝手好き放題に暮らす彼女はアメリカに渡ってもうまいことやっていた。最初はフランス人歌手を認めようとしなかったアメリカの聴衆も、批評家も、やがて彼女の歌に魅了され、ファンの一人となっていった。
 そしてここで、最大の出会いが待っていた。妻も子もある後のボクシング世界チャンピオン・マルセル・セルダン(ジャン・ピエール・マルタンス)。試合会場で「ぶっ殺せ」とわめきたて、ホテルの廊下一面にバラの花を撒き、マルセルの腕にすがる彼女の表情には、まぎれもない幸せがあった。
 道ならぬ恋の結末はマルセルの飛行機事故だった。愛する人と死別した彼女は、長い苦悩の時期を乗り越え、パリで復帰した。「愛の讃歌」の熱唱に、会場の誰もが酔いしれた……。
  
 伝説のシャンソン歌手。世界の歌姫エディット・ピアフの一生を描いている。
 傲慢で不遜で独りよがりで、繊細で卑屈で何よりも孤独を恐れるエディット。何度もある成功と挫折の振幅を、その死の瞬間まであますところなくとらえている。あれほどのスターが病に冒され、マイクを前に崩れ落ちる姿。それでも観客に応えて立ち上がり、卒倒する姿。暗闇の中で一人泣き、孤独に耐えながら死を待つ姿。残酷で悲惨な描写。そこにあるのはまぎれもないエディットへの敬意だ。オリヴィエ・ダアンの視線には愛がある。
 背景や衣装がよい。適度な汚れ、ほころび、色褪せ、最近の日本の映画では足元にも及ばない徹底した「時代らしさ」の表現があり、安心して世界に入り込める。
 しかし何よりこの映画の素晴らしさは主演のマリオン・コティヤール。彼女の全身全霊の演技に尽きる。リュック・ベッソンの「Taxi」シリーズでおなじみの美人女優が20~47歳のエディットを一人で演じるのだが、これがものすごく似ている。メイク技術が……というだけではない。話し方、立ち居振る舞い、歌こそほとんどエディットの肉声を流用しているものの、憑依したかのように「あの時の」エディットを降臨させている。それでいてただの物まねではない。エディットを知らない人でも「ああ、こんなすごい歌手がいたんだな」と思えるような、圧倒的な存在感がある。彼女を今年のアカデミー主演女優賞に推す声が多いのも、無理からぬ話だ。

花田少年史~幽霊と秘密のトンネル~

2007-10-07 12:28:42 | 映画
 時に空を見上げ、時に闇にたたずむ。
 ひっそりとしんみりと、言いたかった言葉やかなえたかった願いを思いふける。
 でもみんな知ってる。後悔先に立たず、覆水は盆に帰らない。過ぎてしまった出来事はどうにもならない。
 だけど煩悶は続くのだ。もしあの時ああしていたら、こんなことさえしなければ。強い思い入れが残響のように己を苛み、そして……。

「花田少年史 幽霊と秘密のトンネル」監督:水田伸生

 某大作RPGが人気で、発売日には徹夜の行列ができていたあの頃、花田一路(須賀健太)は母・寿枝(篠原涼子)と庭で対峙していた。いつもの光景にぴくりともしない家族をよそにエスカレートするだけしたバトルの末に、一路は自転車で脱走する。親友・村上壮太(松田昂大)と合流した一路は山道を疾走し、有名なお化けトンネルに抜け出たところで暴走するトラックと衝突し、涅槃を垣間見る。
 トラックを暴走させる原因を作った「成長する幽霊」香取聖子(安藤希)は猛省し、なんとか一路をこの世に連れ戻すことに成功する。
 事故が元で頭に九針縫う怪我を負った一路が、あの世の存在と触れ合うことのできる霊媒体質を手に入れて、あの夏は始まった……。
「ピアノの森」の作者・一色まことの手による人情幽霊話。ちょっと昔の日本のどこかの港町で、幽霊とコンタクトできる少年・一路がその能力を生かしてご近所の人々や父母の心の澱を洗い流すというストーリー。
 もともと外れの少ない分野だし、「ALWAYS~3丁目の夕日~」などで好演を見せた須賀健太ののびのびした演技や、篠原涼子、西村雅彦、北村一輝、杉本哲太、もたいまさこなど脇を固める役者陣の安定した技量のおかげできっちり見れる作品に仕上がった。安藤希の女子高生役はちょっと無理があった気もするけど、そのへんはご愛嬌。ほろりと泣ける死者との対話を味わっていただきたい。

Vフォー・ヴェンデッタ

2007-10-03 10:12:26 | 映画
「死ね! 死ぬんだ! ……なぜ死なん!?」
「仮面の下にあるのは理念だからさクリーディ君。理念は決して死なない」 

「Vフォー・ヴェンデッタ」監督:ジェームズ・マクティーグ

 第三次世界大戦後の、米国が植民地化されるなど混沌とした世界。アダム・サトラー(ジョン・ハート)議長が全権を揮う全体主義の英国は、夜間の外出が禁止され、公然と盗聴がなされ、秘密警察が闊歩する陰惨な国家と成り果てていた。国営放送局に勤めるイヴィー・ハモンド(ナタリー・ポートマン)は上司との約束を守るため夜中に外出したところを秘密警察に捕まり、暴行されそうになる。そこに現れたのは黒ずくめの衣装にガイ・フォークスの仮面(1605年に英国で起こった火薬陰謀事件実行犯の面。見た目は「翁」の面に似ている)を被った謎の男。卓越した短剣二刀流で秘密警察を叩き伏せると、男は自らをV(ヒューゴ・ウィーヴィング)と名乗った。国家転覆そして無政府状態を狙って暗躍するテロリストである。
 裁判所を爆破したVとの関係を疑われ、家に戻れなくなったイヴィーは、やむなくVの隠れ家・シャドウギャラリーで共同生活を営むようになる。まず驚いたのはVが普段から黒ずくめの格好で生活し、片時も仮面を外さないことだ。花柄のエプロンを腰に巻いてフレンチトーストを焼く姿はシュールどころの騒ぎではない。フェンシングの構えで中世の甲冑を相手切り刻む時だって、もちろん仮面つき。表情がわからないから見た目がものすごく怖い。
 国営放送局を乗っ取るVの手助けをし、Vの仇・リリマン主教をたぶらかす役をこなしたイヴィーだが、彼との生活が怖くなり、その足で逃亡する。しばらくは国営放送局の番組司会者ゴードン(スティーヴン・フライ)の家に潜伏するが、当のゴードンが家にいるところを秘密警察に襲われて連れ去られてしまう。イヴィーはその光景を目の当たりにしながら何もできず、しかも家から脱出しようとしたところで頭から袋をかぶせられ、捕らわれの身となる。
 イヴィーは独房に収監され、頭を丸刈りにされた。粗末な食事と不衛生な生活環境、水責めでの尋問と、見てるほうがかわいそうになってくるような仕打ちのさ中、彼女は壁の裂け目からトイレットペーパーに書かれた手紙を見つける。それは同性愛を咎められ、ここに閉じ込められていた女性・ヴァレリーの手記だった。ヴァレリーのパートナーへの愛の深さ、悔しさや孤独を知り、イヴィーは勇気付けられる。今まで何に対しても受身で、びくびくと暮らしていた自分が小さな存在に思えた。もう迷いはない。最期の瞬間まで戦うのみ、と臍を固めた。
 一方で、エリック・フィンチ警視(スティーヴン・レイ)は、かつてテロリストによって爆破された収容所にVがいたことを突き止める。同時に、彼が効率よく人を死に至らしめる薬の被験者になっていたことを知る。薬効を乗り越え生き延びたことにより超人的な能力を身につけたこと、血の復讐(ヴェンデッタ)への思いも含めて……。
 
「マスク・オブ・ゾロ」のような爽快な活劇を想像していたから、ダークなストーリー展開に呆然とさせられた。Vはイギリスのコミックを原作とした存在で、だが正義のヒーローではない。理念なんて言葉で武装してはいるけど、実際にはただの復讐鬼にすぎない。醜く焼け爛れた顔と心。Vは己の矮小さを知っている。人を愛していい存在ではない。だからこそというか、イヴィーへの想いは歪んでいる。話の後半のイヴィーへの仕打ちは、たとえそれが本人のためだったとしても、あまりにむごい。だけど、それが自分の知る中で最も効率のよいやり方だった。
 面白かったか? と聞かれれば首をかしげざるをえない。アクションシーンはあまりないし、全体に説明不足。だが、異様異彩を放つ映画であることはたしかだ。人が何かを願い、何かを望み、そのために手段も犠牲も厭わぬ姿はそれだけで感動的だ。そこには強い人の意志があるから。源が愛であるならなおさら。