映画を観て杉原千畝の故郷、岐阜県八百津町へ。
そこにある杉原千畝記念館へ
館内には杉原千畝の業績、ユダヤ人のフォロコーストの展示。
20年前に仕事でポーランドへ行った時に、時間を見つけてアウシュビッツへ。入口にあったスローガン
"Arbite mache frei"
"働けば自由に"
かつて、高校の修学旅行で行った長崎の原爆資料館を見学した時と同じく、言葉を失いました。
たった1枚の紙"ビザ"で人の運命が変わってしまう惨さ、考えさせられます。
杉原千畝千畝が実際に使った机で
ビザの判子を
当時は杉原千畝だけではなく、他にもユダヤ人を救うためビザを発給した外交官がいたこと、ホッとすると同時に彼らの勇気に改めて感動します。
というのも杉原千畝は本国政府の指示に背いてビザを発給したため戦後、外交官を追放されてしまいます。
その名誉回復はなんと2000年まで待たなければなりませんでした。それを強力に後押しをしたのが鈴木宗男政務次官、そう、あの鈴木宗男さんです。
日本以外の多くの国で杉原千畝は教科書にもでているくらいなのに、なんとこの日本という国の精神的貧しさ、情けなくなります。というよりは、日本の官僚組織の頑なさ、そして非を認めない非人間性を感じてしまいます。
映画では、残念なことに杉原千畝の葛藤が余り描かれていなかったのは残念でしたが!
杉原千畝記念館の近くの八百津発電所跡へ
木曽川のほとりに。
明治の先人たちの功績、とにかく、日本を良くしていこう、という意気込みの余韻に浸る、ゆっくりとした時間を。
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