ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

日本の近代発展の“明”の歴史

2018-02-11 17:40:40 | 旅行記

赤倉は雪、そしてガス。怪我をしたくないので、スキーはやめて東京の実家へ。
途中にある富岡製糸場まで、18号で。

途中、軽井沢、碓氷峠と。軽井沢は、何を隠そう初めて

高そうな車が一杯でした!

途中、妙義山を。


富岡製糸場へ3時間くらいで。

世界遺産登録でたくさんの観光客がいるとのことでしたので、冬のこの時期ならば少ないかな、と。

中を色々と。



煉瓦と木材での和洋折衷の工場。

ちょうど、動力の蒸気機関も動いていました


のちに民間に払い下げられて三井が運営。経営陣の社宅も立派


また、古い建物の工事中の現場を見ることができました。

一応、工事現場なのでヘルメット着用
ただ撮影禁止なので写真はなし。

製糸場で使う水を入れるタンク

明治時代に作られたリベットを使用したもので現存するものでは最古参。製鉄会社に勤務していたので興味深く。

煉瓦と木材、コンクリート代わりの漆喰、見事です

中は、織機の機械。



現在はモーター駆動ですが当時は蒸気機関で。その設備がそのまま。今の仕事では織機用モーター(スピンドルモーター)の材料も関係しているのでまた、興味が。

実は愛知県も織機関係は多くあります。何を隠そう、あのトヨタ自動車は、もとはといえば、豊田自動織機の子会社です!

立派な従業員寮。
そして女工さん達の夜間学校


製糸場、そして織物産業は明治以降、日本の富国強兵政策のもと、積極的に、多くの若者、特に女の子達。
自分が勤めている会社の工場(製鉄所)のある岡山県倉敷市にも大原孫三郎さんが創ったクラボウがあります。
このクラボウでは女工さん達は破格の待遇を持って受け入れられていて、福利厚生もすばらしいものでした。今でも、地元では自慢のひとつ。
この富岡製糸場もやはり同じように最新鋭の思想で運営されていたようです。
しかし、一方で野麦峠の“女工哀史”で代表される若い女の子達の悲しい歴史があるのも事実。織機産業の負、暗、の世界。
この富岡製糸場も三井の後は、長野県諏訪湖、岡谷の片倉紡績のものとなりました。女工哀史の世界は、この諏訪地域の話であり、富岡製糸場は、どうなったのか、疑問に。

いずれにしても、今ある日本を創ってきたのは製糸業、織機用業なくしてはあり得ませんが、その“明”と“暗”について、色々と考えさせられます。

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