学校の教科書とそれにまつわる昔のお話。
戦後の日本では、民間の教科書会社(出版社)が本を作り、国の検定を受けたものが教科書として使われる「検定制度」が採用されている。
したがって、同じ学年の同じ教科用に複数のブランドの教科書が出版されている。
僕は小学生の頃から、このことを知っていた。年度途中で転校してきた子が違う教科書を持ってきて新しい担任の先生と新しい本の手配について相談していたのを見たり、小学館の学年別雑誌の「教科書ガイド」的コーナーが教科書会社別の構成になっていたりしたから。
少なくとも義務教育では、日本全体で1種類の同じ教科書を使ったほうが手間がかからなそうだけど、表現の自由とか市場経済とかそんな観点からでは、それではいけないのでしょう。
教科書の検定については、ニュースになる。
歴史認識では大きな問題になったほかは、漫画が載ったとか、歌謡曲が載ったとか。
2002年には、東京書籍の中学校社会科公民分野の教科書で、「雪国はつらつ条例」を「雪国はつらいよ条例」とするなど大量かつひどい誤植が発行後に見つかったこともあった。
今年は、三省堂の小学校1年生の国語の挿絵で、下がきで消したつもりの線にも色を塗って、腕が3本ある人物が描かれてしまい、回収・再配布された。(東京書籍の時は訂正表配布で済ませたようだけど)
これらは、出版社のミスだが、教科書検定のミスでもある。
その次の段階で、検定に合格した教科書がどうやって選ばれるかは、報道や発表はあまりされない。(図書館で実物を展示したりはしている)
複数の教科書の中から使う1種類の本を選ぶことを「採択」と言い、その権限は国立・私立学校では学校長、それ以外の公立学校では、各学校を設置する教育委員会にある。県立高校では学校(場合によっては学科)ごとに教科書が違い、実質的には各高校が選んでいるが、名目上は県教委が採択。
公立小学校・中学校では、市町村教委が採択するから、同じ市町村内ではどの学校も同じ本を使うことになる。
さらに、「共同採択」と言って複数の市町村単位で採択することもあり、おおむね、平成の大合併前の市と付属する郡(町村)がいっしょになるようだ。秋田市では、かつては秋田市+河辺郡、現在は河辺郡がすべて秋田市になったので秋田市単独。
教科書検定は「おおむね4年ごとの周期で行われ」、それに連動して「義務教育諸学校用教科書については、通常、4年間同一の教科書を採択することとされてい」るとのこと。(文部科学省ホームページより)
【22日追記】戦後から1962年までは義務教育でも教科書は有償だったらしく、その頃は各学校に採択の権限があったらしい。
そんなわけで、自分の子どもの頃「国語の教科書に載っていたあの作品」の思い出が、同い年だけど違う地域で学校に通った人には通用しないということがあり得る。学校給食と同じように、全国共通と思いがちな教育制度でも、地域による差はあるのだ。
個人的には、昭和末期の秋田市・河辺郡で採択されていた、クリーム色地に淡いイラストが描かれた、ツルツルした表紙の光村図書の小学校国語、太い縁取り線でテントウムシなどが描かれたエンボス加工の表紙の大日本図書の小学校理科「たのしい理科」が懐かしい。※昭和63年度の教科書について。
現在は、どれが採択されているのか。ネットで調べると、教育委員会などによる公的な一覧表はないようだが、各地の取次店などが情報をアップしてくれている。
それによれば、秋田市では国語は昔と同じく光村。理科はいつの間にか東京書籍に変更。社会は2013年度までは教育出版で今年度から東京書籍に変更(昔の社名は忘れた【2016年5月22日追記】昭和末期の秋田市・河辺郡の社会科の教科書は「中教出版」だった。同社は1995年前後(※)に版権を「日本文教出版(大阪)」へ譲渡して解散している。※日本文教出版のホームページでは1993年、Wikipediaでは1996年とされている。)。
秋田県の他の地域や秋田大学附属小学校でも、傾向としては似ている。国語と理科は県内すべてで同じものを採択、他の教科も社会と算数は東京書籍が圧倒的多数で残りは教育出版(算数は秋田市と秋大附小だけが教育出版)といったように、出版社数と比べてかなり偏りがある。
ちなみに青森県を見てみると、今の秋田では見られない大日本図書、学校図書、啓林館などが採択されているものの、やはり偏っている。国は光村と教育出版が半々。
各県教委が「教科用図書選定審議会」を設置し、採択権者(市町村)に対して助言する制度があるそうなので、そういったものが影響しているのだろう。
採択は、小学校国語、中学校数学などと「学校種の教科ごと」に実施されるようなので、小学校なら1年生から6年生まで同じ出版社のものが使われる。
だから、入学から卒業まで一貫性がある教科書を使い続けることができる。
例外で途中で教科書が変わってしまうのが、冒頭のような他地域からの転校生。
それともう1つある。採択する教科書が変わってしまった地域において、変わってしまった年に進級する児童生徒である。採択が変わる時は、その年度の全学年で一斉に変わってしまうから。
秋田市では、今年度から小学校社会科が変わっているので、今年度の4年生~6年生が該当する。(今は1、2年生は理科がない)
※秋田市では、2年生までの生活科と3年以降の理科・社会でも出版社が違う。ある程度共通性がある科目かと思っていたが、この点はどうだろう。
遅くなりました。ここから本題です。
そして、1990年度の秋田市・河辺郡の中学2、3年生の英語もそうであった。
それに僕も該当し、けっこう戸惑いがあったのだった。
現在の秋田市では東京書籍「NEW HORIZON English」が採択されている。
しかし、僕が中学校に入学した時は、開隆堂「SUNSHINE ENGLISH COURSE」だった。それが2年生からHORIZONに変わった。
秋田市では今もHORIZONが使われているが、その時から途切れなく続くのだろうか。我々は秋田市のHORIZON第1期生に当たるらしい。
2年に進級した時、昨年度とまったく違うデザインの教科書が渡され、中身の雰囲気も変わったのはすぐ分かった。
※両者とも現在のものとは表紙のデザインは異なる。
さらに困ったのが、「前年度に習った英単語が再び新出単語として掲載」されたり、「初見なのに新出単語でない扱いの単語」があったりしたこと。「apple」はSUNSHINEの1年生で習ったのに、HORIZONでは3年生で初めて出た扱いになっていたはず。
つまり、小学校の「学年別漢字配当表」のような「この英単語は何年生で習う」といった決まりがなく(そもそも「必修単語」という概念自体がないみたいだけど)、各教科書会社の裁量に任されているのだった。もしかしたら両教科書のはざまで覚えるべきなのに習わずに終わってしまった単語もあるかもしれない。
教科書配布の段階では、生徒に対して教科書が変わったことの説明はなかったと思うが、後の授業中に先生が「apple」を引き合いに「教科書が(前年度と)変わっちゃってねぇー」と、採択変更への批判とも生徒への謝罪とも取れるような発言をちらりとなさったのは覚えている。
そんなわけで、途中での教科書変更によって、英語を学習するに当たっての流れが途切れさせられてしまった気がしなくもない。
僕が英語が苦手なのは、このせいである。(とは自分の勉強不足を差し置いた言い訳ですが、遠因の1つではあるかもしれない。)
あと、途中で教科書が変わる転校生の気持ちが、多少理解できた。
他の教科でも同様に教科書が変わって戸惑う子どもと先生たちが、4年に1度、どこかで出ているかもしれない。現場を無視した、文科省や教育委員会の押し付けのように感じられなくもない。
変更する場合は同じ年に全学年一律ではなく、「採択を変更する場合、在学途中の学年の児童生徒においては、最終学年まで従前の教科書を採択し続けることができる」といった“激変緩和措置”が必要ではないだろうか。
教育関係者の意見を伺ってみたい。
当時は分からないが、2005年度検定分の中学校英語教科書のシェアは、6社中HORIZONが42.5%でトップ。以下、三省堂「NEW CROWN ENGLISH」21.6%、SUNSHINE20.5%。(以下3社は10%以下のシェア)
(「レファレンス協同データベース(http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000046326)
」より)
秋田県教委の助言のせいか、秋田市教委(+当時は河辺町、雄和町)の意志なのか、どうしてそんなにHORIZONに変えたかったのか、今さらながら知りたい。
【2016年4月11日追記】2015年から2016年にかけて全国的に、複数の教科書会社が、外部に公開してはいけない、検定途中の教科書を各地の教員(採択委員を含む)に見せ、さらに謝礼を支払っていたケースもあったことが判明して問題になっている。
秋田県でも複数の事例が確認された。2015年度末には、秋田市立中学校の校長が東京書籍から見せられて1万円を受け取っていたとして、処分を受けた。(年度末での退職者だったため、他に先立っての処分・公表)
1990年当時も、同じようなことがあったのかもしれない。
※音楽の教科書について。
戦後の日本では、民間の教科書会社(出版社)が本を作り、国の検定を受けたものが教科書として使われる「検定制度」が採用されている。
したがって、同じ学年の同じ教科用に複数のブランドの教科書が出版されている。
僕は小学生の頃から、このことを知っていた。年度途中で転校してきた子が違う教科書を持ってきて新しい担任の先生と新しい本の手配について相談していたのを見たり、小学館の学年別雑誌の「教科書ガイド」的コーナーが教科書会社別の構成になっていたりしたから。
少なくとも義務教育では、日本全体で1種類の同じ教科書を使ったほうが手間がかからなそうだけど、表現の自由とか市場経済とかそんな観点からでは、それではいけないのでしょう。
教科書の検定については、ニュースになる。
歴史認識では大きな問題になったほかは、漫画が載ったとか、歌謡曲が載ったとか。
2002年には、東京書籍の中学校社会科公民分野の教科書で、「雪国はつらつ条例」を「雪国はつらいよ条例」とするなど大量かつひどい誤植が発行後に見つかったこともあった。
今年は、三省堂の小学校1年生の国語の挿絵で、下がきで消したつもりの線にも色を塗って、腕が3本ある人物が描かれてしまい、回収・再配布された。(東京書籍の時は訂正表配布で済ませたようだけど)
これらは、出版社のミスだが、教科書検定のミスでもある。
その次の段階で、検定に合格した教科書がどうやって選ばれるかは、報道や発表はあまりされない。(図書館で実物を展示したりはしている)
複数の教科書の中から使う1種類の本を選ぶことを「採択」と言い、その権限は国立・私立学校では学校長、それ以外の公立学校では、各学校を設置する教育委員会にある。県立高校では学校(場合によっては学科)ごとに教科書が違い、実質的には各高校が選んでいるが、名目上は県教委が採択。
公立小学校・中学校では、市町村教委が採択するから、同じ市町村内ではどの学校も同じ本を使うことになる。
さらに、「共同採択」と言って複数の市町村単位で採択することもあり、おおむね、平成の大合併前の市と付属する郡(町村)がいっしょになるようだ。秋田市では、かつては秋田市+河辺郡、現在は河辺郡がすべて秋田市になったので秋田市単独。
教科書検定は「おおむね4年ごとの周期で行われ」、それに連動して「義務教育諸学校用教科書については、通常、4年間同一の教科書を採択することとされてい」るとのこと。(文部科学省ホームページより)
【22日追記】戦後から1962年までは義務教育でも教科書は有償だったらしく、その頃は各学校に採択の権限があったらしい。
そんなわけで、自分の子どもの頃「国語の教科書に載っていたあの作品」の思い出が、同い年だけど違う地域で学校に通った人には通用しないということがあり得る。学校給食と同じように、全国共通と思いがちな教育制度でも、地域による差はあるのだ。
個人的には、昭和末期の秋田市・河辺郡で採択されていた、クリーム色地に淡いイラストが描かれた、ツルツルした表紙の光村図書の小学校国語、太い縁取り線でテントウムシなどが描かれたエンボス加工の表紙の大日本図書の小学校理科「たのしい理科」が懐かしい。※昭和63年度の教科書について。
現在は、どれが採択されているのか。ネットで調べると、教育委員会などによる公的な一覧表はないようだが、各地の取次店などが情報をアップしてくれている。
それによれば、秋田市では国語は昔と同じく光村。理科はいつの間にか東京書籍に変更。社会は2013年度までは教育出版で今年度から東京書籍に変更(昔の社名は
秋田県の他の地域や秋田大学附属小学校でも、傾向としては似ている。国語と理科は県内すべてで同じものを採択、他の教科も社会と算数は東京書籍が圧倒的多数で残りは教育出版(算数は秋田市と秋大附小だけが教育出版)といったように、出版社数と比べてかなり偏りがある。
ちなみに青森県を見てみると、今の秋田では見られない大日本図書、学校図書、啓林館などが採択されているものの、やはり偏っている。国は光村と教育出版が半々。
各県教委が「教科用図書選定審議会」を設置し、採択権者(市町村)に対して助言する制度があるそうなので、そういったものが影響しているのだろう。
採択は、小学校国語、中学校数学などと「学校種の教科ごと」に実施されるようなので、小学校なら1年生から6年生まで同じ出版社のものが使われる。
だから、入学から卒業まで一貫性がある教科書を使い続けることができる。
例外で途中で教科書が変わってしまうのが、冒頭のような他地域からの転校生。
それともう1つある。採択する教科書が変わってしまった地域において、変わってしまった年に進級する児童生徒である。採択が変わる時は、その年度の全学年で一斉に変わってしまうから。
秋田市では、今年度から小学校社会科が変わっているので、今年度の4年生~6年生が該当する。(今は1、2年生は理科がない)
※秋田市では、2年生までの生活科と3年以降の理科・社会でも出版社が違う。ある程度共通性がある科目かと思っていたが、この点はどうだろう。
遅くなりました。ここから本題です。
そして、1990年度の秋田市・河辺郡の中学2、3年生の英語もそうであった。
それに僕も該当し、けっこう戸惑いがあったのだった。
現在の秋田市では東京書籍「NEW HORIZON English」が採択されている。
しかし、僕が中学校に入学した時は、開隆堂「SUNSHINE ENGLISH COURSE」だった。それが2年生からHORIZONに変わった。
秋田市では今もHORIZONが使われているが、その時から途切れなく続くのだろうか。我々は秋田市のHORIZON第1期生に当たるらしい。
2年に進級した時、昨年度とまったく違うデザインの教科書が渡され、中身の雰囲気も変わったのはすぐ分かった。
※両者とも現在のものとは表紙のデザインは異なる。
さらに困ったのが、「前年度に習った英単語が再び新出単語として掲載」されたり、「初見なのに新出単語でない扱いの単語」があったりしたこと。「apple」はSUNSHINEの1年生で習ったのに、HORIZONでは3年生で初めて出た扱いになっていたはず。
つまり、小学校の「学年別漢字配当表」のような「この英単語は何年生で習う」といった決まりがなく(そもそも「必修単語」という概念自体がないみたいだけど)、各教科書会社の裁量に任されているのだった。もしかしたら両教科書のはざまで覚えるべきなのに習わずに終わってしまった単語もあるかもしれない。
教科書配布の段階では、生徒に対して教科書が変わったことの説明はなかったと思うが、後の授業中に先生が「apple」を引き合いに「教科書が(前年度と)変わっちゃってねぇー」と、採択変更への批判とも生徒への謝罪とも取れるような発言をちらりとなさったのは覚えている。
そんなわけで、途中での教科書変更によって、英語を学習するに当たっての流れが途切れさせられてしまった気がしなくもない。
僕が英語が苦手なのは、このせいである。(とは自分の勉強不足を差し置いた言い訳ですが、遠因の1つではあるかもしれない。)
あと、途中で教科書が変わる転校生の気持ちが、多少理解できた。
他の教科でも同様に教科書が変わって戸惑う子どもと先生たちが、4年に1度、どこかで出ているかもしれない。現場を無視した、文科省や教育委員会の押し付けのように感じられなくもない。
変更する場合は同じ年に全学年一律ではなく、「採択を変更する場合、在学途中の学年の児童生徒においては、最終学年まで従前の教科書を採択し続けることができる」といった“激変緩和措置”が必要ではないだろうか。
教育関係者の意見を伺ってみたい。
当時は分からないが、2005年度検定分の中学校英語教科書のシェアは、6社中HORIZONが42.5%でトップ。以下、三省堂「NEW CROWN ENGLISH」21.6%、SUNSHINE20.5%。(以下3社は10%以下のシェア)
(「レファレンス協同データベース(http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000046326)
」より)
秋田県教委の助言のせいか、秋田市教委(+当時は河辺町、雄和町)の意志なのか、どうしてそんなにHORIZONに変えたかったのか、今さらながら知りたい。
【2016年4月11日追記】2015年から2016年にかけて全国的に、複数の教科書会社が、外部に公開してはいけない、検定途中の教科書を各地の教員(採択委員を含む)に見せ、さらに謝礼を支払っていたケースもあったことが判明して問題になっている。
秋田県でも複数の事例が確認された。2015年度末には、秋田市立中学校の校長が東京書籍から見せられて1万円を受け取っていたとして、処分を受けた。(年度末での退職者だったため、他に先立っての処分・公表)
1990年当時も、同じようなことがあったのかもしれない。
※音楽の教科書について。
国 ずっと光村
算・数 教育
英 ホライズン
社 東京(わたしたちの秋田市、わたしたち秋田県有り)
理 東京
生(生活1期生でした) 東京?
ホライズンは別に秋田に関係した話があるわけでないんですよね。
サンシャインは男鹿地域で使っていたそうですから、消えたわけでは無いんですが、解せないです。
「たぬきの糸車」、「三年峠」、「スイミー」、「ごんぎつね」、「石うすの歌」、「ひとつの花」、「故郷」とか懐かしい国語。
平和枠といわれる四章が、右派な癖にやけに印象深いんです。
わたしたちの秋田市は「アーケードが買い物に便利だ!」というのを覚えてますが…
理科はガスバーナーを使う少年がやけにマッドな目をしていてクラスの話題になってました。
理科は既に大日本ではなかったんですね。我々とは算数(学校図書?)や社会も違うような…
国語の作品は「三年峠」以外は習いました。
県や市のは副読本というヤツですね。県のはあまり記憶にない(もしかしてなかった?)ですが「わたしたちの秋田市」はよく覚えています。授業では検定教科書よりも重用されたし、ワークブックもあり、楽しく学べました。だからこそ、今の知識と興味があるかも。
限られた供給者と限られた消費者という狭い世界ですから、同じ教科書を永年使い続けるにしても変えるにしても、どちらも決断は慎重になるのかもしれません。(なんとなく信号機業界に似てる気がします)
現場の子どもと先生が使いやすく、混乱しないことを第一してほしいものです。
自分の義務教育は石川錬ちゃんでしたが、さらに前は高田氏、ちょっと後は殿の意向だとしたら。
錬ちゃんは非自民左派系、高田氏と殿は自民保守系なので教育長や委員会、教組の意見も変わってた、なんてなれば。
平和四章に時間をさきまくる→印象深いのもむべなるかと。
ただまだ中道なのが救いで、共産党や公明党の市長になったらとんでもない中身を採択されかねないんではないかなと、このやり方は。
政治的発言すみません。
どっちにしても、秋田の高い基礎学力が維持できているのは教科書の選択も一因かもしれません。
途中の学年で採択を変えるのは、マイナス面も多そうだし、慎重に、できればやめていただきたい。それだけです。
教師として教える側からすれば、それどころじゃない気もしますが、途中の会話が抜けている、という指摘はあながち間違っていないような気がします。
ただ、文法との兼ね合いがあるので、何でもかんでも自然な文章にすればいいというものでもないのも事実。
更新講習などでも、こういった話が出てくるようですが、これが役立つのか否かが、更新制の将来にかかってくると思います。
更新講習自体の内容自体は賛成なのですが、その分、現職研修を充実させることと、現職でなくとも受講可能な(教員志望者を含む)自由研修を充実させることが、必要だと思います。
実際、現場の先生は、文法で手一杯のような気がします。
それがやりやすい教科書を採択するだけの話なのだと思います。
たしかに文法を基礎からしっかり教えてもらって覚えるのは大事だと思います。
他教科でも、教科書がすべてではないわけだし。