広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

勇気一つを友にして

2023-10-09 22:42:21 | 昔のこと
NHK「みんなのうた」の2023年10月・11月の再放送曲。
明るく楽しい「メゲメゲルンバ」とセットで放送されるのが、「勇気一つを友にして」。
おそらく昭和40~60年代(平成初期も?)生まれの人はご存知の歌だと思うが、好きではない人も多いと思う。僕は大嫌いである。暗いし、言っていることがおかしいし。

作詞:片岡輝、作曲:越部信義、歌:山田美也子、アニメーション:毛利厚。
作詞者は「未来少年コナン」の主題歌や「グリーングリーン」も手がけた詩人、作曲者は「おかあさんといっしょ」や「サザエさん」のBGMでおなじみ。越部作品としては断トツに暗い曲だろう。
歌い出し部分に、「キハーダ」もしくは「ヴィブラスラップ(ビブラスラップ)」という打楽器による「カーッ」の音が入るのが、ちょっとおもしろい。「与作(1978年)」の「ヘイヘイホー」の合いの手や、ハンバーグ師匠が持っているが、当時はまだどちらもなかった。当時の越部先生なりのお考えがあったのだろうけど、今となってはなんか場違い。【2024年7月13日追記・余談だが1973年の八代亜紀「なみだ恋」にも、カーッが多用されていて、今となっては場違いに聞こえてしまう。】
あと、アニメーションも、色と動きが少なくてなんだか怖い。

みんなのうたでの初回放送は1975年10・11月。
みんなのうた向けの書き下ろし作品なのか、先に発表済みの作品を起用したのか(今は書き下ろしが原則だが、当時のみんなのうたで両パターンあったようだ)は不明。Wikipediaによれば、1979年には教育芸術社の小学校6年生の音楽の教科書に掲載されていたとのこと。みんなのうた放送により、広く知られるようになったのかもしれない。

歌詞の内容は、昔、ギリシャのイカロス(イーカロス、イカルス)が、鳥の羽根をロウで固めた翼を着けて空を飛んだ。すると、太陽の熱でロウが溶けて翼が壊れ、イカロスは墜ちて命を失った。だけど、僕らはそんなイカロスの鉄の勇気を受け継いで、強く生きていく。というもの。

歌詞だけでは、イカロスがどういう理由で空を飛ぼうとしたのかが分からない。鳥人間コンテストのように、純粋に飛びたくて飛んだのだと思っていた。それを「鉄の勇気」と褒め称えるべきか…
出典となったギリシャ神話を紐解く(Wikipediaですが)と、少し状況が変わる。
イカロスは、父・ダイダロスとともに、迷宮(塔)に幽閉されていたのだった。自由を求めて飛び立ち、落命してしまったのなら、「勇気」とも言えなくはないか…
いや、そうでもなかった。
翼は父と共同で作ったもので、事前に父から「ロウが溶けるから太陽に近づくな」と注意を受けていたのに、飛び立った後、いわゆる“調子こいて”太陽へ向かっていったのだった(父のほうは翼で脱出に成功したらしい)。
ということは、制限速度をオーバーして自動車事故を起こしたり、閉山中の富士山のゲートをくぐって登山して救助を求めたりする人たちみたいなもんじゃないか。それを「勇気」とし、それを受け継いで生きたくない。

慣用句的な「イカロスの翼」としては、人間が生み出した技術への過信を戒める意味合い。
でも、上記を知れば、技術とか過信以前に、人から言われた重要なことを守れない、バカでしかない。


僕がみんなのうたで初めて本作を見たのは、1980年代半ば頃の再放送。しかしそれ以前に、歌は知っていて、すでに嫌いになっていた。
秋田市立学校(当時は+河辺郡2町立)の音楽の教科書は、教育芸術社を採択していて(現在も)、上記の通り当時はこの曲が6年生用に載っていた。
毎年秋には、学年ごとに学習の成果を発表する学校行事がある。母校の場合、1984年度までは「学芸発表会(学芸会)」、1985年度から「学習発表会」の名称。
その6年生の出し物では、最後に「勇気一つを友にして」を合唱するのが恒例になっていて、毎年聞かされていたから。みんなのうた版を初めて見た時は、アレンジとアニメでさらに嫌いになった。

毎年聞かされて嫌になった上、自分が6年生になったら歌わされるのだとさらに嫌になっていた。
しかし、我々が6年になった時は歌わなかった。
学年主任でもあった学級担任の先生が、これまでのマンネリを打ち破り、新しい歌を歌うことにしたような話をされたのを覚えている。比較的若い先生が多かった学年で、音楽専攻の先生がいたこともあっただろう。
代わりに教育芸術社の中学校の教科書掲載の「明日という大空(作詞:平野祐香里、作曲:橋本祥路=秋田県出身、教育芸術社役員)」を歌った。平常の授業も含めて、「勇気一つを友にして」はほぼ歌わなかったのではないだろうか。※関連して音楽の教科書の話題


教育芸術社ホームページによれば、現行の教科書には「勇気一つを友にして」はどの学年でも掲載されていない。その他ネットを見ると、2000年代半ばくらいではまだ掲載されていたような感じ。
また、現在の6年生の教科書には、「明日という大空」が中学校から移動していた。昭和末の我が母校の先生たちは、先見性があったようだ。

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2 コメント

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いやあ正論ありがとうございました (FMEN)
2023-10-09 23:37:43
日テレ(よみうり)の鳥人間みたいにしたいわけでもなく、まさに命知らずなバカなんか歌にしてどうするんだと。
自分はあまりわかりませんがバブル期の「風船おじさん」とか昔モーニングショーで定番だった「初日の出暴走」、最近だと迷惑系ユーチューバーみたいで。
それを教科書やらNHKやらで採択とは。
たぶんライト兄弟やリリエンタール、白瀬矗や三浦雄一郎、植村直己とかのように見ていたのか。
小学6年の合唱大会ではこれと夢をのせて(これも橋本メロ)で二分されて夢をのせてになりました。

そもそも、みんなのうたってパンを踏んだ娘とかメトロポリタン美術館とかたまにバッドエンドがありますがあれは何を伝えたかったのか。
思い出のアルバムや赤い屋根の家(例年人気になるから全員合唱になる)とか路線でいいのに。
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美化歌曲 (taic02)
2023-10-10 18:00:12
歌で悲しい経験を疑似体験しておいて、将来に備える、という意義でもあるのでしょうか。本作では、未知のものへの探究心、犠牲はつきものみたいなことも教えたかったのか。
そうだとしても、ギリシャ神話と違うストーリーに“美化”しているのがおかしい。戦時中の国威発揚歌曲のように、どこかから指示があって作られたのではと、勘ぐってしまいそうです。

思い出しましたが、植村直己を題材にした合唱曲・合奏曲「風を切って」が同じく橋本祥路作品にあり、今は小6の教科書に掲載されています。
我々の頃は作られたばかりだったそうで、教科書には未掲載でしたが、小6の学習発表会で合奏しました。合奏なので基本的に歌わなかったですが、歌詞の最後「氷河に消えた」も、ちょっと怖かったものです。
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