広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

ポスト/新青森駅

2013-06-06 23:59:15 | 津軽のいろいろ
今さらですが、3月の青森で見たものから。
●ご当地ポスト
郵便ポストの上に、その土地ならではのもののオブジェが載っていることがある。
弘前市内の3つのポストにはリンゴが載っているけれど、青森市内ではこんなポストがあった。

青森駅から遠くない三角のビル「青森県観光物産館アスパム」の前のポストは、おなじみ「ねぶた」。
 


もう1か所。
新青森駅の新幹線側の「北口(以前からこういう名前だったけ?)」

 
「縄文・夢ろまん 三内丸山遺跡」
位置的には、新青森から遠くない所に遺跡がある。
落し物のストラップか何かのねぶた?


●新青森駅
新青森駅のいろいろ。
新幹線側の玄関から改札階の2階への上り口。
「在来線改札」という大きな表示が
以前はどうだったか忘れたけれど、後から設置したような雰囲気。

新幹線も在来線も改札口は2階にあり、同じ通路に面しているから、ここからどっちに乗るにしても同じ方向へ進めばいい。それなのに、当初は「新幹線改札口」の表示しかなかったのだとすれば、あまりに不親切だ。


JR東日本では、クレジットカード決済専用の指定席券売機の地方駅への設置を進めているらしい。
秋田駅では、現金も使える指定席券売機はみどりの窓口内にあり、クレジットカード専用は1台だけみどりの窓口の外の離れた場所にあって目立たない。
新青森駅では、
みどりの窓口内の指定席券売機コーナー
秋田駅と同じく、3台の現金カード併用の指定席券売機はみどりの窓口内にある。
そして、その左側、
クレジットカード専用が1台
併用券売機の近くに、壁への埋め込みでなく、でーんと置かれていた。
並ぶ列は併用と分かれているけれど、これなら分かりやすい。
スペース的に秋田駅のみどりの窓口では難しかったかもしれないけれど、このほうが工事費用も安くつきそう。秋田支社と盛岡支社の考え方の違いかな。


もう1つ、支社(あるいは駅)の考え方の違い。
秋田や青森のJR駅では、その駅の1枚もののポスターサイズの時刻表を駅で配っている。ダイヤ改正前後は、改札口周辺などに机を置いて「ご自由にお持ちください」としていることが多い。
たしか秋田駅では2つ折りにしたものを平置きし、土崎駅では2つ折りにしたものを段ボール箱に立てて入れていた。
新青森駅でも配っていたけれど、
 
1枚ずつ筒状にして、JR東日本ロゴ入り段ボールに入れていた。
このほうが折り目がつかないだろうけど、たかが時刻表に折り目がついても文句はない(むしろ筒を持ち帰ったり、広げて平らにするのが面倒かもしれない)だろうし、おそらく手作業で丸めているだろうから大変そう。


新青森駅のみどりの窓口内には、びゅうプラザとカフェの間に「駅レンタカー案内所」という小さな窓口があったが、3月31日で閉店とのこと。
駅のすぐそばにある「駅レンタカー新青森営業所」のサテライト的なものだったようだが、直接営業所に行っても遠くないし、利用者もあまりいなかったのではないだろうか。

新青森駅も少しずつ変化しているけれど、北海道新幹線開業時にはどう変わるだろうか。
コメント (4)
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131号車の市章

2013-06-05 23:50:48 | 秋田市営バス
市町村のマークというか紋章。
市町村合併に伴って最近定められたものは、曲線を多用してカラフルな、そしてあまり個性が感じられない(=似たりよったり)ロゴマークみたいなのが多い。(今日6月5日を「ロゴマークの日」と定めたデザイン会社があるそうだ。ロゴというより語呂ですな)

名古屋市の「○に八」とか、弘前市の「卍(まんじ)」とかシンプルなほうが分かりやすい。
※弘前市の卍は、ナチスドイツの「ハーケンクロイツ」とは向きが異なる。15年ほど前、一部のマンホールのフタがハーケンクロイツになっていたことが指摘され、修正したことがあった。


秋田市の市章もシンプル。
秋田市のホームページ「秋田市の沿革・市章・市の木・市の花・市民歌(http://www.city.akita.akita.jp/benri/01annai/03_4.htm)」によれば、「的に「矢留」の形と、秋田市の「田」の字をあらわしています。「矢留」とは旧秋田藩主佐竹氏の居城「久保田城」の別名。」とある。
秋田市章の歴史は長く昭和3年6月制定。秋田市例規集第1編第1章「市の紋章」が昭和3年6月8日付で告示されているから、今週の土曜日で秋田市章制定85周年ということになるらしい。

例規では「直径2寸4分ニ対シ輪ノ太サ2分、中心円径4分、矢羽ノ幅ハ広キ処4分狭キ処3分斜線ハ水平線ニ対シ30度ノ角度」とか細かく定めていて、「当市出身小場恒吉氏ノ考案ニ係ルモノデアル」であるそうである。
※小場恒吉は紋様学者、美術史家、画家(1878-1958)。県立秋田工業高校教諭や東京芸術大学教授を歴任し、秋工の校章も作った。秋田市章は秋田市制40周年で定められたとのこと。


秋田市章の「色」は定められていないようで、例規集では黒色で図示されている。
また、これも明確に定められてはいないのかもしれないが、秋田市の色として「若草色」が定着している。

そんなわけで具体的な根拠は知らないけれど、実際には市章にも若草色が使われている。
「秋田市旗」では若草色の地に白抜きで市章が配置され、カラーで市章だけを表示する場合は若草色で描くことになっているようだ。
秋田市の公式ホームページの各ページにも、市章が配置されているが、若草色というよりはただの緑色になっている。
若草色とは違う

今年夏に、秋田県中央部の海沿いの市町村で開催される「第10回海フェスタ実行委員会」のホームページ(http://www.umifesta-oga.jp/)では、他の市町村章と一緒に、若草色に近い色の秋田市章が出ている。



さて、先日青森市営バスのを紹介した(リンク先末尾)けれど、各地の市営バスの車体にはその市の市章が付いていることが多い。(仙台市営バスにはない【6日訂正・仙台市バスは側面に市章があるとのこと。コメント欄参照】)
秋田市営バスでも、路線車両では正面に付いていた。(貸切車両などは側面に付いていたものもあった)
(再掲)祝日は市旗を付けていたので、秋田市のマークが2つ
少なくとも市営バス末期に在籍した車両では、ラインを銀色で、円内の背景を白みがかった緑色にした市章だった。おそらく、円形の金属製の板をビスで留めていたかと思われる。(小型バスでは2回りくらい小さい同じもの)
移管に際して中央交通に譲渡された車両は、塗り替え作業が終わるまでは、市章が剥がされた(その跡に白いシールを貼った?)状態でしばらく運行され、魂が抜かれたようで寂しく思えたものだ。


末期の市営バスの市章の中でちょっと変わっていたのが、1995年度導入の三菱製中型車(130~133の4台。現在も中央交通で活躍中)。
130号車。バンパーがグレーなのも特徴的
この車両の市章は、平面的で車体にぴったり張り付いているように見える。市章の線は光沢のある銀色ではなくグレーっぽい。それに他の車両では見えることがあるビスやネジのようなものが見えない。
おそらく、印刷したシート状のものを貼っているのではないだろうか。
同年導入の小型車や翌年の日産ディーゼル製では通常の市章だったようだから、この年の三菱だけの仕様だったのだろうか。(三菱の路線車は1995年度導入が最後。その前の1993年度車は通常の市章)

さらに、その4台の中で、ひときわ変わった市章の車があった。
131号車。分かりますか?(2001年9月撮影)
市章の背景の色が違うのです。
他より黄色がかった緑色というか、蛍光色っぽいというか。これは「若草色」と言えそう。
水滴が付いている(2002年2月撮影)
市章以外にも特徴があるのにお気づきでしょうか。

それは、旗を立てる棒がないこと!
上の拡大した写真では、旗を立てるべき位置に穴は開いている。必要な時だけ立てていたのだろうか?
(再掲・2005年9月撮影)
2001年9月の時点では、既にこの市章で旗の棒がない。その後、2002年3月では棒がなく、2003年2月(祝日でない日)では棒が立っていた。
最末期は、他の車両と同様に棒が常にあったことになる。
131号車と268号車(1991年度導入)。車体の色も肌色とピンクっぽくて違う。2002年2月撮影

291号車(1993年度導入)と棒がある131号車。2003年11月撮影
どうして131号車だけ、市章や旗の棒が違うのか。
おそらく、事故などで前を破損し、その復旧時に違うものに替わってしまったと考えられる。
同じようなものに271号車の側面窓や249号車のバンパーもあるのですが、いずれまた

131号車は、2006年3月31日の秋田市交通局の最終日までこの市章(ただし「ありがとう」の幕で隠れていた)で運行し続け、最終便を担当した5台のうち1台となった(当日の運用からすれば、他の4台は増車扱いで、この131号車こそが真の最終運行の車両だったはず)後、中央交通へ譲渡・塗装変更された。(この年は車両数に余裕があったらしく、市営バスの塗装のまま中央交通で運行されることはなかった)
※塗り替えられた後の状況はこの記事後半


市営バスの市章で変わったものとして他には、
(再掲)230号車

留めているビスが見える
230号車の市章も、背景の緑色が若草色に近いように見える。
230号車は1989年導入の三菱車で、計3台(230~231号車)が導入されているものの、他の2台の画像がないため、230号車だけだったのか検証はできない。

【6日追記】
秋田市営バスと市章といえば、乗務員の制服のボタンや制帽の帽章にも、秋田市章(そのものではなく)をベースにしたものがデザインされていたはず。
なお、秋田市の市長部局などの職員(交通局の事務職員も対象か)に支給される「事務服」のボタンには市章などは使われていないらしい。

それから、交通局発行分の回数券の地紋も、薄い黄色で小さい市章がびっしりと並んでいた。
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大宮行きこまち

2013-06-04 23:57:46 | 秋田のいろいろ
青空に赤が映えるE6系電車(秋田駅にて)
写真の列車は秋田駅8時02分発の「こまち26号」。
6月1日から定期列車としては初めて登場した、E6系だけど「スーパーこまち」ではない(=普通の「こまち」なのにE6系が使われる列車。最高速度は275km/hで追加料金なし)列車の第1弾。
※7月以降は、特定の期間だけE6系に変更されて、その後またE3系に戻る列車も設定されているようなので、利用の際はご確認を。

秋田新幹線は、東京行き/始発(上り最終と下り始発は仙台)。東京一極集中の我が国において、利用実態も踏まえると当然。
ところが、今日6月4日は、とても珍しい「こまち」が運転された。

東京都北区の京浜東北線上中里駅近くで不発弾の処理が行われたため、上下4本の秋田新幹線が東京-大宮間で区間運休し、大宮駅発着で運転されたことによるもの。


上中里駅に近接する、国の「西ヶ原研修合同庁舎(仮称)」建設予定地において、3月に不発弾が発見された。
処理作業時には、半径100mの警戒区域に東北・上越・長野・山形・秋田新幹線、京浜東北線、湘南新宿ラインの線路が含まれるため運休する必要が生じ、利用者数が多くない火曜日である今日の昼間(11時頃から14時頃)が選ばれた。(予備日として7月9日・火曜日を設定)
※上中里駅の隣の王子駅を以前紹介したように、この付近は多くのJR線が並走している。

これによって、新幹線は「東京~大宮間(一部列車は全区間または仙台~東京間)で運転見合わせ」、京浜東北線は「東十条~品川間で運転見合わせ」、湘南新宿ラインは「新宿~大宮間で運転見合わせ」などとなった。(宇都宮・高崎線はやや離れた場所を通るので影響なし)

秋田新幹線は、下りのこまち31、スーパーこまち15、こまち35、37号と上りのこまち24、26、28、30号が大宮発着とされた。
今朝の秋田駅中央改札の発車標
「大宮」行きが表示されるのは、これが初めてではないだろうか。(東京、仙台のほか、臨時列車や不通区間発生により「大曲」と「盛岡」は表示されたことがある)
(再掲)通常の「東京」行き
「大宮」は右に詰めで表示されているが、そのようにした意図があったの?

英語は、
相変わらず「号」は漢字
今度は左寄せで「Omiya」。発車時刻の数字とつながって「O(オー)」が「0(ゼロ)」に見えてしまう。
(再掲)通常は「Tokyo」で、伸ばす音は棒(マクロン)付き
相変わらず秋田駅の発車標は統一感に欠けますな…


車両の行き先表示を、駅の外から拝見。
日光が当たって見づらいですが
E6系はE3系と比べて窓が小さく、行き先表示がフルカラーで大きくなっているが、遠くからみればそう大きくも見えない。
 ちゃんと大宮行き
下段では、停車駅がスクロール表示されるが、ちゃんと「…、仙台、大宮」で終わっていた。

E3系の列車でも、「大宮」行きと表示されていた(テレビで確認)。
車内の自動放送では、大宮行きは対応できそうな(音声データはあるし、本社でちゃんと設定するだろうから)気がするが、秋田駅構内の自動放送はどうだっただろうか。「おおみや」という音声データがあり、秋田駅でそれをうまく設定できたでしょうか。


今日の区間運休について、JR東日本ではだいぶ前からホームページやポスターで告知していて、指定券は当初から大宮発着で発売していた。
首都圏では運休本数が多いから影響を受ける人も多く、自由席や普通列車に乗る人もいるから、当日駅に行って「知らなかった!」ということはあっただろうが、わずか4本だけが運休し、全席指定の秋田新幹線ではそれはあまりあり得ない(乗車直前に指定券を取る人以外は)はず。
それなのに、秋田のローカルニュースでは、各テレビ局(民放、NHK)ともわりと大きく取り上げていた。実際、秋田では困惑していたお客はいないようだったけど。
秋田魁新報のホームページでも
14時31分の「無事に終わって運転再開」は報道する意味があるけれど、12時31分のは見出し、記事の内容とも、「今日、突然不発弾が発見され、急に運休になった」とも取れる言い回し。
不発弾の存在も、運休も事前に分かっていたことなのだから、もっと早い段階で、そういう内容が分かる形でアップしてもよかったのでは?

NHKの全国ニュースでは、「秋田へ帰る母子連れが、東京駅で新幹線の運転再開を待つ」姿が、少々取り上げられていた。「こまち」の指定席を事前に取らないで駅に来てしまい、運悪く運休に遭遇したのかと思ったが、再開後にホームで新幹線に乗ろうとするシーンを見ると、山形新幹線「つばさ」だった。
ということは、新庄まで「つばさ」で行って、秋田県内陸南部へ帰る人だったのだろう。


1982年の東北・上越新幹線開業から1985年の上野開業までの間は、大宮駅が東北・上越新幹線の始発駅だった(大宮暫定開業。大宮以南の用地買収や工事が遅れたため)。大宮から上野までは「新幹線リレー号」という在来線を走るシャトル列車(185系特急電車を使いグリーン車も含めて全席自由席。新幹線のきっぷを持っている人は運賃だけで乗車できたはず)があった。
僕が初めて新幹線に乗ったのも、初めて東京に行ったのもその頃であり、リレー号が混雑していたり、帰りにリレー号から新幹線「やまびこ」号への接続がうまくいくかドキドキしたり、大宮駅の「すき焼き弁当」とかいう駅弁がおいしかった(今は業者が変わったのでないはず)思い出がある。
上野や東京まで新幹線が行くようになり、大宮駅はターミナルから途中駅に成り下がったかと思われたが、今はエキナカの代表例である「エキュート大宮」が盛況。
この30年で多くの変化があった東北新幹線や大宮駅だけど、今日はちょっとだけ昔に戻ったのかもしれない。(運休で影響を受けた皆さん、現場の皆さんはおつかれさまでした)

今後、大宮行きの「こまち」が運転されることはあるだろうか。
もしかしたら今日が最後になったかもしれない


それにしてもE6系は美しい。
「Z4」編成
真横から見ると、運転席とそのドアが相当離れているのが分かる。

先週末には神戸で新造された「Z9」編成が、機関車に牽かれて線路を走る「甲種輸送(過去の記事)」で直接秋田へ搬入された。(従来は船や車で仙台へ搬入されていた)※この記事参照
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高速湯沢線に変化 他

2013-06-03 23:07:47 | 秋田のいろいろ
バスの小ネタ。
●高速湯沢線に変化
羽後交通と中央交通が共同運行する、高速(秋田-)湯沢線。
なぜか3月には全便が羽後交通で運行(リンク先末尾)されたものの、現在は従来通りに戻っている。

羽後交通の担当車両は、一般路線バスに毛の生えたようなもので統一され、観光バスタイプの車両が使われている中央交通担当便との“格差”があった。
そんな中、4月頃から羽後交通の車両に新しいものが入っている。
三菱製 秋田22 い319
おそらくリクライニングするであろう立派な座席、無意味な中ドアがなく、前は折り戸でないプラグドア、正面には「羽後交通」の行灯。
新しくはないが、元貸切車両だったらしい。
側面には「羽」をモチーフにした社章が
新たに加わったのはこれ1台らしく、従来の車両(例えば「758」)も使われていて、今度は羽後交通担当便の中での格差が生じてしまっている。
今は路線バス仕様の中型または大型が使われている急行本荘線も、昔はこういう車両が使われていたし、廃止された田沢湖行きもこんな車両だった。僕にとって「羽後交通の車両」といえば、元貸切車両だ。

【6月21日】6月21日に、高速湯沢線の羽後交通担当便にさらに新たな元貸切車両が入った。「秋田22い401」という、先代の日野セレガ。
やっと中央交通と同じ車両が使われるようになった。

※ちなみに「319」といえば、中央交通にも印象的な車両がある。
再掲
臨海営業所のいすゞ製大型車「秋田200 か319」。どこかの中古で車齢20年ほどかと思われるが、比較的きれいでノンステップバスに負けずに活躍中。先日はイオンモールのシャトルバスにも使われていた

●こけしの屋根
次も高速湯沢線の中央交通の車両(能代線や空港リムジンと兼用)。
元長距離高速バスだったこけし塗装の、とある車両には屋根に文字が書いてあった(書いてない車両もある)。
「AKITA←→    」
元々は「AKITA←→SENDAI」とか表示されていたのを、転用時に消したのだろう。矢印も消せばよかったのに。


●EV泉ハイタウン線?
秋田県が主体となって作ったEVバス「ELEMO-AKITA」が、今日の午後、買物広場の急速充電器そばの所定位置に停まっていた。
その行き先表示が、
「220 通町 泉ハイタウン」
えっ?! 泉ハイタウン線(旧称・泉秋操線)を走るの?
充電済みの状態で、泉ハイタウン線の発車時刻に近かったが、実際に走ったかどうかは確認はできなかった。

4月に2日間、臨海営業所線で試験的な営業運転を行うことは報道されたが、その後も他路線を含めてやっているということだろうか? 泉ハイタウン線なら、平坦な道の往復8キロほどで試験運行向きだけど、お客さんはびっくりするだろう。
それとも単なる表示の設定間違い?
※続きはこの記事中ほど


●バスターミナル建て替え ※前回の記事
前期工事の場所の解体と後片付けが終わり、更地になった。1日には起工式が行われたとのこと。
西側から

南側から
バスが通っていた部分の舗装は残っている。
西側の公道との境にあった既存の柵も、仮設の緑色の樹脂製の柵も撤去され、鉄パイプ製の低い柵が置かれている。
恒例の緑看板「建築工事の表示」も設置された
ところで、公式ホームページでまだ「建替に関するご意見の募集」をやってるけど、まだご意見を聞いてくださるのでしょうか?

※続きはこの記事後半
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花盛り

2013-06-01 21:07:22 | 動物・植物
もう梅雨に入った地域も多いけれど、秋田は今がいい季節。今日は27.9度まで上がったものの、からりとしてさほど暑くなかった。
そんな中、秋田市中心部に咲く、木の花を紹介します。
ツツジもきれいですが、以下、それ以外のものを
●藤
先日はキバナフジこと「キングサリ」を紹介しましたが、今回はほんとうのフジ(ノダフジ)。
以前紹介した通り、千秋公園でも野生の自生するフジはけっこうあるが、今年はこれが見事。
以前からフジが点在していた西側斜面。
和洋高校体育館付近から公園管理事務所への階段そば
写真だと分かりづらいかもしれないが、高い木に巻き付いててっぺんまで達し、無数の花が下がっている。
千秋トンネルの上付近
木々が生い茂って下からも上からも見えづらい場所に、ひっそりと咲くフジがあった。
街を見下ろして咲く

広小路へ回って、
穴門の堀
右が秋田県民会館、左が和洋高校。和洋の角には堀に面して大きなケヤキがあるのは知っていたけれど、
 それにも見事なフジ
ここにフジがあったとは、今まで気付かなかった。
水面ぎりぎりにも咲く(ここが根元か?)

2017年の様子

●白い藤

千秋公園内の彌高(いやたか)神社。その駐車場と公園の通路の境に、
白いフジ!
フジとは別種である黄色いフジ=キングサリとは異なり、これは紫色のフジ(ノダフジかヤマフジ)と同じ種の色違い版(品種)だと思われるが、珍しい。
これは駐車場の柵にからまっていて、花を手に取ることもでき、いい香りがした。



●ベニバナトチノキ
トチノキの花も咲いている。秋田市民市場のトチノキは、昨年同様、咲いている木も付いている花も少ないようだ。
昨年発見した、サン・パティオ大町の「ベニバナトチノキ」は、
 
今年も見事に咲いている。

さて、サンパティオには、ベニバナトチノキのほかにも珍しい樹木が植えられている。
上の写真の通り、ベニバナトチノキのほかに2種類の木が目に付く。1つは、葉っぱが黄色っぽい木(この種は不明)、もう1つは…↓

●なんじゃもんじゃ
右側の木に注目
白い花が咲いている。
独特の形の花だけど、純白できれい

おそらく、モクセイ科ヒトツバタゴ属の「ヒトツバタゴ」という木。
モクセイ科トネリコ属の「トネリコ(バットの材料)」は「タゴ」と呼ばれ、それに似ていて葉っぱが単葉(トネリコは複葉)なので「一つ葉タゴ」なのだそう。

花弁(花びら)は、細長く4つに分かれている。(「4枚」ではなく、1つの花弁が4つに裂けている)

ヒトツバタゴは自生地は東海地方周辺などに限られるが、大木になり、花が咲くと雪が積もったように真っ白になるという。
そして、別名として「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれることがあるそうだ。
ただし、地域によって異なる複数の種に対して「なんじゃもんじゃの木」と呼んでいて、ハルニレをそう呼ぶところもある。神聖視される木だったり、独特の姿だったり大きな木をそう呼ぶことが多いそうだ。
そんな木がサンパティオにあったとは。


毎回同じ感想だけど、いろんな植物があって、身近なところで知らず知らずにそれを目にしているものだ。
コメント (2)
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