田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

母が逝きました 06(通夜当日)

2014年01月26日 | 宗教その他
 通夜の当日です。昨晩神主さんが決まったので、神主さんと細かな打ち合わせをしなければなりません。遠方ですので電話、FAXでしなければなりませんでした。残念ながら、神主さまメールがつかえないのでした。故郷の人達は早起きだろうと、失礼を省みず、早朝7時に電話しました。
 さて、第一に必要なのは母の年譜です。これだけは数年前から用意しておきました。母に聞いたり、戸籍謄本を取り寄せて、まとめてありました。それらをFAXで送りました。神主さまから、「霊璽(れいじ)を作りますので。」と言われ、「・・・って知りませんが・・。」と言うと「神棚に奉ってあるはずです。」と言われました。ありました神棚の扉の内に・・・。仏式の位牌のような物で、表面に名前、裏には細かな字で年譜が記してありました。父と幼くして他界した二人の兄のものがありました。写真を写してFAXしました。
 お供えものも教えていただき、お米、お塩、お水、お神酒、野菜、魚、果物、、昆布、お菓子でした。姉夫婦が到着しましたので、留守番を願って買い物に行きました。通夜の夕食も買わねばなりません。人数分寿司屋で注文、清算しました。後は息子夫婦に頼みました。
 さて、妻の次姉夫婦から電話で「主人が葬儀に出られないから、通夜に出席させて下さい。」とのことでした。通夜は肉親だけでと思っていたのですが、これがまた運の良い方に転がりました。5号館は最大16名なのです。故郷から神主を招けば、精進落しには参列していただかねばなりません。ならば17人となってしまいます。お兄さんが欠席ということは、16人です。なんと私達は、いや、母は幸運の持ち主か・・・・。
 通夜は宗教儀式を含まず、私が進行することにしました。担当のカッパチャン(私と妻だけの暗号です。誰にも言ってません。時々妻はザビエル君って言ってましたが・・。)は、進行が不安でしょうがなかったようです。私が「通夜の司会は必要ないよ。肉親ばかりだし、ご飯を皆で食べるだけだからさ。」と言うと「安心しました。私はいない方が良いですね。詰所で待機しています。用があったら呼んでください。」と言いました。「ああ、そうしてください。」と、言いますと「少しですが、通夜の司会料金○万円値引きさせていただきます。」と言うのでした。
 儀式に使う榊、玉串なども神主さまが用意してくださりました。葬儀屋さんに願えば、1本ン○百円ですので、助かりました。
 さて、6時半からの通夜では、母の棺の前で母を見ていただき、3月14日からの、母の闘病記をかいつまんで報告しました。奇跡の復活が二度もあったこと。施設では楽しく過ごせたこと。最後は懸命に持ちこたえ、正月松の内を生き延びてくれたこと。何事も仕事第一だから、通夜と葬儀を土日にしたことを話しました。一同感心してくれました。息子は「忌引きで休めたのに、さすが婆ちゃんだなぁ。」ですって。
 その後2階の控室で、姉夫婦、息子、娘夫婦、妻の姉夫婦と私達10人で食事をしました。母の話から息子の仕事、ペットの話、等々ゆっくり楽しく話ができました。私の姉と妻の姉が共通の趣味をいろいろ語りあっていました。義兄達は昔のサラリーマン時代の苦労話をしてました。これも母の力ですね。本来通夜は夜明けまで、遺体を守るのですが、合理的だった母ならば「死人は風邪など引かぬが、生身の者は風邪を引く、さっさと帰れ。」というはずです。母に留守番を頼み12時過ぎに一旦帰宅しました。
 明日の葬儀に備えて暖かくして寝ました。でも眠れませんでした。

母が逝きました 05(通夜の前夜)

2014年01月25日 | 宗教その他
 葬儀屋さんと打ち合わせの続きです。安置室2階の控室で、翌日の通夜と葬儀の打ち合わせをしました。私の姉、息子や娘、妻の兄姉への連絡はもっぱら妻の担当です。かねてから、葬儀は大げさにしないで、質素に考えていましたので、通夜は肉親だけでと考えていました。いままで、親戚の葬儀は、通夜も葬儀も出席していました。そうするのが礼儀だと思っていましたので、苦労をいとわず、慣例に従っていました。
 そこで、私達は「通夜は肉親で過ごします。19日の葬儀に来ていただきたく連絡しました。まだ葬儀の時間が決まっていません。明日には正確な時間を連絡します。」と、妻が室の隅で、頭を下げ下げ、電話してくれました。
 内輪の話ですが、私も妻も末っ子です。妻の家は男子は妻の兄一人、その兄上が本家を継いでいます。私と同年齢ですので、兄さまは何かと比較され、苦労が多かったと思います。連絡も一番早くしないと、兄嫁様に臍を曲げられます。
 私の姉夫婦と娘夫婦、息子夫婦には母の状態が知らせてありましたので、連絡はすぐに理解されました。妻の二人の姉さんには、おおよそのことを話してありましたので、すんなり理解していただけたと思います。本家の妻の兄さんは、何かと我が家の長兄のことを知りたがり、母の葬儀に長兄が出席するかが、興味津々のようでした。ですから、そのような理由で通夜に出席したかったのだと思います。
 さて宗教にのめり込んだ兄への連絡は姉に願いました。姉は「六兎よ、私が兄に伝え、兄ちゃんが来たとしても、『葬儀に参列はできない』『母に手も合わせられない』では、六兎があまりに可哀想だ。連絡するかしないか、全部私に任せてくれぬか。」と、言ってくれました。姉の気持ちは解っておりました。私と同じで、長兄が娘に言わせた「縁を切った。」の言葉は、いかんともしがたかったのでしょう。私はそれを見込んで16人の葬儀を考えていたのでした。
 さて、打ち合わせは進み、神職の依頼になりました。仏式と違い、葬儀屋さんに、専属神主はいないそうで、探さねばならぬと言うのでした。「翌日の通夜までには、必ず探しますから、明日まで待って欲しい。」と、何度も何度も、聞かされました。話の途中で、カッパチャンが神主のことを『先生、先生』と呼ぶのが気になっていました。カッパチャンに「さっきから先生、先生って言ってるけど、神主さんのことかい?。」と聞くと「はい、一応私達は先生って呼びますけど・・・・。」「そうなの、でその先生とやらの相場はいかほどかな?。」と、生臭い話もしなければなりません。「おおよそですが、先生一人で20万程度、三人で・・・・・・。」「えっ~20万円ですって?。待ってください。高すぎますよ~。通夜には祭詞奏上は不要、葬儀の神職は私が探します。」と、思わず言ってしまいました。仏式の、お寺様への支払いが高いのは有名だが、檀家制度のなごりで、寺も修理の必要があるからしかたが無いと思うのです。しかし、氏子でもない私が、神社に支払うには、あまりに高く、神主を先生と呼ばせる不遜さに、少々腹立たしさも感じました。これでは母が浮ばれません。
 私の故郷には、元来神職を家業とする二つの家がありました。近頃は集落に一人は、神職を学んだ人がいて、村の神事を努めていることを聞いていました。お墓を移動した改葬も、役場を定年退職して学び、神主になったMさんにやっていただいたのでした。同じ20万を払うなら、故郷の人に払いたくなったのでした。
 私の本家の従兄弟、庭師のMさんに電話しました。従兄弟では一番の年長です。昔々、私の父の下で働いていたこともあり、私が最も信頼できる兄のような人です。もちろん16人の中の人です。奥様のKさんは朴訥で、私の妻が大好きと言っている人です。何かと相談もできて心強いのです。
 電話しました。「おお、六ちゃんかぁ、おっかさん残念だったなぁ。葬式は家内と行くから。家族葬でやることも分かってる。俺とK子と行く。」と答えてくださった。もっとも聞きたかった神主のことを聞いた。「俺のの神主に聞いてみる。他の葬式に呼ばれていたらダメだから、お墓のお祓いをしてくれた神主さんのMさんにも、六ちゃんから聞きな。」と要領よく教えてくれた。ついでに相場も聞きました。「どちらでも、俺が車に乗せて、そっちへ行くから、3万5千円くらいだな。の中だともう少し安いけど、そちらへ行くとなると一日仕事だから、それくらい出してあげなよ。」と言ってくれた。
 神主は多忙らしく、の神主は他の葬儀に行かねばならず、旧知のM神主に無理やり頼み込んだ。M神主は「昔、六兎さんのおばさんには世話になったのです。恩返しになるかわかりませんが、精一杯送らせていただきます。」と嬉しい返事がいただけました。
 カッパチャンが、とても聞きたそうな顔でしたので、片手を見せて「これくらいで話がつきました。」と言うと「申し訳ありません、申し訳ありませんでした。」と何度も言いました。「神式の葬儀が少ないから、し方がないねぇ~。」と少し彼をねぎらいました。
 次回は、私と妻の手作りのお葬式の話を続けます。

母が逝きました 04(電話や営業etc)

2014年01月24日 | 日記
 昨日、葬儀の礼状を送りました。また、母が亡くなったことを知らせていなかった親戚へ絵手紙を書き、郵送しました。
 たくさんの人が新聞のお悔やみコーナーで母の死を知り、メールを下さったり、姉に電話をされました。家族葬は葬儀後の処理を間違えると義理を逸することになります。近親者にはその旨を伝えたのですが、故郷の知人には伝える術がありませんでした。礼を逸しないように、追々考えます。
 母の弟さんの奥様が先ほど電話を下さいました。一人娘を事故で失った伯母さんです。昨年暮れに住み慣れた団地から高層マンションに転居されました。賀状の後の手紙が母の死を伝える絵手紙だったので、たいそう驚いての電話でした。おばさんも高齢だから、姉のように慕っていた母の死でガックリされそうだったから、努めて明るく話しました。「94歳、それもあと一ヶ月で95歳、四捨五入すれば100歳、めでたい葬式でしたよ。」と言いました。おばさん少し元気になりました。「また絵手紙送ります。」と言うと、今日明日は郵便局が休みだから、月曜日にお供え物送るから、姉さんの神棚に供えてくださいと言われました。
 さて、お悔やみコーナーに掲載されますと、『香典返しの営業』『法要のお誘い』『墓石勧誘』『仏壇の勧誘』の多いこと、郵送されたカタログ類を資源別回収に出すのも、重いですわ・・・・。

母が逝きました 03(通夜の前夜)

2014年01月23日 | 日記
 さて本日、葬儀礼状を郵送し終えたところです。もうしばらくすると葬儀屋さんが来ます。本日集金を依頼したのです。葬儀費用は50万弱でした。
 葬儀の担当はTさん、年の頃35,6歳かな?。好青年でした。すこし頭髪があやしいので、私と妻は『カッパチャン』と呼んでました。集金は社長だと思うので、「T君はとっても良かったです。」と電話で誉めておきました。
 さて、臨終の日、施設の人々に見送られ、母は霊柩車で出ました。本来ならば自宅で一晩過ごさせ、翌日納棺を行います。通夜の午後、自宅から出棺して通夜会場に向かうのが一般です。生前、母と相談しておきました。母は「充分ここで生きてきたから、死んだら、お前達の負担にならぬ方法で良いよ。たいていの我慢はできるから、死ねばもっと我慢ができるじゃろう。」と言ってくれていました。ですので、私と妻は、生前母が準備していた、野辺の送り用の和服をとりに一旦帰宅し、斎場へ行きました。玄関で葬儀屋さんが待機していました。母は安置室に安置されていました。この斎場には、大中小の式室があります。その小式室の安置室に案内されました。ま、値踏みされた思うのです。『この田神さん、そんなに盛大な葬式はしない人だろうな・・・・。30人ってところかなぁ。』葬儀屋さんを前にして、「家族葬、直葬で・・・・」とは言い辛いと思います。葬儀屋さんから言ってもらった方が気楽な場合もりますね。
 ところで、なぜ私がこの葬儀屋さんを選んだかといえば、この葬儀屋さんは、家族葬専用建物を持っていることが新聞で紹介されていたからです。
 「家族葬を神道で行います。人員は16名です。」と言いました。担当さんの顔色がパッと明るくなったのを見逃しませんでした。担当さんは「16名が最大です。狭いです。神主さまの作法が制限されますがよろしいでしょうか?。」「葬式は故人のためのものです。母は許してくれます。」と言い切りました。この後、神主の件で大騒動するのですが、それは後日紹介します。
 担当さんが「では、家族葬専用の5号館で決めます。今は通夜が行われていますので見ることはできませんが、明日午後4時以降には清掃も終わりますので、充分通夜の用意もできます。お母様のご遺体は5号館隣の安置室に移動します。では納棺しますので、お手伝い願います。」私が、母の遺体の頭部分を持ち納棺した。ふむふむ、これは神道の儀式だなぁ・・・と思ったのでした。斎場の寒い廊下を、母の棺と歩き、5号館隣の安置室へ移動した。その安置室は、1階が安置室で2階が控室だった。1泊30,000円だから、快適でなければならぬ。事実、設備は超快適なのだが、神道では使わぬ線香の匂いに辟易とした。
 妻といっぷく、茶を飲んでいたら、葬儀屋さんの担当者達が集まってヒソヒソ話をしているのに気づきました。どうしたのと聞いたら、昼過ぎから会場選びで迷っていた先客が、家族葬専用の5号館を使いたいといい始めて、上役達がなだめているそうでした。遅く来て決めてしまって申し訳ないと思ったけど、もう決めちゃったからねぇ・・・。私達はここが使いたくて、この葬儀屋さんを選んだからなぁ。先客あっても、決められた運の良さを素直に喜びました。
 この式場が使えて良かったことは後日書きます。さて2階の控室で早速葬儀の打ち合わせを始めました。私も職場で葬儀のお手伝いをした経験があります。葬儀屋さんの問いに、一つ一つ家族さまの意向を確認しなければならず、骨の折れる作業ですが、今回は私が喪主ですから、妻の意向を聞くのみです。妻も横にいますから、葬儀屋さんはずいぶん楽だった思うのです。さて通夜前夜の長い夜がまだまだ続きます。


母が逝きました 02

2014年01月22日 | 日記
 母は年金を受給していました。充分とは言えませんでしたが、それでも有意義に使えたと思います。また、伴侶が長く町会議員を務めていましたので、遺族年金が、またまた、わずかですが支給されていました。年金の仕組みは複雑です。とても学ぼうとは思いませんが、年金について葬儀屋さんが情報を伝えてくれました。簡単に言うと「死んだら、最後の月の年金は止めます。申請すれば支払います。」ってことです。死んだ人の口座には振り込めないし、受け取りにも来ないから、そうするしかないのだそうだ。はたしてそうか?。
 だけど、申請は、死んだ人との関係を証明したり、遺族年金にいたっては死んだ証明を除籍謄本で証明しなければならないそうだ。死んだことなど、死亡診断書や火葬許可証などで良さそうなものだ。除籍謄本に至っては、戸籍謄本より高く750円もするのだ。縄張り意識があるのか、G市の住民票での死亡確認を拒絶する。ったく頭の固い役人どもだ。
 死亡年月日によって年金にばらつきがあっては良くないが、一律月末まで年金を支払っても良さそうなものだ。だってそんなに高い年金じゃねぇ~からね。
 ったく昨日から、故郷の役場から迷電話頻発
1-訳の解らぬ質問をされる。あんた戸籍係だろ、勉強しなよ。
2-オイラの戸籍を請求してるのに母の戸籍とカン違い。
3-何のための戸籍請求?死んだ人とオイラの親子関係証明だよ。
4-オイラの戸籍が消えた!!、バカヤロウ!!良く見ろ!!
5-役場の人3人、皆それぞれ少しずつ間違えるから困るのだ。
6-結局無駄な郵便小為替を買わされた。やい!手数料100円だぜ!。