田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

悩み

2014年01月11日 | 宗教その他
 妻から「婆ちゃん 一昨日から、9階へ移された。」と聞いた。当然のごとく、予期していたことだが、ついにターミナルケアが始まった。妻のお父上は99歳6ヶ月で逝きなさったのだが、母の容態が、とてもお父さんに似てきた。意識を残しているのだ。勤め帰りに寄った妻に「おお、ありがとうな、早ようお帰り。」と言って目をつむったらしい。妻のお父さんももそうだった。意識が薄らいだ昏睡ならば、看取るほうも気が楽と思うが、母も爺さまに劣らず、立派な幕引きをなさるものだ。あの世があれば、きっと爺さま婆さま連中と話すのだろう。
 不謹慎だが、考えねばならぬ悩みがある。遅かれ早かれ、母の死を迎えねばならぬ。葬儀は家族葬で行うことを決めている。これは母の遺言でもあるが、理由の一つは、兄一家のことを考えてのことであろう。JWは他の宗教儀式はおろか、そのような施設も忌み嫌い、施設に入ることすらも出来ぬ、と兄が言うのを聞いた。だから兄嫁の母親の亡骸を、斎場の外に置くしかなかった、と私に弁明したことがあった。昨年の夏、兄宅を訪問した実姉に「すでに縁を切ったから、母が万が一の場合の連絡無用。」と、姉に会おうともせず、娘に言わせたのは、死を聞いたとしても、妻も娘も自分自身も、葬儀の場にすら入れない己を恥じるのか、信ずる神に恐れを抱くのか、とうてい理解できないが、母の死を見つめることが、できないのであろう。私も妻も母ですら、それらの思いが予測でき、兄一家を哀れにさえ思うのである。やせ我慢かもしれぬが、親戚縁者に、この事実をさらけ出したくないのだ。
 近々の葬儀において、私は悩む。本家の従兄弟夫婦は、我が家の状況を知ってくれているが、妻の二人の姉夫婦と、兄夫婦には真実を話さなければならない。きっと我が兄は悩み続けていると思う。昔は聡明な兄であったからこそ、偽りの宗教に気づき、妻子の堕ちた宗教の深井戸を覗き込むうち、己も這い上がれなくなったと思う。いつの日か目が覚めると思う。その時を私と妻、母も姉夫婦も待っている。その時でよい、墓参りに行ってくれ。こんなことを妻の姉さま達に話そうと思っている。うまく話せるだろうか・・・悩むのだ。