田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

ちゃんちゃらおかしい

2018年04月08日 | 日記
 近畿財務局の公文書や、自衛隊の活動報告書の問題が取り沙汰されている。公文書は国の歴史であるから、正確であることと、正しく保管されなければいけません。
 
 ところが、国民の私達が、それらを有効に利用したことがあるでしょうか。情報公開で公文書を取り寄せ「真っ黒な墨塗りだった」と墨塗りだけを公開するために、取り寄せてはいないでしょうか。
 
 昔々、今はすっかり言われなくなりましたが、公文書を誰にも解りやすく書こうという運動が、役所の若い人達の間に起こりました。ある街の公園内に、交番を造るため、公園の一角を、公園敷地から外すための公文書が書かれました。地元の子供会のお母さん方の意見も添えた、とてもわかり易い文書でした。
 
 役所の上司はそれを見て「こんな小学生が書いたような申請書は出せない。そうでしょう」と言いながら、私と私の上司に示しました。結局、お硬いお役所定型文書に書き換えられました。役人達はこれらの定型文を、自分たち専用の言語と錯覚しています。ですから書き換えようが、隠そうが、自分たちの勝手と思っているふしがあります。文意よりも、使える漢字の方が彼らには大切みたいです。
 
 昔々、私が体験した実話です。ある法律の一文の漢字、一文字が突然に変わりました。ミスプリントではないと思います。『各』が『外』になっていました。「各壁面」が「外壁面」になったのです。
 
 私はこの一文字『各』で、痛い目に合わされたので覚えています。痛い目に合わせた役人は、それ以来コソコソして、私と会おうとしませんでしたが、審査が軽くなりました。きっと裏で手を回していたと思います。私への しょく罪かなぁ?。
 
 昔々、団地の規約に『住民の迷惑になるペットは・・・』の迷惑は、ペットにかかるのか、それとも住民にかかるのか、論議になりました。現在は最高裁の判例で、住民にかかるらしいですが、本来、文章は読んで字のごとしの例えどおり、誰が読んでも理解は同じになるはずです。
 
 ところが、役所文書は解釈を曲げようと、アクロバティック解釈もできてしまいます。私は、国民に分かりやすい文章を役人に学ばせなければならないと思います。その第一歩として、横文字を安易に使わないようにして欲しいと思う、お祭の夕方でした。おしまい。