田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

覚せい剤の危険性

2016年02月19日 | 日記
 有名な元野球選手が覚醒剤で捕まりました。覚醒剤の恐ろしさを知らなかったのですねぇ。恐ろしさを知らせるコメントが、2ちゃんねるのまとめサイトにありました。「2ちゃんに書いてあることだから話半分に聞いて下さい」と前置きがありますが、とても分かりやすいし、正しいことだと思います。
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 覚せい剤がやめれない件でマジレスすると、脳内麻薬の原産がドパミンなんやけど、これを黒質ってとこで生産するんやね。

 このドパミンがアドレナリンとか興奮とか快楽を司るホルモンに変化していくんやけど、覚せい剤はドパミンに似せた構成になっとるのよ、んでめっちゃ気持ちよくなったりするんやね。

 そうするとな、黒質が「お?俺必要ないんじゃね?」っていってドパミンを出さなくなるのね。変性、簡単にいうと壊死、死んでしまうわけな、脳みそって一度死ぬと再生しないのね。

 そうなってしまうともうクスリなしじゃ生きられない。クスリ打ってないとなにしても気持ちよくない。クスリを打つと更にドパミンが出なくなる。クスリを止めようとしてもドパミンでないとなにも楽しくないからクスリを使う の無限ループ。

 最終的にドパミンが出なくなる、ドパミンはアセチルコリンっていう体を動かす神経伝達物質にもなるから体も動かなくなる。涎だらだらの廃人の出来上がり、クスリやったら終わりってのはこういうこと。

 一度だけでも手出したら終わり、ダメ、絶対。

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 私が7、8歳の頃、終戦後十数年の話です。ようよう田舎の吊橋が、架けかえられ完成しました。鉄とコンクリートで出来ていましたので、永久橋なんて呼ばれ、村人は喜びました。橋が出来るまで、村人は見物しました。
 
 鉄の接合部は、リベットと呼ばれる部材で接合されていました。穴の開いた二枚の鉄板に、10センチくらいの鉄棒を挿すのですが、鉄棒を焼き、柔らかくなったのを挿し、鉄棒の両端を叩き、丸くして締め付ける工法でした。
 
 焼いた鉄棒を橋のてっぺんまで届けるには、速さが必要でした。大きなハサミで掴み、渾身の力で投げ上げます。上には、鉄のビールジョッキのような物で受け止める人がいました。また、それをつまんで穴に差し込む人、そして叩く人達がいました。人の群れの中に、真っ赤な鉄が尾を引いて飛び、受け止めた時の金属音、カンカンカンと叩く音。見事な職人芸に村人の拍手が聞こえました。
 
 村に「新し物好き」な工場主がいました。工場主は高級品の8ミリ映写機で橋の工事風景を撮影し、わが家に見せにきました。観客は私と父母だけでしたから、自慢だったかもしれません。何度も何度もフィルムが切れ、つなぐ時間が長かった記憶があります。
 
 映写が終わり、工場主と父が話すのが聞こえました。「橋の工事人は火傷も多い。恐れを知らない荒くれ者」などの話も聞こえたことを憶えています。「彼らの楽しみは酒とナントカ・・・・・・で・・・」母が「子供がいるから・・・六兎、もう寝なさい」と言うのを聞こえないふりをしていました。 
 
 やおら、工場主が、お医者さんが持っているような銀色に光る箱を開け、注射器とアンプルを取り出し、手慣れた手つきで、ハート型のヤスリでアンプルのクビレを素早くこすり、ポンとアンプルを折りました。
 
 注射嫌いの私は目をそらしました。工場主が父に「疲れが取れるから、田神サもどうですか・・・」と言うのが聞こえました。工場主が返った後「あれはヒロポンだな。もう中毒だなぁ、気をつけにゃ・・」と父母が汚いものを見たように言いました。この当時、『ヒロポン』は禁止されていませんでしたが、多くの人が、その危険性を知り、嫌っていたことは確かです。
 
※ヒロポンは今の覚醒剤のことです。
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