田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

昨日ターミナルケアの説明を受けました。

2013年12月31日 | 日記
 昨日4時少し回った頃、ターミナルケアの説明を受けに、施設へ行きました。説明の前に母の室へ立ち寄りました。母は眠っていました。起こすのをためらいました。結局打ち合わせの4時半まで、目を覚ましませんでした。眠られるのなら、眠っている方が良いと思います。
 打ち合わせは9階、医師、看護師長、ケアマネージャーそして私達の5名でした。医師は、「残された余命は分からない。」と明言を避けました。わずかだが食べることも出来るそうで、意識もあり、痛みを我慢しているように見受けられるそうです。母は我慢強い人だったから、最後まで痛みを我慢しそうで、見ていて辛いです。痛みが激しくなり、見るに耐えない場合は、病院の選択肢もあることを確認しました。「状態が進行した場合、8階での収容が困難ですので、ターミナルケアを9階で始めます。」と、ケアマネージャーから説明を受けました。帰りしなに、「眠っていたら声をかけるべきですか?。」との問いに、看護師長は「せっかく眠っていらっしゃるの起こすのは、私たちでも迷います。」との回答だった。
 私には仏教感が無いのか、世に言う『死に目』が今ひとつ理解できません。生を受けた時点から、死に向かって、進んでいるのですから、日々語ることは語ってきました。いまさら母に念を押すことも、母から注意を受けることもありません。母が心残りであろうかと思う、エホバの兄一家の件は、生前母と話し合いました。母の選択は『長男はいなかった。』と、長男を見限りました。母の三男、四男は幼くして世を去り、次男は妻子を残して出奔した。家の命運をかけた長男は期待通りに出世したが、家族が宗教で道を誤ってしまった。きっと兄は、親より妻子を選んだのであろう。あたり前だし、それで良いのだ。
 五男のオイラが母と暮らしてきたが、妻も私の子達も、不平も不満は言わなかった。不平不満が無かったからであった。幸せだったと思いたいが、我慢強い母だから、何かと我慢したと思うのだが、『幸せだった』との書置きを見つけたときは、心から嬉しかった。お互い思い残すことは何もありません。正直な気持ちです。黄疸で黒っぽくなった顔色が、今にも倒れんとする巨木に見えました。私もできるなら、このように死にたい。
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 本日、玄関飾りをセットし、カレンダーを掛けた。メール年賀も下書きした。年賀メールを送るのは、年が改まった1時を回ったころにしようと思う。お正月の用意は全部終わった。いつもの年と同じだが、今年は少し心がざわつきます。