田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

朝刊から

2013年12月13日 | 宗教その他
 購読している新聞に『届かない悲鳴』支援者編として、元教師であるスクール・セクシャル・ハラスメント防止全国ネットワーク代表亀井朋子さんが書いている。亀井さんは学校で起こる教え子への猥褻行為の問題について、学校の本音と建前の矛盾から起きる問題だと考えている。
 昔、女子大の非常勤講師を始めた頃、セクシャル・ハラスメントについては、副学長や学部長から、くどいくらい注意を受けた。ただし、当時はセクシャル・ハラスメントの言葉だけが先行し、具体的な注意としては「疑いを招く行為」を避けるようにだけ言われた。疑いを招く行為が何であるかは分からなかったが、講師と学生の本分を間違わねば、失敗など起きようがない。
 生徒の顔と名前が一致した頃、実習でPCに向かっていた。いつも活発な生徒から質問された。さほど難しいことを聞かなかったのは、次のことを言いたかったのだと直感した。「先生、なんとかしてあげて。K先生ったら嫌らしいことを言ったり、聞いたりするのよ。私は嫌だから、イヤだって強く言うからそれ以上口出ししないけど・・・、近くの子を眼で追いながら、あの子おとなしいから、顔真っ赤にして、かわいそうだよ。」と言うのだった。K先生は古株の常勤先生だ、「私からは言えないが、何とか考えるよ。」とその場を納めた。
 講師会議で「セクハラの定義を話し合いましょう。」と議題を振ったら、私と同業で私の大学の先輩(ただし彼女は院卒)職場では私が先輩である某女史先生が「セクハラなどありえません!。女が強くなれば良いのでスッ!!。」一同、お口アングリで、ただ呆然としていました。彼女はセクハラの言葉自体が大嫌いだったそうだ。こんなところに姿を変えた、同性のセクハラがあるのを知った。K講師は素知らぬ顔、セクハラを自覚していないようだった。
 さて、次に亀井さんが書いていることを抜書きします。
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 子ども学校で常に人権侵害の危険にさらされ、それが時に体罰などの問題として表面化する。わいせつ行為は人権侵害の典型だ。建前では「人間は平等」と教えながら、本音は「生徒より教師」 「子どもより大人」、そして「女より男」が上だと考える差別意識が多くの教師にあるのではないかと亀井は疑念を抱く。その空気の中で「子どもなんかどうにでもなる」と勘違いする教師が出るのではないか・・・と。
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 亀井さんが学校を憂いて書いたのを読み、私は学校のみならず、私の身内にも信者がいる、某キリスト教系の宗教団体を思いおこした。その団体の性的諸問題、子どもへの折檻、男尊思想など等、酷使していることに気づいたのである。赤→青で書き直したが、文章が成り立つのである。
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 信者達会館で常に人権侵害の危険にさらされ、それが時に体罰などの問題として表面化する。わいせつ行為は人権侵害の典型だ。建前では「人間は平等」と教えながら、本音は「信者より長老」 「子どもより大人」、そして「女より男」が上だと考える差別意識が多くの信者にあるのではないかと私達は疑念を抱く。その空気の中で「信者達なんかどうにでもなる」と勘違いする幹部が出るのではないか・・・と。
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 言い換えれば、学校のような組織はどこにでもあると考えた方が良いかも知れない。同僚だった某女史のように「セクハラなどありえません!。女が強くなれば良いのでスッ!!。」のごとく、人は強くなければならないかも知れぬ。
 最後に某女史だが、いまだ独身で婚活中だそうだ。強さ衰えず、と昔を懐かしく思いました。