萩さんの話ネタ2

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月曜日・・・雑記

2018-01-08 01:00:00 | 日記
「屋台」
最近、とんと見かけなくなりました。
懐かしさからこんな記事をご紹介します。
 
記事(2018年1月6日 gooニュース)によると
 
『かつて日本においてその存在はごく一般的であった屋台。夜ごとリヤカーを引くその形態は庶民に親しまれ、チャルメラの音に懐かしさを感じる人も多い。しかし、この数十年で激減した東京の屋台は今や絶滅の危機に瀕し、数を正確に知る者もいないという。
 
 ◆東京における屋台の発祥とは?
 
 屋台とはそもそも、いつどのようにして発祥したのだろうか。根本に横たわる疑問に光明を得るべく、2人の有識者を訪ねた。
 
 「屋台の成り立ちには不明な点が多く、諸説があるのが現状です」
 
 そう語るのは、都市計画コンサルタントの木村陽一氏だ。
 
 「説の一つに、江戸時代からというものがあります。というのも、参勤交代で江戸にやって来た地方武士にとって大きな負担だったのが食事を作ることでした。その需要を察知した商人が、そば、握り寿司、天ぷらといった簡単に提供できる食物を路上で販売したのが屋台の原型ともいわれています。ただし、屋台風の絵はあるものの、屋台の存在を正式に認めるような当時の記述はありません」
 
 古今東西のラーメン文化を研究してきた新横浜ラーメン博物館の中野正博氏もこれに同意。
 
 「屋台文化の根底には江戸時代からの流れはあると思います。ただ、屋台の存在を直接的に明記した文献がないため、誕生に関してはやはり定かではありません」
 
 では、屋台が文献の上で登場するのはいつなのだろうか。
 
 「大正13年11月6日付の『河北新報』には、客を巡って屋台同士のケンカがあったという記事があります。また、大正15年発行の『裸一貫生活法』という本にも、“屋台ラーメンは稼げる”という旨の記述があり、文献資料に“屋台”が正式に登場しているので、その少し前には屋台があったと考えるのが妥当でしょう」(中野氏)
 
 さらに、屋台が歴史の表舞台に登場して隆盛するきっかけとなったのが、大正12年の関東大震災であるという説もある。死者行方不明者数10万人以上という甚大な被害をもたらした震災だ。
 
 「もともと大正時代の日本は、第1次世界大戦の軍需を受けて『大戦景気』といわれるバブルに沸いており、貧乏たらしく屋台を引く必要なんてありませんでした。そんな状況を一変させたのが、戦後恐慌に続く関東大震災です」(同)
 
 既存の飲食店が壊滅状態となり、元手のかからないラーメン屋台の数が急速に増えていったという。
 
 しかしその後、太平洋戦争の影響で物資と食料などの厳しい統制が行われ、屋台もほとんどが店じまいを余儀なくされる。戦後の闇市が次のターニングポイントだ。
 
 「まずは屋台というよりはバラックを形成して、それぞれ商売を始めたといわれています。当時は物資調達のカギを中国人が握っていたため、中国人になりすましてリヤカーを引くスタイルが横行しました。他には、仕事にあぶれた人たちにリヤカーを貸し出す“屋台貸し”として成功したケースもあったようです」(同)
 
 木村氏も「戦後の闇市の屋台が現在の源流」と分析する。
 
 「上野や新宿、池袋などで『テキヤ』と呼ばれる露天商の人間たちが、組合をつくってその地域を管理していました。それがGHQのお達しで昭和26年頃に禁止に。そこで組合は、飲食店を区画に振り分けました。区画整理によって『しょんべん横丁』『美久仁小路』なども生まれたわけですが、当然反対する者もいた。彼らは組合には加わらず“流し屋台”として繁華街や路地で商売を始めたんです。それが現在の屋台を形づくった原点といえるでしょう」
 
 日本の屋台の歴史には、人々が生き抜くための戦いがあったのだ。』
コメント (3)
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