hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
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花山院・十二妃の墓  2012.09.04

2012年09月05日 17時20分16秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地  花山院・十二妃の墓    兵庫県三田市尼寺

 有馬富士公園から県道49を北上して行くと西国札所の番外花山院の手前で、花山院・十二妃の墓の小さな標識を見て尼寺公会堂に車を止めて十二妃の墓へ

 第65代花山(かざん)天皇は、19才で皇位を去り、仏門に入り法皇となられた。 そして、三十三ヶ所の霊場(れいじょう)をまわり、ここ三田の紫雲山(しうんざん)で隠遁(いんとん)されたので、この寺を花山院と呼ぶようになりました。

 法皇が、この山にお入りになったことを風のたよりに聞いた京の十一人の女官たちは、そのあとを慕って、草深い花山院までたずね、法皇のお世話を申し出ました。しかし、ここは女人禁制のため山上に登ることは許されません。 少しでも近い所に住めば、それだけお世話をすることができます。女官たちは黒髪を切り落とし、尼(あま)となって山のふもとに住むことになりました。人びとは、いつしかこのあたりを「尼寺」(にんじ)と呼ぶようになりました。現在、尼寺の小高い丘の上には、お后(きさき)をまん中にして十一人の女官のこけむした墓があり、椿(つばき)の木がそのまわりをとりまいています。

 尼達は、坂を登って、これ以上立ち入れない所で琴を弾いて法皇をおなぐさめした。 それでこの参道の坂を、「琴弾坂(ことひきざか)」と言うようになりました。花山法皇と女官の悲話が実話なのかどうかは、わかりませんが、計十二基の五輪塔と墓、民話と深いかかわりがあるとされる「尼寺」の地名が残っているようです。
 次回をお楽しみに  では またね

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