所在地 宗賢神社 神戸市西区玉津町出合
明石市・神戸市西区付近は、「宗賢神社」が多くありますが、散歩がてら見てまわりました。
なぜこのあたりに「宗賢神社」が多いのか考えさせられます。この神社は、仁賢天皇ならびに顕宗天皇を
祭神とする神社らしいです。この地域の「宗賢神社」を 3ヵ所行きたいと思います。
国道175線の端で新しい住宅街とわずかな田園の中にあります。
玉津町出合にある「宗賢神社」の山門です。
この「宗賢神社」と隣接する「浄土宗西光寺」の場所にはかって「下津橋城」があり
攻防用の砦ではなく、農耕生活のための屋敷だったそうです。
その境内に、武者像があります.ここ「宗賢神社」より南へ1kmぐらいのところに「枝吉城跡」があり
枝吉城は、秀吉の三木城攻めで落城しましたが、城主明石氏はもと「下津橋城」に居たといわれ
この武者像は、ひょっとすると城主明石長行でしょうかね、?
その奥には、拝殿があります。本殿は、覆屋の中にあります、その建立は
16世紀後半と云われていまが、天宝11年(1840)と明治16年(1883)の2度修理されているようです。
拝殿の右に祠が、その奥に「竹やぶ」があり、当時の「下津橋城」は、戦闘に備えた
高さ6mの土居上に「竹やり」作るための「竹やぶ」が拝殿の北側に残っています。
ここより住宅街を通り西へ進んでいきます。
所在地 宗賢神社 神戸市西区平野町中津
玉津出合の「宗賢神社」から平野町中津にある「宗賢神社」を行くまでに
田園風景を見ながら進んでいきます。
平野町上津の上津地区の町並みの中を綺麗な水が流れるところで
疎水路があり長閑なところです。町並みを過ぎると
「竹やぶ」の中に、平野町中津の「宗賢神社」の鳥居があらわれます。昼間でも少し薄暗いところだね
拝殿です、境内には多くの祠がありますが、誰を祀っているのかな、
この道の横に流れる水路は、「林崎掘割疎水路」で江戸時代に農業用水不足で困っていた
林崎地方(明石市)に明石川上流から水を送るためにつくられました。
工事は明暦3年(1657)に開始し翌年万治元年(1658)に延長、5374mの
掘割疎水路として完成しました。 林崎掘割疎水路は
神戸市西区平野町西戸田から明石市明南町にある「野々池貯水池」まで引かれ今では明石市の
住民の水として使用されています。
「野々池」まで続く「掘割疎水路」は、「竹やぶ」の中を通りこの付近では
自然豊かな土地で6月になると「ほたる」が飛び交います
所在地 宗賢神社 明石市大久保町松陰新田
掘割疎水路から右側に外れ上って行くと大久保町松陰新田方面へ
途中に「竹やぶ」のトンネルが、こういう道も珍しいです昼間でも薄暗く夜なら気持ち悪いね
道なりに進んで行くと田園風景が、お米の取り入れもまじか、畑には秋・冬に向けての
野菜が沢山植えられています。このお米・野菜は明石・神戸の人たちの食卓に載るのかな
しばらくで明石市大久保町松陰新田にある「宗賢神社」の前に来ました。
この鳥居は享和2年(1802)、灯籠は文化10年(1813)に作ったものです
薄暗い参道を落ち葉を踏みしめながら進んでいきます。
神社は普段はあまりお参りに来ないのかな~ 拝殿の裏側に本殿がありますが、
足場には、草が沢山生えて入りにくいのでやめました。
土地の人に聞きますと 今月、10月の11日・12日には、お祭りがあり
拝殿前では、奉納相撲が行われるそうです。また 「屋台」1台もでるようですと、
側の池には「カモ」の赤ちゃんが可愛く泳いでいました。
長閑な「松陰新田」の家並みを通り抜けて行きます
ひょっとしたら、「屋台」を納めているところかな
家に帰るのに南方向へ行くと、道の片側には、「ソテツ」だ沢山植わっていました。
谷八木川に沿って南へ歩いていきます。これからは「ススキ」が見ごろになってきまし
秋のいい季節になりますね、ぶらりとわき道に寄りながらの帰宅です。
今回は身近にある神社、「宗賢神社」を 3ヵ所訪ねました。まだまだこの地域には「宗賢神社」が
多くありますので行く機会がありましたらいいです。
次回をお楽しみに では またね
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます