所在地 今井町町並み 奈良県橿原市今井町
この今井町は、なにより一般の人々が今も生活する生きた町で、多くの観光地のようにみやげ物店や飲食店を作らせないで昔のままの時が刻まれているのが大きな魅力です。
今井町:北側に位置する大工町筋にある、連妙寺で 正慶2年(1333)大覚大僧正妙実聖人の開基、創立です。
80tの耐震性防火水槽を埋設し、鉄筋コンクリート造り、外部木製の2階建ての防災小屋を建設しました。木造建築の密集地の中、初期消火および災害時の救援などの防災拠点の役割をそなえ、便所、休憩施設、防災倉庫を設置しています。建物周囲は「井戸」を想定した生活広場として開放しています。ここでひと休みです。
天領となった延宝7年頃は,今井町が最も栄えた時期とされ,家数1,082軒,人口約4,400人を数えました。軒が長く連なる様子は「今井千軒」と言われていたことからも伺うことができます。経済的に豊かであった今井町では,町民の間にさまざまな文化や娯楽が発展しました。
。「 旧米谷家」は、「米忠」[こめちゅう]の屋号で、代々金物商と肥料商を営んでいた家。切妻造、本瓦葺き、平入りで立ちの低い町家です。内部は東側に通り土間、土間の隅はシモミセを取り、居室は珍しく五間取りです。裏庭に建つ土蔵は、数奇屋風の蔵前座敷を付属しています。珍しく広い土間、煙返しなど、むしろ農家風の民家としてのイメージが強い建物です。
旧米谷家の“かまど”は、口が部屋と反対方向にあり、煙が部屋の中に入らないようになっています。上から見ると勾玉のような形をしていて動きやすく、作業効率が考えられています。また、土間部分天井に煙返しがつけられるなど、かまどの発展系を見ることができます。
土間を抜けて中庭に出ると蔵。その蔵の入口に隠居部屋がありました。奥には蔵があり蔵番と兼ねたような役割だったのでしょうね。
音村家住宅は、町内でも古い部類に入る17世紀後半の建築ですが、その後2回に分けて座敷が増築されています。「細九(ほそく)」の屋号で金物問屋を営んでいた家です。主屋は17世紀後半に建築され、後になって北西部に「つのざしき」を、19世紀中ごろに西側に座敷を増築しています。時代に合わせて増築されているのが特徴です。
この今井町の町並みはすごいですね。 ほとんどが昔ながらの町屋で、よくこれだけ保存されていると感心させられます。
この今井町の町を歩いていると江戸時代にタイムスリップしたようです。まだまだ今井町の町並みを歩きます。
次回をお楽しみに では またね
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