hasyan の 旅の散歩道

元気な間に余暇を通じてドライブなどで得た、行き先々の身近な風景・
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淡河城址  2014.01.31

2014年02月01日 16時58分14秒 | 歴史・遺跡・伝説


  所在地   淡河城址      神戸市北区淡河町淡河

 道の駅淡河の南側の小高い丘に淡河城跡があり、「淡河・道の駅」に車を停めてガソリンスタンドの横を歩いていきます。

 すると道しるべの石碑がちょっと字が読めない。ここを右へ

 ワァ~ 沢山の牛が ホンマに沢山いましたよ。この先に

 「浦川」の橋を渡って行くと、「淡河城跡」の道案内があります。

 東斜面から登城出来ようです。丸太で階段が作ってありますので、誰でも簡単に城址にいけるようですが、落ち葉が濡れて歩きにくいです。

 やっと「淡河城跡」の看板と「櫓風」の黒い建造物のところに来ました。

 天守台の片隅には、有馬氏の子孫の有馬頼寧氏が昭和11年に書いた石碑があります。三木城が落城したのち、淡河城は城攻めに功績があった、有馬則頼が与えられた。生き残った淡河一族のうち、定範の弟は有馬則頼に仕え、兄範春は黒田官兵衛の家臣となったと伝えられている。また、定範の娘は有馬郡道場城主松原貞利に嫁し、長男若竹丸は早逝、次男次郎丸は三木城に入質としてあったが、落城後に四国坂出に渡海したという。

 東西50m、南北8~16mの天守台は、現在は稲荷神社の境内になっており、拝殿を利用したミニ資料館がありましたが、現在は古い写真を飾ってあるだけです。大学ノートが備え付けてありましたので記入してきました。

 本丸のまわりには内堀跡が残っています。往時西側には曲輪があり建物が立っていたというが、いまは田畑がのどかに 広がっています。

 本丸の南東には、竹慶寺跡あります。淡河家廟所があります。

 淡河氏一族の墓石がひっそりと佇んでいて、まさに、 淡河城址は武士(もののふ)の夢の跡を感じさせる風景です。

 淡河氏は中世播磨の豪族で、現在の神戸市北区に位置する淡河に城を築いて周辺を支配した。そもそも、淡河氏は鎌倉幕府執権をつとめた北条氏の後裔と伝えられている。すなわち、北条時房の子佐介時盛の子時治が承久の乱後の承久四年(1222)、播磨国美嚢郡淡河庄の地頭職として補任され入部したことに始まりと言われています。このような所に遺跡があるんですね着てよかったです。
 次回をお楽しみに  では またね

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