治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

ギョーカイよ、刮目せよ! これが親心だ!~からのギョーカイまだ奈良時代説

2018-06-12 09:59:41 | 日記



さて本日最後の一本。
帰ってきたらまた、「やまゆり園の模倣犯ではなく」を続けますよ。

昨日の記事にいただいたコメントを貼ります。

=====

ツイッターでのやり取りを読んで (当事者保護者)
2018-06-11 19:04:36
ツイッターをしていないので、こちらにコメント失礼します。
当事者保護者です。3歳診断され、現在12歳。
検診で指摘され、福祉センターへ繋がれ、療育機関に繋がれ、ベルトコンベアーにのせられたように、どんどん支援の世界に入らされていきました。全く知らない世界で、それが正しいか正しくないか、なにも考えられる材料も時間もないまま、「そうしなければならない」と思い込まされ、最初に行かされた「自閉症」の勉強会で絶望しました。帰りには自閉症協会入会の案内や、その他種々親の会の入会案内、中には兄弟児が入るような会まで用意されてるんですね。いったいどこに連れて行かれるのか、となんとも言えない気持ちになりました。ものすごい違和感感じた私はどれにも入りませんでした。その時の自分の嗅覚は正しかったのだと後になってわかりました。
福祉、教育、医療、みんなで寄ってたかって包囲網です。連携っていうんですか?すごいです。もやもやしていたことが、花風社さんのおかげで、その正体がわかりました。

初めて診断された時に「治らない」って断定されましたが、こんな医者が牛耳っているのなら、そりゃあ、治らないですね。
「治らない」この言葉の重みを考えて欲しいです。本気で心中を考えたものです。そんな人たくさんいるとおもいます。私は子育てをしたかっただけなのに、突然違う生き物を育てるかのような療育でしたしね。

それでも独自に自分でいいと思うことをやりました。そうしたら今度は「無理させすぎ」「障害受容が出来ていない」「二次障害になりますよ」といろんな立場の人からのアドバイス(皮肉です)をされて、なんとしても障害児のままでいさせたいようでした。

でも「治したい」という強い思いのおかげで、花風社さんの本に出会えました。息子は自分から金魚体操して!と言ってきます。その効果を実感してるのでしょうね。今は社会に出て行く息子をイメージできるようになりました。
続きです (当事者保護者)
2018-06-11 19:14:32
度々すみません。
支援ギョーカイは1ミリの助けにもなっていません。むしろ足をひっぱられました。二次障害脅しには怯んでしまって、もうこの人たちの言う通りにしようかと思いましたから。

そして、小学校は普通級だったのですが、中学なんで強烈に支援学級転籍を勧められました。その時のトークは「高学年になるほど転籍するのが難しくなる。本人の意思がでてくるから。これからもっと大変な時期だから、早目に転籍しておく方がいい」でした。こんなに軽々しく人の人生決めていいのでしょうかね?


=====

私が昨日西川っていう人に言ったのは、ギョーカイ村で村八分にされないように支援者たちがみんな普通の日本語を使わないばかりに、どれだけ親御さんたちに絶望を与えているか自覚せよ、っていうことです。

とにかく彼らは「ギョーカイ仲間の顔色」しか見ていない。
それで言動決める。

それに洗脳されるバカ親たちがいるんです。さっきの記事のそらパパみたいなやつ。

連携って美しい言葉ですけど、要するに「囲い込み」です。
新幹線の犯人が「自由に生きたい」と言ったそうですが、エネルギーのある人が囲い込まれてしまったんだろうなあと思います。
それなのにまあ、愛知県の発達障害者支援の重鎮がこんなこと言っている始末ですが。




今世紀最大の他人事発言です。
このギョーカイ人の体温の低さと卑劣さが私は大嫌いなのです。



そして「連携」の名の下に「囲い込み」、「治らない」と「絶望」を与え、あたかもジャガイモかなんかのようにたった一度しか人生のない人様の大事な子を選り分けて「実力以下の人生」を勧める。
そこに満足できない親子がいるのは当たり前です。

そして一方でリッパな日本一大きな政令指定都市の発達障害者支援センターが
ずっと普通級で育ってきた自負心のある利用者に療育手帳を強要し
利用者から加害行為があれば実名を晒し、留置場に3週間留め置かれているのになんの介入もせず、その土地に住めない状況を作ってそれを隠して恥じない。
それが発達障害者支援法ができて三年経った「支援の現状」です。


そしてこういう無法なことをギョーカイは最大の説明品「二次障害」を脅し道具として振り回してきました。
二次障害という棍棒を振り回し、当事者保護者に希望を抱かせないように飼い慣らす。
なるべく夢を見させない。

それがどのように親心をないがしろにしているか、支援者を名乗る人たちには、よく自覚してもらいたいですね。

二次障害をギョーカイが暴力的に振り回す現状を新刊『発達障害者支援法は誰を救ったか?』にはこう書いておきました。
編集途上原稿です。

=====

発達支援ギョーカイはまだ奈良時代

 (中略)

 奈良時代、この国は苦しんでいた。天災に加え、飢饉や疫病に見舞われ、人がどんどん死んだ。重い苦役から逃れるために、私度僧が跋扈した。農民でいたら年貢を取られるのに、坊さんになったらその義務から逃れられるので、修行も積まずに僧形になるのである。

 よくABAをやっている療育業者が利用者募集と同じホームページで「ママセラピスト募集!」とかやっているが、あれを見ると私は奈良時代の私度僧たちを思い出す。修行は二の次で、「プロと名乗るが勝ち」の世界である。
「マニュアルがあれば大丈夫」程度の意識で乗り出してくるママセラピストや学生セラピスト。それと同じような私度僧がたくさんいたのかもしれない。
 修行もしない。戒律も守らない。ただえらい人に教えられた念仏を唱えているだけで食わせてもらっている私度僧。

 そういう私度僧たちの中には、生臭坊主もたくさんいた。その坊さんたちが派閥に分かれて念仏を唱えて国を護っているつもりになっていた。まさに、今の発達支援ギョーカイそっくりである。

 奈良時代の坊さんたちには護国三部経というのがあったそうである。すなわち『金光明最勝王経』、『仁王般若波羅密経』、『妙法蓮華経』の三つ。
 民が苦しんでいようと、税のかからない福祉ビジネスに転じ、念仏だけ唱えて仕事したつもり。
 ここも、今の発達支援ギョーカイそっくりである。

 現代の発達支援ギョーカイが唱える三つのお経は

1 社会の理解があれば
2 支援があれば
3 二次障害はなんとしてでは避けなくては


 である。

 社会の理解があれば~と唱えていたら、自分たちが何もしなくても社会が頑張ってくれればいいので支援者はラクチンである。
 もっと支援があれば~とは、支援産業に金を投じろという国や自治体への働きかけ。ところがそうはっきりは言わないものだから、当事者保護者は誤解してしまう。自分たちを救う支援策を支援者が求めてくれていると善意に解釈してしまうのである。
 そして二次障害を避けなくてはならない、という念仏。二次障害は支援ギョーカイ最大の発明品だと思う。二次障害の恐ろしさを吹き込み、異様に恐れさせることによって、見事に「治さない伸ばさないけど支援者ぶっていられる支援」をギョーカイは確立した。


=====

さて、今日はここまで。
賛同異論反論受け付けますが、ツイッターやFBではなくこちらの方が見やすいです。
レスはするとしても明日以降になる可能性大です。

いってきま~す!

そらパパがゲーリー・メジボフ先生を否定している件

2018-06-12 08:55:53 | 日記



さて、昨日の西川って人が言った言葉に飛びついて、どうしても花風社がやっていることをインチキだ、発達障害は治らないと信じたいこの男がまた変なつぶやきしているよ。


ちゅん平が「誤診だった」と言いたい人の一人ですね。

ところで今年もゲーリー・メジボフ先生がやってくるそうですが
メジボフ先生はちゅん平に会ったとき「歩く姿を見てわかったよ。君はアスペルガーだね」って言ったそうですよ。
そしてしばらく話をして
「典型的な受動型アスペルガー」とおっしゃったそうです。

だからちゅん平が「誤診だった」という人たちは、おそれおおくもゲーリー・メジボフ先生の見解を否定している

という自覚は持ってくださいね。



ま、そらパパはそこまでにも至らず、ただの嫉妬深い、子どもの療育に失敗した墜ちたカリスマ父ですが。

それはともかく、思い出したんだけど

ちゅん平は歩き方も変わったね。
声も変わったもん。力強くなった。昔はか細い声だった。
当たり前か。
治ったんだから。
今メジボフ先生がちゅん平を見たらどう思うだろう。
たぶん「はじめまして」だろうな。

あと一本更新します。
この一本が緊急に増えた。だから今日は計五本だな。



もう早期診断いらないね!

2018-06-12 08:42:14 | 日記
さて、

治った→ニセモノ

で「誤診だった」というトンデモ見解で「発達障害は治らない」を死守しているギョーカイ人に運命を委ねるくらいなら、現代の生活でどうしても少なくなってきた発達の機会を親子で設ける方がましです。

先日某所で「療育はお金がかかる」と言ってた人がいて、私は思わず「かかりません」と言いました。
二十年近く見てきた結論はそれ。
お子さんの育ちは家庭の経済力と相関しません。
たしかにお金のあるおうちでしかやれないことはあるけど
お金のないおうちでやれることもたくさんある。

なんで私が「療育はお金がかかる」ということに突っ込んでおくかというと
その誤学習がお子さんの発達にむしろ悪影響を及ぼすからです。
「子どもに障害があってお金がかかる」と働こうとしますね。そのとき、時給何百円~(東京神奈川では違法)では追いつかないほどのお金がかかると誤学習していると、変な仲間がやっている猫烏賊ビジネスみたいなのに引っかかって他人の目からどう見られるかが処世術、みたいなつまんない世渡りを吹き込まれ、しかもみんなで集まってSNSに写真アップしたりに忙しく、結局子どもと遊ぶ時間がなくなって、儲かるか儲からないかわからない研修に金突っ込んだあげく「親子で遊ぶ時間がない」というのが決定的によくないからです。あほです。この手のことしている親。

だったらこよりさんのように田んぼのあぜ道で子どもと遊び、お金がないときは深夜のバイトに行って、

っていう人の方が

結局子どもは育つし

育った子どもにお小遣いもらって楽隠居できるわけですね。

そして親子で遊ぶ邪魔と言えば各種療育ビジネスね。

要するに誤診も多いくせにギョーカイが早期診断早期診断うるさいのは療育ビジネスにたくさんの人を送るため。そのことにみんな気づいた方がいいです!

治さない伸ばさない支援者に我が子を委ねるなら親子で遊んだ方がまし。
お天道様に祈った方がまし。



ねこ母さんが怒りを込めてブログ書いてくれてます。

改善はできない。だって治ってしまうから。

2018-06-12 06:58:31 | 日記


今日は実はとても楽しいイベントに出かけます。
今晩一晩はネットにつながらないところにいます。
ということで、複数回更新していきます。

昨日の炎上(ってほどのもんでもない)を見て読者の方の感想ですね。
あ、そうそう。花風社アンチは「花風社はどんどん読者がいなくなる」「新規が入ってこない」未来を希望しているのですが、その夢はかなっていません。
この方もどちらかというと新しいお客さんです。
さんざんギョーカイに絶望してから花風社にたどりつかれました。

=====


素朴に疑問なんだけど、費用は療育や自由診療に比べたら安い、家で親や当事者が簡単に出来る方法を叩きまくる医療者、支援者ってどうかしてない?
心ある人なら「効果があるなら試してみよう」ってなるのが普通じゃないの?
あっ、自分の所に来なくなっちゃうと困るからかぁ。そっかぁ。

=====

2009年から10年頃の炎上の際には、ギョーカイとそれに洗脳された人たちが「浅見が不当に金儲けしている」という理由で叩いてきましたね。それでなんか抱き合わせ商法しているみたいなデマも行き交ったもんです。抱き合わせ商法なんかしていないのが明らかなので読まないで批判しているのは明らか。そして完全にデマ。こっちが名誉毀損に問える案件です。名誉毀損がなぜ罪なのかは『元刑事が見た発達障害』に書いてありますからみんな勉強してね。現場で名誉毀損を捜査してきた人の言葉ですから法律書よりはずっと臨場感がありますよ。

ということで本業である本を作って売る以上のことはしていないのに。しかも一円の公金も入れず自己資本でやっているのに、なぜそういうデマを飛ばしてまで彼らが邪魔をしたいかというと、純粋に面白くない。支援者の方は自分たちが知らない方法で治っていく人がいるのが許せないくらい心が狭い。そしてそれに洗脳された保護者の方は自分たちが手を出さない手を出す勇気がない方法でよその子が治っていくのが面白くない。でもその陰性感情をはっきりと認めるのはつらい。っていうわけで「金儲けが」とかそういういかにも「自分たちの方が道徳的に正しいです」という論法を使う。そして「暮らしやすくなっただけ」「適応しただけ」と必死に「治る」という言葉を使わせまいとする。まるで卑猥な言葉のように「治る」という言葉を避ける。それを普通の日本語として堂々と使う私を見てフユカイで仕方ない。

なぜ「治る」という言葉を使うか。それは私たちが目にしている現象が「一次障害が治る」としか言いようがないからです。昨日医者と自称医療者が絡んできましたが、そいつらは「読み書き障害の人が読める・書けるようになったケース」も「知的障害の人が知的に正常域になる」ケースも見たことがないみたいだった。だから私がICDもDSMも知らずに商売していると思っていたみたい。それで本が出せると思う自体「仕事」っていうもんをなめきっている証拠です。

感覚過敏、睡眠障害、季節や気候に翻弄される体調

これは「社会の理解がないから」起こるものではありません。個体がもともと持っている特性、もしかしたら先天的に持っている特性です。でも治ります。それを見てきました。そして身体が治れば知的障害も学習障害も治っていくのは自然なことなんです。発達障害の身体アプローチをしていたらアトピーや弱視も治った人がいる。当たり前です。身体は一つだから。どう見ても「工夫により適応した」というレベルではない。


「治ったとしかいいようがない」というのが私たちの実感です。だから「治る」という言葉を使います。でもギョーカイがこれを気に入らないのはカルテルがあるからです。「治らないことにしておこう」「誰もその言葉を使うのはやめよう」というカルテル。私は民間人で、非医療者で、非支援者ですからカルテルの外にいます。編集者ですから人口に膾炙した言葉を使います。だから治った人をみれば治ったと呼びます。

『人間脳の根っこを育てる』を電子化するので校正してました。
自分がいいこと言っていました。
治ると改善は違います。
本当に改善するとそれは止められない、というのが私の実感です。
どうしても治ってしまうのです。
そして私たちが見ているのは「治る」ですから「治る」と呼びます。






治ることより誤診を選ぶギョーカイの変態性とアスペルガー者の犯罪

2018-06-12 06:10:49 | 日記



さて、ねこ母さんのコメントより。

=====

バカ医者はいらない。 (ねこ母)
2018-06-11 20:55:36
「発達障害はとりあえず誤診が多いので」と普通に言ってる感じの方、これ医者さんですかね?病院に行くときって、何らかの症状で困ってるときではないですかね?「発達障害は誤診が多い」前提の医療が本当なら、可愛い盛りの子どもを早期診断して、時に薬まで勧め、何年も何十年も医療や福祉につなぐようなことやめて欲しいものですね。治りたいから、治る方法が知りたいから(病院では治らない、治せないけど)病院に行くのではないのでしょうか?私は普段病院行きませんが、たま〜に行く歯医者さんや内科で誤診だらけだったら訴えられて大問題じゃないんですかね?発達障害のお医者さんは基準が緩いんですかね?頭悪いだけなの?人の命、生きることを軽く見てる医者は辞めて欲しいものです。

=====

まったく。この人は医者じゃなくて心理士みたいだけど、ギョーカイの一翼を担っている(褒めてません)のは確かみたいです。昨日「そんな言い方だと誰も本を読んでくれないよ」とかよくギョーカイ人がいいそうなウエメセ説教してきましたが、2009年頃からずーっと花風社は潰れるって言われ続けたもんです。誰も読んでくれない出版社が22年も続くかっていうの。誰も読んでくれないのではなく、たくさんの人が読んでいるけどこの人の周りにいないだけ。いや、いても隠してるかも。だって話通じそうにないもんね。

いずれにせよこの人の証言で、藤家さんがニセモノ扱いされる仕組みがで明るみに出ましたね。前から気づいていたんですけどギョーカイは

治った→ニセモノ認定
犯罪を犯した→ニセモノ認定

なんですよね。治ってもニセモノで犯罪を犯してもニセモノなら手元には治らず犯罪を犯さない人しか残らないしその人たちをくるくる回してめんどりにしておけばいいからラクですね。そしてねこ母さんおおせのとおり、とんでもないことです。てらっこ塾の大久保さんはこう言っています。

=====

治った人が「偽物」だとしたら、それこそ大問題。
発達障害と診断されたけど、それは「誤診でした」ということになる。
誤診で、必要のない治療、服薬を受け続け、挙げ句の果てに自立できる人が、福祉の中に入れられる。
誤診で、人生を狂わせ、必要のない医療、教育、福祉を使った罪は大きい。

=====

本当です。
これこそ「罪」。
誤診で治療だの支援だの受けさせられてかわいそうです。人権問題です。
だから、治って誤診だと言われたら
誤診に対して損害賠償請求したらいいと思う。
そういう緊張感がないからこいつらは平気で「治る」より「誤診」を選んでまで「発達障害は治らない」という自分たちに都合のいい言説を死守し人々を洗脳するんですね。

そしてもう一つの犯罪の方も、自閉症協会やJDDの重鎮山崎氏市川氏が国のお金使って調査しきちんとアスペルガーと犯罪のリンクについて国に報告しています。


これ、国のお金を使ったから発表しないわけにいかず、自閉症協会のHP奥深くに埋めてあります。この本でその研究の存在を知り、ここほれわんわんに私は他人の力を借りましたよ。学者さんの書いた本はお勉強上手だからここほれわんわんが深くて便利なんですよね。昨日お勉強自慢の人がいたけど新書一冊も読んでなかったみたいだな。関係者は読んだ方がいいよこれ。

ま、ともかく。つまり

治る→ニセモノ
犯罪を犯す→ニセモノ

もどっちも「いかに真実を知らせないか」というギョーカイの努力の賜物(褒めてません)で保たれているウソなんですよ。
本当にギョーカイは努力の方向間違っているよね。
犯罪と障害の関係があったって偏見なんかもたれませんよ。だって治るもん。
治るから予算出せ、っていったらそりゃ予算出ますよ。だって誰も新幹線で殺されたくない。
いくら犯罪とのリンクが明るみに出ても治るのならいいじゃないですか。だったらせっかく国のお金で研究した結果は発表し、治る方法を探ればいい。

本当に努力の方向が違います。

そして治ると認めるより誤診を選ぶなんて

控えめに言って趣味が悪いですね。