さて本日最後の一本。
帰ってきたらまた、「やまゆり園の模倣犯ではなく」を続けますよ。
昨日の記事にいただいたコメントを貼ります。
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ツイッターでのやり取りを読んで (当事者保護者)
2018-06-11 19:04:36
ツイッターをしていないので、こちらにコメント失礼します。
当事者保護者です。3歳診断され、現在12歳。
検診で指摘され、福祉センターへ繋がれ、療育機関に繋がれ、ベルトコンベアーにのせられたように、どんどん支援の世界に入らされていきました。全く知らない世界で、それが正しいか正しくないか、なにも考えられる材料も時間もないまま、「そうしなければならない」と思い込まされ、最初に行かされた「自閉症」の勉強会で絶望しました。帰りには自閉症協会入会の案内や、その他種々親の会の入会案内、中には兄弟児が入るような会まで用意されてるんですね。いったいどこに連れて行かれるのか、となんとも言えない気持ちになりました。ものすごい違和感感じた私はどれにも入りませんでした。その時の自分の嗅覚は正しかったのだと後になってわかりました。
福祉、教育、医療、みんなで寄ってたかって包囲網です。連携っていうんですか?すごいです。もやもやしていたことが、花風社さんのおかげで、その正体がわかりました。
初めて診断された時に「治らない」って断定されましたが、こんな医者が牛耳っているのなら、そりゃあ、治らないですね。
「治らない」この言葉の重みを考えて欲しいです。本気で心中を考えたものです。そんな人たくさんいるとおもいます。私は子育てをしたかっただけなのに、突然違う生き物を育てるかのような療育でしたしね。
それでも独自に自分でいいと思うことをやりました。そうしたら今度は「無理させすぎ」「障害受容が出来ていない」「二次障害になりますよ」といろんな立場の人からのアドバイス(皮肉です)をされて、なんとしても障害児のままでいさせたいようでした。
でも「治したい」という強い思いのおかげで、花風社さんの本に出会えました。息子は自分から金魚体操して!と言ってきます。その効果を実感してるのでしょうね。今は社会に出て行く息子をイメージできるようになりました。
続きです (当事者保護者)
2018-06-11 19:14:32
度々すみません。
支援ギョーカイは1ミリの助けにもなっていません。むしろ足をひっぱられました。二次障害脅しには怯んでしまって、もうこの人たちの言う通りにしようかと思いましたから。
そして、小学校は普通級だったのですが、中学なんで強烈に支援学級転籍を勧められました。その時のトークは「高学年になるほど転籍するのが難しくなる。本人の意思がでてくるから。これからもっと大変な時期だから、早目に転籍しておく方がいい」でした。こんなに軽々しく人の人生決めていいのでしょうかね?
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私が昨日西川っていう人に言ったのは、ギョーカイ村で村八分にされないように支援者たちがみんな普通の日本語を使わないばかりに、どれだけ親御さんたちに絶望を与えているか自覚せよ、っていうことです。
とにかく彼らは「ギョーカイ仲間の顔色」しか見ていない。
それで言動決める。
それに洗脳されるバカ親たちがいるんです。さっきの記事のそらパパみたいなやつ。
連携って美しい言葉ですけど、要するに「囲い込み」です。
新幹線の犯人が「自由に生きたい」と言ったそうですが、エネルギーのある人が囲い込まれてしまったんだろうなあと思います。
それなのにまあ、愛知県の発達障害者支援の重鎮がこんなこと言っている始末ですが。
今世紀最大の他人事発言です。
このギョーカイ人の体温の低さと卑劣さが私は大嫌いなのです。
そして「連携」の名の下に「囲い込み」、「治らない」と「絶望」を与え、あたかもジャガイモかなんかのようにたった一度しか人生のない人様の大事な子を選り分けて「実力以下の人生」を勧める。
そこに満足できない親子がいるのは当たり前です。
そして一方でリッパな日本一大きな政令指定都市の発達障害者支援センターが
ずっと普通級で育ってきた自負心のある利用者に療育手帳を強要し
利用者から加害行為があれば実名を晒し、留置場に3週間留め置かれているのになんの介入もせず、その土地に住めない状況を作ってそれを隠して恥じない。
それが発達障害者支援法ができて三年経った「支援の現状」です。
そしてこういう無法なことをギョーカイは最大の説明品「二次障害」を脅し道具として振り回してきました。
二次障害という棍棒を振り回し、当事者保護者に希望を抱かせないように飼い慣らす。
なるべく夢を見させない。
それがどのように親心をないがしろにしているか、支援者を名乗る人たちには、よく自覚してもらいたいですね。
二次障害をギョーカイが暴力的に振り回す現状を新刊『発達障害者支援法は誰を救ったか?』にはこう書いておきました。
編集途上原稿です。
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発達支援ギョーカイはまだ奈良時代
(中略)
奈良時代、この国は苦しんでいた。天災に加え、飢饉や疫病に見舞われ、人がどんどん死んだ。重い苦役から逃れるために、私度僧が跋扈した。農民でいたら年貢を取られるのに、坊さんになったらその義務から逃れられるので、修行も積まずに僧形になるのである。
よくABAをやっている療育業者が利用者募集と同じホームページで「ママセラピスト募集!」とかやっているが、あれを見ると私は奈良時代の私度僧たちを思い出す。修行は二の次で、「プロと名乗るが勝ち」の世界である。
「マニュアルがあれば大丈夫」程度の意識で乗り出してくるママセラピストや学生セラピスト。それと同じような私度僧がたくさんいたのかもしれない。
修行もしない。戒律も守らない。ただえらい人に教えられた念仏を唱えているだけで食わせてもらっている私度僧。
そういう私度僧たちの中には、生臭坊主もたくさんいた。その坊さんたちが派閥に分かれて念仏を唱えて国を護っているつもりになっていた。まさに、今の発達支援ギョーカイそっくりである。
奈良時代の坊さんたちには護国三部経というのがあったそうである。すなわち『金光明最勝王経』、『仁王般若波羅密経』、『妙法蓮華経』の三つ。
民が苦しんでいようと、税のかからない福祉ビジネスに転じ、念仏だけ唱えて仕事したつもり。
ここも、今の発達支援ギョーカイそっくりである。
現代の発達支援ギョーカイが唱える三つのお経は
1 社会の理解があれば
2 支援があれば
3 二次障害はなんとしてでは避けなくては
である。
社会の理解があれば~と唱えていたら、自分たちが何もしなくても社会が頑張ってくれればいいので支援者はラクチンである。
もっと支援があれば~とは、支援産業に金を投じろという国や自治体への働きかけ。ところがそうはっきりは言わないものだから、当事者保護者は誤解してしまう。自分たちを救う支援策を支援者が求めてくれていると善意に解釈してしまうのである。
そして二次障害を避けなくてはならない、という念仏。二次障害は支援ギョーカイ最大の発明品だと思う。二次障害の恐ろしさを吹き込み、異様に恐れさせることによって、見事に「治さない伸ばさないけど支援者ぶっていられる支援」をギョーカイは確立した。
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さて、今日はここまで。
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レスはするとしても明日以降になる可能性大です。
いってきま~す!