治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

何度かあの事件のことを書きます。 その2

2021-03-01 11:14:28 | 日記
仮に凡心理士Zとしておこう。
というか、実を言うと名前も覚えていないのだ。メールを深く深く探ればまだやりとりは残っているかもしれないけど。
顔は覚えている気もするが、今度会ってもわからないかもしれない。

覚えているのは女性であることと、会ったのが横浜駅西口のカフェだということ。
私も頻繁に多摩川を越えていた時代だったので、横浜駅で会ったと言うことはきっと神奈川県の人だったのかもしれない。

そのときに見せられたのは「彼」が書いた怪文書である。私について罵詈雑言+詐欺呼ばわりが連ねてあった。
凡心理士Zはどこでそれを手に入れたか?
「彼」の自宅まで出かけたのである。「彼」がやっていたなんかの自助活動?に興味を持って自宅訪問までしたらしい。そしてもてなしを受けたらしい。とても愛想がよかったと言っていた。悪印象は持っていないようであった。

とりあえず私にそのコピーをくれたので預かった。
そして四方山話をしたと思う。
いや、色々貴重な情報をくれた。
それにより私は
・彼の暮らし向きはさほど悪くない
・過敏性は相当
・薬物による三次障害も相当
等の情報を手に入れた。中でも一番貴重だったのは「ここだけの話ですが」と前置きして教えてくれた「よこはま発達クリニックはふだん20万円取る診断の費用を彼からも彼の妻からも一円も取らなかった」という事実である。
「ここだけの話」として彼が凡心理士Zに話したらしい。それをまた「ここだけの話」として凡心理士Zが私に話したのである。

その日はお茶を飲んで別れた。
基本開けっぴろげな私としては胸襟を開いて話したつもりだった。けれども礼儀を重んじて、一番の疑問はさすがにぶつけなかった。
だからこそ事後のメールにちょっとびっくりした。なんか私への通知表みたいな感じだったのだ。
悪い通知表ではない。でも通知表をもらう理由がない。
私としては友好的にかかわったつもりであっても、凡心理士Zとしては胸襟を開いておらず、それどころか私をじろじろと観察し、そしてそれを臆面もなく当の本人に言っていいと思っていたようだ。
職業柄そういう人間観察の習慣が身についているんだろう。だったら隠せよ。
あっちに行って観察し、こっちに来て観察する。
なんのためだろう。あののぞき趣味がその後彼女の臨床上役に立っているのだろうか。


愛甲さんが創立25周年記念動画その5を見てこういう感想をくださった。

=====

理数系思考の人は、物事を自分とは関係のない3人称で捉えますが、文系思考の人は、物事を1人称で捉えようとします。
発達障害の世界に命が吹き込まれ、未来の希望へとつながっていくためには、1人称的、2人称的観点が不可欠だったのだと思います。

発達障害当事者のニキさんと藤家さんは1人称、身体の不自由さに気づいた浅見さんは2人称、そこが原点となって花風社の「目から鱗」の著作が次々と生み出されていくことになったのでしょう。

=====

私はつねに発達障害の人を二人称の視点で見ていた。それは意識したものではなく、自然に人と人との関係性は二人称ではないのだろうか。
私が「治ってほしい」と願うのはつねに二人称の視点からである。凡医凡心理士凡ST凡OT等はどこかで観察の対象として見ているようだが、私は常に「私は社会が楽しいよ。治ると君たちも社会が楽しくなるよ」という視点から発信している。
そして二人称の視点を「彼」にも向けていた。だからこそ訴訟を起こしたのだ。訴訟を起こすなんて、究極の二人称的行動ではないか。
だが、凡心理士はあくまで「彼」のことも私のことも観察の対象としていたようだ。彼を観察の対象としていたギョーカイ人は他にもたくさんいたが、地の利のせいかヒマだったのか、それともマニア度が高かったのか、凡心理士Zは自宅にまで出かけてその生活をつぶさに観察し、リビングにあった空気清浄器の台数まで教えてくれた。

ちょうど読者のふうりんさんがこういうつぶやきをしてくださっていたが

=====

他人はどうかわからないけど、私にとっては楽しいと思えることが大事。
自分のペースで進めて結果がみえてくることと、心からよくなってほしいという思いの伝わる文章だから楽しい。
#花風社

=====

私は赤心から、同じ社会を生きる仲間として、発達障害の人たちが治り、自由を享受してくれたらいいと思っている。
ところが凡心理士Zはあくまで三人称として私を見て、そしてぺらぺらとこちらに情報をしゃべったようにあちらにも浅見と会った体験談を話しているだろう。

こいつは使い捨てでいい、と私の本能が決めた。
そして「よこはま発達クリニックは(他の患者からは高額な料金を取っているにもかかわらず)彼とその妻から料金を取らなかった。理由は『金がない』とごねたから」という情報を振りまくことにした。
その結果Zが私を見限ってもなんの痛痒もない。「ここだけの話」をリークした私を一生非難していればいい。

観察されて不快だった私は事後のメールで、当日あえてぶつけなかった疑問をぶつけた。
凡心理士Zが「彼」から自宅訪問の際預かった怪文書にはニキ・リンコと浅見淳子にまつわる例の詐欺呼ばわりが書かれていた。

「あなたこれ真顔で受け取って、そして否定しなかったのですか? あなた心理士でしょう? 人を治す仕事でしょう? ならどうしてこれほどの妄想を肯定するの?」

それに対し凡心理士Zはこう答えた。
「彼は私のクライエントでないので彼を治す義務はありません。あくまで私的な理由で自宅を訪問しました」

もちろんこれは言い訳にすぎない。
でも百歩譲って聞き入れるとしても、彼の主治医だった内山氏が同じウソ八百を肯定し続けたことはどう説明する?
内山氏とニキ・リンコさん、そして私は発達障害啓発バブル時代同じ大会に講師として呼ばれ控え室を共有したことさえあったのである。それでも「ニキ・リンコはいない。浅見淳子が商売のため一人二役を演じている」というウソを肯定してしまう主治医なのだ。

それでも20万円払って診てもらいたい人がいるのだから不思議なもんである。
「彼」とその妻は払わずにすんだけど。
なぜ払わずにすんだかって? 「障害者で貧乏なので払えないからただでみろ」とごり押しして内山氏がそれに負けた、それだけの話である。

私はニキさんや藤家さんが(育ちのよさもあって)そんなに強気な交渉ができるとは今でも思わない。
「彼」のほうがよほど世渡り上手ではないか。

ちなみにその後凡心理士Zはクライエントでもない彼の公判全部に出かけ、有罪判決まで見届けたらしい。
不思議な趣味の持ち主である。
内山氏かこの心理士か、どちらかが「ニキ・リンコは実在する」と真実を教えてあげれば
彼は前科を背負わずに済んだのである。
支援者の存在意義が、私にはわからない。

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