治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

202X年猿烏賊ジュニアの成長 その7 公民館の悲劇

2019-03-16 11:36:51 | 日記
じじばばには喜ばれたトートバッグ。
公民館ではどうだったでしょうか?

=====


さて公民館では。

猿烏賊母は台車を借りて、控え室に三つの箱を運び込んだ。手伝ってくれたのはのちにトンデモに転じ今は大学生の母となったあのひと。実はこの人は、最初に一言の文句もなく3500円で買ってくれた数少ない一人だった。

控え室に行くと、カリスマカウンセラーとどこかきょときょとして若い女性がいた。猿烏賊母がカリスマカウンセラーに挨拶しお願いしますとへこへこしている間にも、その若い女性は挨拶ひとつしない。気を利かせた現大学生の母がお茶を出すと、礼も言わずに飲んでいる。

講演が始まる。外で警備の仕事をしているので、スピーカーから聞こえてくる音声が頼りだ。カリスマカウンセラーの声は朗々と響く。流石に講演は堂に入ったものだ。

自閉症の人がいかに才能に溢れているか、けれどもマイノリティで世の中で誤解されることが多いか、社会に自閉症を理解してもらえさえすれば才能を活かして活躍できること、を自信いっぱい話している。

猿烏賊母はちらりと考える。私は一般社会の理解など求めていなかった。ただ、会の仲間なら買ってくれるだろうと貯金を崩してトートバッグを作っただけだ。

だっていつも才能があるとうちの子の絵を褒めてくれてたから。会の仲間さえ買ってくれない現実の中で本当に社会の理解さえあれば才能を活かせる自閉の子などいるのだろうか?

そんな疑問が浮かんだが、それをじっと押し殺す。今日は先生が全部さばいてくれると言った。それを信じよう。

カリスマカウンセラーの話が終わり、ゲストが登壇する。控え室にいたあの若い女性だ。自閉症スペクトラムの診断を受けていると言う。

その若い女性は話す。幼い頃から周囲になじめず、違和感を感じながら生きてきた。知的障害はなかったので障害に気づかれず、専門学校を出たあと外食産業の会社に入った。現場研修でウエイトレスをやらされ、オーダーの間違いが相次いだ。お客に怒鳴られることもあった。つらくなってやめてしまった。

そして今は小説家を目指している。幼い頃からの違和感、就職して理解が得られなかったときのつらさ。そういう体験を小説にして、自閉症スペクトラムについて社会の理解を広げる上で役に立つ仕事がしたい。観客たちは熱心に拍手した。

カリスマカウンセラーは言う。●●さんは短期記憶の弱さがあったから、ウエイトレスは向きませんでした。けれどもお手紙をいただいて感動し、今日ゲストとして来ていただきました。文才を活かしてぜひ素晴らしい小説を書いてほしいですね。

そしてもう一人、素晴らしい才能を持った若者がいます、とカリスマカウンセラーは言う。猿烏賊ジュニア君です。知的にも高く、しかも絵が上手。こんなステキなトートバッグを作ってくれたんですよ、とカリスマカウンセラーはトートバッグを会場にみせる。

今日はジュニア君のお母様のご協力で、皆様にこのバッグをお配りできることになりました。帰りに受付に置いておきますので、どうぞお持ちください。カリスマカウンセラーはそう言った。

そして3500円では買おうとしなかった人たちが、嬉しそうに手に手にバッグを取って帰った。二箱はなくなった。もう一箱も半分くらいになった。

講演会が終わるとカリスマカウンセラーは言った。ずいぶんなくなったわねー。よかったよかった。

あの、代金は、と言える雰囲気ではなかった。カリスマカウンセラーにとっては「在庫がジュニア君の目の前から消えるための視覚支援」だけが目的だったのであり、猿烏賊母がなけなしの貯金を投じたことなどどうでもよかったのである。

「残りのバッグもいただいていくわ」と言うカリスマカウンセラー。明日も講演があるから、そこで配ると言う。自閉症の人に才能があるという良い証拠になります、とご満悦のカリスマカウンセラー。

こうやって猿烏賊母の六万円は消えた。

なぜこんなことになったのか?

支援者にとっては「自閉症の人の気持ち」だけが大事なのだった。そのためには一般社会の人々だけではなく、周囲も理解すべきだ、と信じていた。理解とはすなわち犠牲を耐え忍ぶことである。

自分の呼びかけで在庫がなくなったことに、カリスマカウンセラーは満足しきっていた。

いくばくかでも売り上げが入ることを期待していた猿烏賊母にとって、金が入らなかっただけではなく在庫が無料で配られてなくなったこともショックであったが、とうていそんなこと言い出せる雰囲気ではなかった。

しかも3500円で売ろうとした時はもじもじしながら不思議な笑みを浮かべてごまかしていた親の会仲間が競って箱からトートバッグを奪っていったのには複雑な思いであった。

やはり値付けがいけなかったのか?
無料なら喜ばれたのか?
でも無料で配っていては将来の仕事に結びつかない。

そもそもトートバッグなど作らなければよかったのか?

猿烏賊母はまた、方向違いの反省をしていた。

この失敗から正しく学ぶことができれば、方向転換ができたかもしれない。そして、猿烏賊ジュニアは今、大学生になっていたかもしれない。

猿烏賊母は学べなかった。
けれども一部始終を見て学んだ人はいた。

それが現大学生の母、その人であった。

=====

「このシリーズ大好きです。あるあるですよね」というお声を寄せられました。「この物語がフィクションだと笑い飛ばせる時代が来るといいですね」と。そのとおりです。全部どっかでみてきたことを書いています。
ここに出てくる小説家志望の女性とか、それを根拠なしに才能あると持ち上げるけど金は一円も出さないギョーカイ人とか、さんざんみてきました。その人たちが自立支援とかやるのは無理、と思い続けて今があります。応援っていうのは自腹を切ることなんですよ。

さて、続きはどうなるのでしょう。
現大学生母は何を学んだのでしょう。
これからどういう行動に出るのでしょう。
今日は幕内解説が荒磯親方ですから、ツイッターでは早めの更新です。
猿烏賊ジュニアファンの方はお楽しみに!

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
無責任に人様を河原乞食にしようとする人々 (ゴンザ)
2019-03-16 21:22:45
美術大学に行くべくデッサン、造形技術を磨いて来た人の方が絵が上手いに決まってるし、
ものを売るにしても、教授や講師から厳しい講評を受けて来た人の方が良いデザインを生み出せます。


なんというか、絵を描く仕事や作家業を
「才能があれば生きていける世界」
「自分のペースで出来る、好き勝手できる仕事」
とでも思っているのでしょうか?


画家なんかにしても、画業で食べているのはごく僅かなのはもちろんですが、
画廊との折衝や顧客への対応などがあり、決して好き勝手やっていけば良い職業ではないのですよ。
兼業作家がほとんどで絵画教室講師などして生きています。
生徒さんなどへの対応なんかもあるんです。コミュニケーションは不可欠。

作家にしても今は出版不況で迂闊に専業作家にでもなったら中々食べていけません。

無責任に河原乞食をすすめておいて、
本人達が食い詰めたらどうするのです?
散々煽っておいて、梯子を下ろすんですから。

発達障害者は「芸術家が向いている」「プログラマーが向いている」「職人が向いている」
(それにしてもギョーカイからこれらの職に就いた人の体験談などを聞いた事がない)
これらはたいてい無責任な発言だと思います。
今は工芸の世界も厳しいですよ。
職人って言ったって、基本的に(治れば別ですが)コミュニケ—ションはできず、手先は不器用な人たちなんですから。

私がカウンセラーだとしたら、非言語IQの高い子には建築の勉強や美術の技術を磨くよう勧めますね。
美術大学に行った人たちは、皆作家になったの?
いいえ、中学教師、デザイナー、モデリング、テレビのVTR編集、ゲーム会社、広告制作・・・。
毎月お給料頂いて、納税してますよ。

河原乞食として生きるなんて、それこそ本人も周囲も不安だと思いますよ。