治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

弔意

2016-08-04 07:03:39 | 日記




「白を多めに入れてください。グリーンも」と日比谷花壇のお姉さんにはお願いしました。
「白一色でいいですか?」ときかれてみるとなんとなく、きれいな色もほしい気がします。ですので「赤っぽいのも少しほしいかな」と言うと、やけに派手な赤が。これはそのときに私が着ていたお洋服の色なので、お姉さんは気を利かせたのでしょう。なんのための花束か言わないで作ってもらいましたから。ただ、リボンはいらないと言いました。

帰ってきて花束を解かないまま花瓶に活ける、という不思議なことをしました。
でも家族は何も言いません。
どこに行くお花なのか、わかっていたのでしょう。

翌朝、黒衣で津久井やまゆり園に向かいました。
カーナビに電話番号を入れると、圏央道というのを使うらしい。母は、初めての道だと言いました。たしかこれができて、神奈川県の海側と山側がつながって便利になったらしい。でも新しく何か作るとなると、必ずニンビーな人たちが出てきて反対運動をします。これも反対運動の署名をしていたらしい。そうしたら父はその人たちの真ん前に行って、やけにていねいな口調で「私は圏央道の建設には賛成します」とか面と向かって言ったらしい。父は私のように喧嘩っぱやくはなかったですけど、やっぱり死んだふりはしなかったんだな。
それまで神奈川県は海側と山側のつながりが悪かったのですから、この道ができて便利になった人はたくさんいるでしょうからね。



東名の事故渋滞もあり、行きは「遠いなあ」と思いました。
そしてうちからは遠いんだけど
津久井やまゆり園は決して陸の孤島ではありませんでした。
これまで見てきた特別支援社会は、人里離れた山の中にあることが多かった。鉄条網で防備しているのを見たこともあります。それは、侵入者を防ぐためではないのです。利用者を逃亡から守るためなのです。何しろ、逃亡しても遭難しそうな場所にあったりしますからね。

でも津久井やまゆり園の近所には、民家がたくさんありました。
思ったより地域と一体化していました。地域に拒絶されている施設ではありませんでした。
逆に言うと、だからこそ、犯行は真夜中行われたのでしょう。
ここでは鉄条網は必要ありません。利用者が出て行ったら、誰か近隣の人が気づくと思います。そういう環境でした。

車を降り、黒衣の上に、私はもう一枚ジャケットを羽織りました。

献花台の周りには規制のテープが。これは献花するなという意味ではなく、マスコミにこれから先は聖域だと示すためのものでした。
その周りには炎天下取材に張り付いている記者の皆様が。
お仕事お疲れ様です。でも悪いけど、私は話しかけるなオーラをまとわせていただきますね。




曰く「残虐な行為だ。許せない」。
曰く「ご冥福を祈ります」。
その気持ちはとても共有します。それを表したくて多くの人がここに来る。でも切り取られ電波に乗ったとたんお決まりの何かになりますね。私はお決まりの言葉を消費してもらうつもりはないのです。

私は記者さんたちが見えないふりをして、まっすぐ献花台に向かいました。
犠牲になった方々に話しかける言葉は用意してきませんでした。
その場で降ってくるに違いないと思いました。

そして降ってきました。
お花を供え、手を合わせ目をつぶったとき、私に降ってきた言葉はこのようなものでした。

=====

また生まれてきてください。
懲りたかもしれないけど、また生まれてきてください。
そして今度こそ、誰にも中断されることなく、天寿を全うしてください。
障害のある人に生まれるか、ない人に生まれるか、それは神様が決めること。
どっちに生まれても、希望を持てる情報を、なるべくたくさん出しておきますからね。

=====

合掌を終え、一礼しました。帰ろうとして思い直し、もう一度一礼しました。規制線を超えると、記者の人たちが寄ってきました。口々に質問をします。利用者の方のお知り合いですか。近所にお住まいですか。ずいぶん長い間黙とうされていましたけど、何を祈ったのですか?
ガン無視して車に戻りました。

帰りはすいすい車が走りました。
海老名サービスエリアに脇屋シェフのお店があって、父と母はそこを訪れたそうなので、そこに二人で寄って担々麺を食べました。
それからソフトクリームも。
買い物して帰ってきました。
ランチやなんかも入れて、五時間半の旅。
母ともゆっくり話ができました。

昨日初めて聞いた話としては
私は逆子だったとのこと。
でも生まれる前に、自分で正位置にポジションチェンジしていたそうです。

ああ、私らしいな、と思いました。
私ならそれくらいのことやるだろう。
きっと「なんか違うな」と思ったんでしょう。「なんか居心地悪いな。向き替えてみるか」
これは私が発達障害の世界でやったのと同じことです。
それを一部のバカが理解していないだけ。一生理解できないでしょう。

こういう悲劇をもう起こさないために、権利擁護に走る人もいる。彼らは彼らの信じるやり方をすればいい。
私は「発達障害は治りますか?」と問い続け
発達援助に舵を切ったんです。
わかんない人は一生わかんないだろうから一生懸命つらがっていればいいです。
これでよくなる人もたくさん出てきたもんね。
それは私がポジションチェンジしたからですよ。

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2 コメント

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すべては 自然 (こより)
2016-08-04 10:51:02
障害があることも ないことも
どちらも自然なことなのだと思います。

障害者を 貶める人も 変に美化する人も私は 嫌いです。ネットで「障害児の親でよかった」とか「障害を持つ人の姿は美しい」とか いろんな記事があふれてますが 障害児だからとか 障害者だからとかそういう言葉は いやだなあと思います。


今回犠牲になったかたに直接お参りにはいけませんが 自宅で静かに私も祈りをささげました。
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Re:すべては 自然 (浅見淳子)
2016-08-07 06:30:54
物事を、起きてくることを、まっすぐ受け止めるだけの話ですよね。
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