治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

へっぽこ呪術師としての猿烏賊

2015-01-13 18:48:02 | 日記
どうも私は日本人の空気がどこか読み切れていないという自覚がある。
源氏物語とかがキライだとか。
でもあれ一応、ほめる人多いじゃないですか。
きっと私が何かわかっていないんだろうな、と常々感じていて
お正月もその手の本を読んでみた。
電子書籍で買ったのがこちら「呪いと日本人」である。



これでわかったことがあった。

ベムが大騒ぎしたとき、ベムが「修行とか治療とか花風社は差別的だ!」と大騒ぎしたにもかかわらず
・「修行」に励む大地君の本
・「治らないという考えは治りませんか?」と問いかけた神田橋先生の本

を熱心に読んで「自分も修行しよう。治る道をみつけよう」と決意した皆さんは、「治るなんてありえない! 修行なんて差別!」と必死になって花風社の本を読む皆さんを止めようとするベムに対し

「自分ちだけ信じる道を進めばいいのになぜ別の方向でやってみようという家庭にまでちょっかい出すのか」
「あの人異常、気持ち悪い」と言っていたのだが

今思うとベムはへっぽこ呪術師だったんだな。
気持ち悪いのも合点がいく。

あのときのベムこと宮本晋は、顔を白塗りにし、角みたいにろうそくを額に立て、髪を振り乱して丑三つ時に敵を呪う鬼婆をおっさんにしたみたいな感じだった。
あのき○がいっぷりはまさにそういう感じ。

大地君がついーとに鍵をかけたのもベムの攻撃がきっかけ。
差別差別と差別を糾弾しながら自閉っ子の小学生にまで牙をむくベムは本物のきち○いだと思ったが
あれもやっぱり呪術師としての振るまいだったんだな。
だとしたら合点がいく。
おかげで大地君のついーとを見られない人多くなって、まあ迷惑だよね。

猿烏賊は海老踊りするわりに非常に非科学的な面があるんだが
それがベムの呪いにも現れていた。

呪うということを、日本人は好んでやってきたようなのだけれども
それは自分が嫌いな人に悪いことが起きますようにと念じるという
ただそれだけの不毛な行為。
昔のエライ人はこのあほらしい行為のために陰陽師を雇ったりして
まあ高度に産業化されていたわけです。
呪い封じのために神社たてたり
まあ色々、手間がかかったわけですな。

逆に言うと我々日本人のDNAの中に
「嫌いな相手の不幸を願うとそれは実現される」という実は不合理な信念が潜んでいるということ。
これはね、克服すべきだと思いますね。
どう考えてもうそに決まってるんだから。

「自閉症者の犯罪を防ぐための提言」の中で私は、自閉症の人に伝えたいメッセージとしてこう書いている。

=====

他人の不幸を実現する権限は誰にもない

 人は生まれてきたからには、幸せになる権利があります。
 さらに言えば、幸せになるために努力する権利があります。
 けれども自分がコントロールできるのはせいぜい自分の人生です。手が届くとしても、家族やごく親しい人の人生だけ。他人の人生をコントロールすることはできません。無駄なことですし、そもそも他人の不幸を実現する権限はありません。別の主体だからです。
 自分には自分の人生があり、他人には他人の人生がある。それぞれの苦労や喜びがある。
 他人が成功を遂げることは、自分の成功を減らすものではない。
 こうした基本的なことを、ぜひ小さいうちから教えてあげていただきたいと思います。

(『自閉症者の犯罪を防ぐための提言』浅見淳子著 より)

=====

YTの行為は、だから無駄だった。
ニキ・リンコが憎いのなら、私や花風社が憎いのなら、我々が描く自閉症が間違っているというのなら、自分が違う路線で立派に社会人としてやっていけることで、自分の信念を証明すればよかっただけのこと。
それをせずただネット上の誹謗中傷で、嫌いな相手を引きずり下ろそうとした。引きずり下ろせると思った。
これも呪いの効力を信じるDNAのなせる業。

と思うといくらでも思い当たるでしょ。
修行系にぶつぶつ言う(言うだけの)猿烏賊。
匿名掲示板だけで勢いよく発言している人。
「そんなことやってもなんの自分のトクにならないのに」という呪いの作業に時間を費やしている人は
実は「自分が呪うことで相手になんらかの影響を及ぼせる」という考えを抱いているんでしょうね。

ベムの今はなき療育ブログ読んで
薬漬けで運動会にも参加できず寝続ける我が子のよだれたらした写真を眺め(目に線・たぶん配慮のつもりだろうね)
人前で性器出したエピソードを読んで
「まあすてき、うちもこういう風に育てたいわ」っていう人はベムの療育を参考にすればいいのだし

別の方向を目指す人が花風社の本を読んでくださる。
それだけの話。

だけど自分たちと違う路線を選んでいる他人が許せない。
そして呪う。
呪うと気にくわない相手に何か不幸がふりかかってくると信じてヲチを続ける。

そういう呪いにふける猿烏賊の姿を絵に描いてみました。
題して「私はベム」。
呪文は「自閉は一生治らない」。
だから治ると信じている人、主張している人が嫌いで
何か悪いことが起きないかと、ぶつぶつ呪いを続けているわけですね。

著作権フリーとしますから、猿烏賊の皆さんはお守りに使ってください。定期入れに入れておいて、時々見つめて「自閉は一生治らない」ととなえると、あら不思議、あなたやあなたのうちのお子さんは一生治りません(よそのひとは治ってもね)。

修行系の皆さんは猿烏賊よけにどうぞ。親の会とかの会合に出ると「社会の理解ガー」とか「オタクは○○だからいいわね」とか言われてうんざりすることあるでしょ。そういうときの猿烏賊よけに、打ち出して四つに切って裏紙メモに使ったあとシュレッダーするといいと思うよ。

うそです。

それと、

よく他人を呪うのはよくないという言い訳の一つとして
「人を呪わば穴二つ」っていうのもありますが

私はよく考えて、この方針は採用しないことにしました。

理由は一つ。

なんかばばくさい陳腐な考え方だから。

それと同じくらいばばくさい考え方に、相手に攻撃されて攻撃し返すのは「相手と同じレベルになる」とか言って攻撃を控えるやり方もあるけど

これも採用しないことにしました。
やられてもやり返せない弱虫を正当化しているだけだもんね。

私は嫌いな他人はどっかよそに行ってくれるだけでよく
不幸までは望まない。

そういう点が、ニキさんや藤家さんと似てる。

ニキさん、藤家さん、私は共通点があまりないけど
陰性感情を共有していないので、会って話すことがほとんど前向きなネタ。

それぞれ陰性感情は持っているんだけど
それがかぶらない。
陰性感情が増幅しないのね。

こういうのは仕事をしやすい人間関係つくりやすい相性。
相手が自閉症かどうかより「陰性感情を共有しない」っていう方が、仕事しやすいかどうかにかかわってきます。

陰性感情を共有できないのに、共有できると決めつけてなだれかかってくる依存性の高い人。
これもやりにくいんだけどね。

陰性感情を共有できないと見極めたら、その話には触れず共有できる部分だけでつきあえる人。
これが社会人としてのつきあいだと思います。

でも陰性感情を共有できやすい集団だと
陰性感情が増幅しちゃうんじゃないのかな。
それで集団的呪いになる。
その呪いが何かに効きそうな幻想を持ちやすくなる。
そして呪いが効果を上げる瞬間を確かめようと嫌いな相手を何年もヲチすることになる。

お好きなようにどうぞ。
無駄だと思いますが。
呪いを人々が信じたころは、橋を架けるのがうまくいかないと、人柱とか立ててた時代です。明らかに技術が足りなかったか場所が悪かったんですよ、橋かけるのがうまくいかないのはね。でもそこで生け贄を柱にすればうまくかかるみたいな、馬鹿な信仰があった時代があったんです。

その時代と同じように
誰かを呪うことで誰かを不幸にできると思い込んでいるのであれば
どうぞどうぞご自由に。


「私はベム」

の精神を、好きなだけ貫いてくださいませ。

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