治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

仲良し過ぎるおっさんたちの野望 その3

2018-10-26 12:03:20 | 日記
毎日毎日色々話題が多すぎてなかなかおっさんたちの記事が続きませんがやめてませんよ~。
一般発売もされ、読んだ人も増えてきたと思います。
おっさんAのお友だちで、廣木さんが書いたから買おう、と花風社のなんたるかを知らずに読んだ人たちはいきなりまえがきでぎょっとしているかもしれない。
けどこういうお声をいただきました。

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花風社の新刊の前書きだけでも読んでみてほしい。
浅見さんの並々ならぬ覚悟を感じます。

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そうなのです。
本当に覚悟を持っている今の私。
あのまえがきにはその覚悟を込めたつもりです。
逆にギョーカイは覚悟がないと思う。
役に立たない方の大久保さんの言動を見ればわかるとおり「自分たちが認めたやり方ではない以上、誰かの役に立っても正統だと認めない」のがギョーカイでしょ。逆に言うと利用者が支援者を殴ろうと唇を噛みちぎろうと(本文を参照のこと)ABAじゃなきゃ防御法を使うやつはトンデモ扱いしてやるぞ! という鬼畜なのがギョーカイ人です。
私はこれが許せない。
自分たちの犬の曲芸じゃ救われない人がいる。防げない被害があり虐待がある。だったらなんでそこで海老踊りするのよ? っていう話。要するに排他的な田舎者マインドなんですよねギョーカイは。

それとうめさんのツイートを持ってきました。
うめさんのご子息maru君は最重度と言われながら介護も抱えるお母さんを手助けする青年に育ちました。海外旅行も行って入国審査も乗り切り、現地の色々を楽しんだそう。何より気遣いの青年。それがmaru君の苦しみが除かれた後に顔を出した資質ですね。私の目にmaru君は「品位のある青年」に映ります。そのノーブルな青年のお母さんが『自傷・他害・パニックは防げますか?』を読んでくださった感想です。


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maruは他害も自傷もない。が支援学校で殴られて怪我した先生達やとりあえず押さえつけて他の児童を守るしかない修羅場は多々見てきた。病気になって休職された先生、挨拶のように顔を殴られた女性の先生…髪を抜かれハゲだらけのお母さん。だから「誰も傷つけない、誰も傷つかない」と言う言葉がしみる

さりげない言葉の使い方にその人が出ると思う。「自傷・他害・パニックは防げますか?」の著者の方達選んでる言葉、いや発してる言葉があたたかい。どの方向から支援しているか伝わる言葉だと思う。大変な現場にこそこの言葉が届いて欲しい

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そう。廣木さんの言葉は優しい。
そして廣木さんの創設された護道は、引き分けを目指す武道である。
殴りかかってきた相手、噛みつこうとしてきた相手、蹴りかかってきた相手、とにかくこちらに暴力を振るってきた相手を、どっちも傷つかないやり方で、この表紙絵のところまで持って行って安心させる護道。
ご自分のうちには問題がなかったうめさんだけど(ていうかなんで問題がなかったかは「自閉っこのための道徳入門」に書いてあります)そういう現場に護道介助法が行き渡ってほしいなと思っているわけですね。

ところが私自身は、引き分けなど目指していないわけです(爆笑)。

もっとも廣木さんも言っていますよね。
護道を使うとき、相手は敵ではない。我が子であり、同じ社会の仲間だ。だから傷つけず、傷つかずが原則だと。

それにはもちろん賛同します。
じゃないとこの本に時間も金も投資したりしない。
保護者とお子さん、利用者と支援者の間は引き分けであるべき。
それは絶対的に正しい。

ところが護道を習ったその日、私が中華料理屋さんが個室だったことをいいことに始めたのは取っ組み合い大会だったわけです(爆笑)。
引き分けなんか目指さなかった。
とにかく相手を寄り切るか押し出すことしか考えていなかった。
小さめの女子が相手のときには最初から勝つつもりでおっさんたちに相手の後ろにいてもらって相手の安全を確保しつつ思い切り押し出したりね。

言っときますけど私が誰か他人と取っ組み合いをしたのは、あの日が生まれて初めてだったと思います。護道の本を作る間、青白くないインテリの夫に実験台になってもらい、「どうやったら攻撃を受けながら後ろに回れるのか」やってみましたが、それは身内。他人の皆様と取っ組み合いをしたのは生まれて初めてです。昭和に生まれた女の子は特別な事情のない限り他人と取っ組み合いなどしないのではないでしょうか。

それでも連戦連勝の私を見て廣木さんは「浅見社長身体能力高い」と言ってくださいましたが私の身体能力には競技ごとにばらつきがあります。
子どもの頃のお稽古事遍歴を見てもわかります。

まずピアノ。そこそこものにはなりました。クラス代表で弾くくらいにはなりました。でもやめました。でもやっておいてよかったと思います。じゃないともっと音楽に興味がなかったし後の語学学習にあまり優れていない耳を対応させるには役立ちました。

お習字。大嫌いでした。服が汚れるし。要するに不器用だったのでしょう。

手芸。意味がわかりませんでした。何が楽しいんだろう。

バレエ。意味がわかりませんでした。これは未だに身体が固いことも関係していると思いますが、ただのふりつけだと思っていました。発表会のとききれいなおべべを着るのだけが楽しみでした。

球技。ものになりました。全国大会も出たし大学時代友だちを作るのに役だってくれました。そして今に至るまで基礎体力に恵まれているのは青春の一時期毎日運動していたおかげです。

英語。最初から余人の追随を許さない感じでした。まあ昭和でしたし。中二で英検2級取りました。球技は全国大会まで行っても食えませんが、語学は世の中で食い扶持を稼ぐきっかけとなってくれました。でも英語は塾行ってすぐやめちゃいました。その当時は運動の方が面白かったのです。でも今になるとあの時期に運動を優先させたのは正しかったと思います。語学学習なんていつでもできますから。

ちなみに、運動は才能がある人がどんどん伸びていくのに対し私は努力の人で、逆に文系の科目は「なんでみんなあんなに苦労するんだろう」という感じでした。だから私はかなり若いというか幼い頃から人間の能力に凸凹があるのを身にしみてわかっていたしそれがわかっていない教師達のことを心の中でバカにしていました。

さておっさんたちの話から浅見通信になってしまいましたが何を言いたかったかというと、これまでの私の生活は武道とは無縁だったということを言いたいわけです。

もちろんお相撲クラスタですから、取っ組み合いをしたのが初めてでも相当脳みそが学習していた可能性もあります。ていうかもともとお相撲が何で好きかというと取っ組み合いが好きだからだろうし、お相撲のいいところはとにかく引き分けがないことです。

じゃあなんで、引き分けの武道である護道が私にぴんと来たのでしょうか?








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