治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

いつから頑張り屋だったんだろう?

2010-12-24 08:00:00 | 日記
1995年の終わりに勤め人を辞めた私は
1996年2月に花風社を立ち上げて、出版社を営業で回った。

まだまだ版元をやるだけの資金も実績もなかったけど
とにかくまずはできることをやろうと思った。
まずは営業をいっぱいやって
前職の年収を上回る翻訳と編集を受注することを目標にした。
今よりはましな時代だったし、がむしゃらに営業したら
これはすぐに達成された。

ご祝儀相場もあって、皆さん本当にたくさん仕事をくださった。
あのときに仕事をくださった方々、本当にありがとうございます。
すでにあの世に旅立たれた方も、中にはいらっしゃる。
色々な方に縁をいただき、あのとき食いつなげたから、会社は生き延びて、後年、花風社はなんとか版元になり
「自閉っ子シリーズ」を世に出すことができました。

編集にしろ、翻訳にしろ
受注したらこなさないといけない。
一日14時間働いた。
半年に一日くらいしか休みがなかった。

翻訳書も二年弱で14冊出した。
とにかく仕事・仕事・仕事だった。
傍らで編集の請負もやり、翻訳家養成講座も開いた。
そこに来ていた一人がニキ・リンコさんだ。

14冊翻訳書を出したあと、気がついた。
私は翻訳という仕事が嫌いだ。
だってじっとしてなきゃいけないんだもの。

やっぱり版元にならなくちゃ。

そう思ってまた業界内を駆け回る。
個人資本の出版社が取次口座を取るのは難しい。
そういわれていたけれど、なんとか実績を作り、人を訪ねて話を聞き、聞いてもらい
多くの人々に助けられて、取次に通いつめて口座を開いてもらった。

やっと自社で本が出せることになった。
今度は資金調達に駆け回る日々。
編集・営業・事務。手伝ってくれる人はいるけど監督するのは当然私。
ニキさんに翻訳を依頼することにした。

でもニキさんは、私と違って
翻訳という仕事が好きだった。
だってじっとしていられるんだもの。

最初は知らなかった。
ニキさんがアスペルガーだなんて。
ていうかアスペルガーが何かも知らなかった。

だってニキさん黙ってたしね。

ようやく打ち明けてくれたのは、アスペルガー者の手記を訳したいと言ったとき。

それまで、ニキさんは私にとって、ユニークで熱心な翻訳家の卵。
ときどき自分で自分の頭をぼかすかぶったりしてたけど。
なんか変わった人だとは思ったけど
べつに気にならなかった。
だって翻訳すごく勉強するし。
勉強以外の本だってたくさん読むし。
かわいいし。
本が好きだという共通点があったし。

そういう出会いだった。
ニキさんが自閉症だからじゃなくて、「頑張り屋」だから気が合った。

でもニキさんが生まれつきの頑張り屋だったかどうかは今となってはわからない。
社会参加に挑戦しては挫折して、世の中を観察して、わかったのかもしれないと思う。
「そうか、頑張らないといけないんだ」って。
ある時点で認知を正したんだと思う。
その後に出会ったから私たちの仕事はスムーズだったのだと思う。

アスペルガーだと打ち明けてくれてから「世の中をどう誤解していて、どう誤解だと悟ったか」はずいぶん話してくれた。
それは自閉っぽい認知のせいのようだった。
聞けば聞くほど異文化だった。あまりに面白かったので
それをどんどん本にしていった。

先日ちゅん平が、いきなり、思い出話として
「大学出れば誰にでも平等に仕事が用意されているかと思っていた」と言い出して、ああやっぱりそうなんだ、と思った。
だから6・3・3・4という説明では不十分で
6・3・3・4+就活 だと最初から教えてくれればいいのに、と。

ああ、なるほど。自分で就職活動しなきゃいけないんだよ、って自然にはわからなかったのね。
どうもASDの人には世の中がそういう風に見えていることあるみたい。
「用意されていて当然」と思うみたい。自分が動かなくてもね。
だから不要に世の中を恨むこともあるし
本人としては悪気がないのに怠慢に見えていることもある。
だから誰かが教えてあげないといけないのね。

ニキさんもそれがわかってから私と出会ったのかもしれない。

まあ、自閉症と私の出会いはそんな感じなので。
今度の新刊から抜粋するのなら

=====

 そう。
 私の自閉症とのつきあいは「療育」から始まったのでも「保護」から始まったのでもないんです。
 社会経験のあまりない人たちに、いかに社会人として機能してもらうか。
 いかに対等な社会人としての絆を築いていくか。
 私と自閉症とのつきあいの、原点はそこなのです。

=====

というわけなので
私は自分を「支援者」だと思ったことは生まれてから一秒もないのです。
どうして未だに私のことを「支援者」と見なす人がいるのか不思議で仕方ない。

私の役割をわかっている人ももちろん多くて、その人たちは本当のところを見ている。
「福祉の人じゃないのに理解しようとしている人」
「私生活では自閉症と関係ないのに仕事の上で自閉症を理解しなきゃいけない立場に立たされて奮闘してきた人」と思っている。
あるいは
「外の視点を持ち込んでくれる人」だと思っている。

いただく応援メールを見ると
本を買ってくださる方たちのニーズはそこにあるのがわかる。

浅見淳子は支援者じゃないときちんと認識している人。
その人たちが本を買ってくれる。講演に呼んでくれる。
そしてその人たちは、私に腹を立てる人のことはあんまり理解できないみたい。

改めて。
私は支援者ではありません。
支援者だと見えるのならあなたには「社会性の障害」があるかもしれません。

私は支援する人ではありません。
私は「支援者のサークルの外、現実社会の入り口付近に立っている人」です。

そういう立場でこのブログを書き、本を書いたのです。
そういう人が自閉症と接することは、まだあまりないからです。

読みたい気がするけど、うちに申し込みたくない方。
スペース96さんにも年内若干在庫持っていただいています。
よろしかったらご利用ください。

最新の画像もっと見る