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治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

究極のSST(言葉以降)

2019-03-22 13:24:40 | 日記
さて、午前中共同ブログ更新してあります。

割と大事なこと書いてある。読んでね。

こっちのブログで今日は昨日の記事の続きを書こうかと思ったのですが、躊躇したところもあります。
というのは、この心理士の方にはなんの悪気もないことがわかっているから、っていうか基本善意だとわかっているから。一応こちらとしては「これは見過ごしてはいけない」と思ったので不快感は表しましたが、さらに傷口に塩を塗ることはしたくないのですね。
そしておそらく高飛車な気持ちもなかったと思うのです。支援者はアプリオリに高飛車だから自分であんまり気づかないみたいですからね。

でもコメント欄がまた有意義。支援者のアプリオリな高飛車性に気づき、だからこそ支援が世の中に送り出すことができないシステムに気づいている人もいる。私が学んだこともある。とても大事なことを書くきっかけになるにはいい出来事だったので、もうその心理士の方には個人的な遺恨はないということを皆さんに承知していただいた上で書きます。

まずはふうりんさんのコメントを一部引用させていただきます。

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こういうとこからギョーカイ支援を見限ったんだよなと思いました。自分が感心した講演の講師に専門教育受けてないからこその発想力と言って褒めてるつもりなのが常識ない。

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そうそうそう。支援者は知らず知らずのうちに世間知らずを露呈しています。それで、私は一連の辞書ツイートをしました。あれで何が言いたかったか。たとえば心理士の人が「浅見は専門教育受けてない」と言うってことはどういうことかというと「浅見は自分たちの受けていない専門教育を受けてきた」っていうことなんですよ。当たり前でしょ。私は一応6334はストレートで出てそのあとは社会の中で色々教わってきたのだから。社会に出てから一度も失業期間もなく雇用保険は払うばかりでもはや加入資格もなく(経営者だから)やってきたということはその間心理士が学んでいないことを違う現場で学び続けてきたということ。そしてその経験を持って、翻訳の師匠としてニキさんに出会い発達障害の世界に入ってきたのです。
辞書ツイートを見逃した方のために繰り返すと、電子辞書がなかったころの紙の辞書っていうのは扇形に広がるもんなんですよ、引き続けるとね。本棚に収まらなくなるんです。そしてそのうち背の糸がほつれてきてそれをガムテープで留めて使うんです。こうなるのが見えてるから私たちは先輩に革装じゃなくビニール装を買えとアドバイスされます。なぜならその方がガムテープで留めやすいからです。これくらい辞書引くんです。助動詞なんて何万回も引きます。だからNEUROの5文字を無視して平気とか助動詞すっ飛ばして平気とか私の受けてきた専門教育の中ではありえない話なのですよ。だからNEUROがなんでこんなに無視されているかに気づいたんです。私は専門性の欠如ではなく、自分が培った専門性のゆえに気づいたんです。

そして「専門教育を受けてこなかった浅見さんが気づいたのが衝撃」とか言ってるけど、その言葉が露呈するのはこういう支援職がやるからSSTが効果ないんだなっていうことです。だって一番大事なこと教えてないんだもん。一番大事なこととはなんだって? それはこの記事を最後まで読んだらわかると思います。

そしてヨヨ子さんのコメント。これが私には衝撃でした。

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専門家と呼ばれる職種の人達が、自分が専門教育を受けてきた事を強調するのは、傲慢というよりも一種の怯えだと思います。

専門家と呼ばれる職種に就きたがる人達は往往にして頭は良いけど不器用というかいわゆる専門馬鹿気質の人が多いです。
だから自分が専門学校や大学で専攻した狭い分野に生涯縋り付きます。専門馬鹿気質が故にそれしか出来ないからです。

そういう人達は自分の専門分野が実は知識さえあれば専門的な学校に行かなくてもなんとかなる分野だとバレるのを非常に恐れます。
専門教育を受けなかった人達が専門教育を受けた自分達と同じまたは上等な結果を出してしまったら立場どころか拠り所すらも失くすからです。

医療従事者であることをわざわざ自己紹介して花風社にガーガーいう人達は医療従事者であることが拠り所な人達。
健常者だからといって障害者に何を言われても精神障害者特有の認知の歪みだと決めつける作業所や就労支援センターの職員も、健常者であることしか自慢できることがない人達。
少なくとも私はそう思います。

やたら自分が✖️✖️だということを強調する支援者は今日からでも金魚体操しなきゃいけない弱虫です。

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なるほどね~と思いました。そして私、免許とかなんにも持っていないのに気づきました。っていうか資格商売をしたいと思ったこともないなあそういえば、と気づいたのです。そしてある意味、それは自信の裏返しだったのかもしれないな~と思いました。別にそんなもんなくたってやってけるよねっていう。一方で資格資格言う人はもしかしたらそれがないとやっていけないという人生観なり社会観なり持っているのかもしれないな、と思いました。そういう人が子どもに世の中を教えると窮屈になるだろうなと思いました。

私は基本的なお行儀は家庭で教えるもんだと思っているし、SSTで何を教えるのかよくわかりません。大久保さん@てらっこ塾がSSTは高機能の人が利用者になったとき構造化とかじゃ満足しないから支援者が食いっぱぐれないために考え出した本当は役に立たないプログラム、という歴史的経緯を先日説明してくれましたが当たっているかも~と思いました。それくらいSSTってムダ。あえて言えば無意識育てておけばあとは勝手に世渡りその子なりにしておくと思うけど。だってNEUROだからね。

それでも私が物を知らなかったころのちゅん平さんとかに教えた究極のSSTって一つだけあって、それは

世の中は分業

っていうことです。ちゅん平さんは世の中の謎を解くためにこの知識を役立ててくれたようだった。

そしてたぶん、医者や心理士はわかってないんですよね。正直、神田橋先生や愛甲さんのレベルの人格者でも私、我々非医療非支援の人間が当たり前に「世の中分業」ってわかっているレベルでわかっているかどうか疑っています。それくらい医者や心理士は「世の中が分業」だとわかっていない。

でも「世の中が分業」だと思うと自然に他の人の人生、他の人の主体性にリスペクトが沸いてきますからね。このリスペクトが支援職にはないんですよね。だから高飛車なんです。

うちは昨日高知からふるさと納税でやってきた鰹のたたきをいただきましたがそれは鰹取ってきた人解体した人焼きを入れた人の他にもオオバやニンニクやミョウガやショウガをそれぞれ育てた人洗った人パッケージした人流通に載せた人売った人そしてクール便の人とかそういう人が全部自分の仕事をきちんとやったから昨夜の浅見家の食卓でかなえられたごちそうなんです。
だから若い人に伝えたい言葉でのSSTはこれだけです。

「世の中は分業なんだ。自分の場所で力を尽くせ」。

自分が鰹取る漁船に乗らなくても美味しいものがいただけるのは社会が共同体だからです。
だから自分は自分の分業をこなす。
私は昨日「知的障害は治りますか?」を作っていました。
自分の分野で頑張る。それが最大のサバイバル方法。
言葉以降のSSTはこの一言で済むと思いますよ私。

そしてかなさんのコメント。

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この方はおそらく専門教育を「ギョーカイからの洗脳教育」という意味で使われたのかな?と思いました。
多くの支援に関わる人達は、何も疑問に思わずにこの洗脳教育を受けてきたのでしょう。
だからこそ気付くことができなかったと言いたいのでは?
浅見さんは発達障害についての本を数多く出される中で、この洗脳教育についても学んだ上で、おかしいことに気付かれているわけですけどね。

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ていうかバカですよね。
私がもし心理士を目指してこの洗脳の中にいても洗脳されなかったと思いますよ。
いいですか? 世の中は分業なんです。
そして医者の仕事は治すことなんです。
なのに治さない医者ばっかり跋扈している発達支援ギョーカイでなんで医者を尊敬しなきゃいけないのですか。凡医の言うことをきかないといけないのですか。彼らは世の中で自分に与えられた仕事をしていない。病院の受付している人、掃除している人の方がずっと役目を果たしているじゃないですか。

そう思うと「誰を信用していいか」の目安も「世の中は分業」という知識は与えてくれるかもしれませんね。

本を出すのだって分業なんです。出してからも分業。NEUROはAmazonでランクインしてますがこれもピッキングする人箱詰めする人宅配便の人と様々な人が仕事をするから皆さんのお手もとに届く。

なのに医者や心理士の世界観では自分たちだけに専門性があるみたいですよね~。
そういう人がやるSSTなんて役に立つわけないですよ。

あ、画伯は絵描きの本分を尽くすため、皆さんから凡医エピソードを募集しているようです。
また漫画にできるしね。
凡医のエルドラドたる発達障害ギョーカイに暮らす皆さん、画伯に凡医エピソードを送ってあげてください。
新たな凡医キャラができるかもしれません。

ということで


「NEURO 神経発達障害という突破口


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